のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「準」とつくから勘違いするのか。「準」とは、「準ずる」扱いをすることであり、「準」の字のついてないものと同視する意味だよ

2018年07月04日 21時08分47秒 | 安倍某とそのお友達
立川談四楼@Dgoutokujiさんのツイート。

――準強姦を準優勝と同列視する人がいる。準がいけない。「人の心神喪失もしくは抵抗困難な状態に乗じ、またはそのような状態に陥らせて姦淫する犯罪」で、私に言わせれば強姦より悪質な犯罪なのだ。2017の法改正で「準強制性交等罪」となったが、依然として準が付いている。これじゃ勘違いは終わらない。〔12:19 - 2018年7月4日 〕――


拙稿「語るに落ちる杉田水脈の話」において、

――抵抗困難な状態が

何によって生じたかは問われない。

何らかの薬物(アルコールを含む)のせいで

自分の意識を失くすのも

相手の男がそれを利用する限り、

「暴行」「脅迫」によって自由を奪う行動と同視しえるというのが法の態度だ。

杉田は、

伊藤さんの事件がBBCで放送されたことをもって

憤懣やるかたなしという態度だ。

しかし、一体、何がいけないんだろう。――

と問うた。

☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/4146713d478ed498e282165794e0d782

杉田が事実を

「仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし」

と認めながら、

なぜ、この場合を落ち度があるとして

「暴行」「脅迫」を用いる場合と区別するのか

(同氏のツイート〔8:55 - 2018年6月30日 〕参照)、

その理由が解しかねる。

女性を誘って一緒に酒を飲み、相手が酔いつぶれ意識がなくなるのを待つ。

その後、

本人の意思を無視して肉体関係を持つのは、

僕も

立川談四楼と同じで、

「暴行」「脅迫」を使って、性交を強要するより、

百倍、非人間的で残酷な行為だと思う。

なぜ、杉田という女性と

その気持ちを共有出来ないのか。

昔、女性が書いた

「私、エロ本、百冊読みました」という

ポルノ雑誌の

論評を読んだことがある。

女の目から見て到底許せない物語の結末として

選ばれたのは、

こんな内容だった。

ヒロインは、

裸にされ、大車輪に大の字に縛り付けられる。

そこへ自分の精液を吸い上げたスポイトを持った変態のおっさんが

現れ、大車輪をくるくると回し

ヒロインを逆さにする。

その上で、精液を太ももの辺りに垂らしながら、

こう言う、

「ほれ、精液を垂らしたよ。どんなに足掻いても君のアワビ君は、

引力の法則に従う僕の精液を受け入れる。後、何秒で到達するのかな。イヒヒ」と。

このシチュエーションを一番、残酷に感じたとあった。

百冊もエロ本を読みまくるのだ、

中には屈強な男にぼこぼこにされる物語もあったろう。

しかし、そちらは選ばれず、こちらだ。

全く同感だったな。

要するに、

残酷と感じる肝は、

女性の意思に反しているという点だ。

日本の刑法典が

強姦罪、現在の強制性交等罪が

世界的な基準で考えた場合、遅れていると評価されるのも

まさにこの点なのだ

(罪名が強姦罪から現在の強制性交等罪に変更になった平成17年、

なぜ、この点も修正しなかったのか――。

恐らく安倍政権下、刑法改正に着手する法律家に

性犯罪の核心がどこにあるか

理解する知力に不足するものがあったからだろう)。

すなわち、

意思の合致のない点にこそ

強制性交等罪としての核心があるということだ。

「暴力」も「脅迫」も手段に過ぎないのだ。

罪深きは、

いわゆる女性の性的自由を

その意思に反して奪ってしまう点だ。

手段は、

上に紹介したエロ本の物語のごとく「引力」であってもいいのだ。

杉田は、

女性でありながら、なぜ、この理を理解しないのか

まったくもって不思議だ。

酒は、

薬物だ。

人体に対して、

意識を混濁させる作用を有する点で

ほとんど引力と変わらない。

身体の自由が利かなる点で大車輪に縛り付けられたも同じじゃないか。

どうしてそれ以前の「落ち度」を問題にするのか。

人殺しが責められるのは、

「殺す」行為自体が許されないからだ。

魂の殺人と言われる強姦罪、いな、罪名が変わった強制性交等罪も同じだ。

意思の合致のない

性交自体が責められる本丸のはずだぞ。

相手に落ち度がないから責められるのではないよ。

今一度、

再考して欲しいな。

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