のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「保釈中のぱぉんさんからメッセージ <2> 」(4月6日)

2013年04月09日 23時45分56秒 | Weblog
「保釈中のぱぉんさんからメッセージ 」(4月6日)


    関西大弾圧救援会(2013年04月09日 08時53分54秒)

☆ 記事IRL:http://blog.goo.ne.jp/kansai-dan/e/76c70eda34f65640bf85327992f28ff0
 

★弁護人を通じ、ぱぉんさんの手記が届けられたので、掲載します★

『メッセージ <2> 』

ぱぉんです。

至る所で声をあげ、闘っている仲間の皆さま、日々お疲れ様です。
少し暖かくなりましたね。でもこちらはまだ朝晩は寒いです。空気も悪いです。
激ヨワなぱぉんが言うのも何ですが、皆さまも風邪など引かぬよう、お気をつけ下さい。
「ありがとう」の感謝の気持ちを込めて。
どこにも行かれへんかわりに言わせて(書かせて)もらいまっせ。

"保釈中につき期間限定"「ぱぉん手記」。

※発信する文章は全て、信頼している私の弁護人を通じて書いています。
のぞき見している大阪腐警の公安三課さん、天満太郎さん、此花花子さんも、よかったらどうぞ最後までお読み下さい。
※どなたも私に連絡を取らないで下さい。腐れ公安から皆さん一人一人を守るために。


さて、今回からしばらく、「ツッコミどころ満載な大阪腐警」について。
逮捕された日の事は詳しくは書けませんが、逮捕された時の私の印象を少し書こうと思います。

警察官の要領の悪さったら。
これが逮捕されてからの私の第一印象です。

逮捕された時、まずは覆面車両に押し込められました。
ぱぉん、無言。左に男性警官、右に女性警官。
公安に挟まれた車内、雨が降りしきる中、おとなしく車に乗った3人、ぽちょーん状態。
というのも、運転手の役目らしき警官がなかなか来ない!
警察の車って、後部座席のカギは内側から開けられないらしいんですね。(片側だけだったかな。)だから必死に無線で「●●は?!」と、運転手役の警官を探しているのです。それも相当焦った様子で、「●●(運転手役)は?」「いや、だから」「●●ちゃうんか?!」「他でもいいからはよせーや」「違う!此花や!」など。無線の相手先も焦っているらしく、公安のイヤホンを通してかすかに聞こえる声はオロオロ、ほとんど叫んでいる状態。音はダダ漏れ状態。とにかく何か知らんけど焦ってる。
この時私は、「此花署に行くのかー」と、ただフロントガラスを見て思っていました。
そして次に女性警官が発した言葉に、内心ずっこけました。
「○○(私の本名)と思われる被疑者、確保。これより此花署に連行したいのですが●●(運転手役)が先導、で合ってますかー?どうぞー。」(無線の向こうに呼び掛けている)
↑私のフルネームと身柄はバッチリ。だが確保したものの車を出せなくて焦っている。おいおい、大丈夫か?!(苦笑)

4~5分後、ようやく一人の若い警官が運転席へ。
しかしこの運転手、所轄の警官ではないのか、なかなか此花署に辿り着かない!曲がろうとしたら一方通行、通りに出れば渋滞。
やり取りを聞いていると、一緒にいる公安二人もどうやら此花署に常駐しているワケではない様子で、「確かこの通りの1本向こう」とか、道案内できず。
イライラしている男性警官は、「もう△△△しろや」と。(サイレンを鳴らして緊急車両扱いにしろ、という意味)

運転手役の警官が緊急車両扱いにするのをためらった様子で、結局そのまま此花署あたりをぐるぐる。
辿りつくまでに多分30分はかかっていました。どんだけ要領悪いねん!
しかし、ようやく着いたのに、ここでも更なる要領の悪さを発揮。
警官が此花署の中にいる人に携帯電話で電話をかけ、「到着。どこから入りますか?」と。
入口も決まってへんのかぇ!!
そのまま署の前で待つこと数分。「そっちの道路側じゃなくてこっちの道路側のシャッターを開けますからそっちで。」とのこと。
・・・また一方通行だらけの道を彷徨う。。。

そして何とか此花署のシャッターが開き、車がin。
その時に初めて男性警官が、「おい、ワッパ(手錠)は?」と・・・。え?!手錠、誰も持ってなかったん?!ずっこけ再び。
運転手が車を枠内に入れず、乗り捨て状態で、エンジンをかけたまま、「取ってきます!」と車を飛び出した。
しかし、待てどくらせど運転手が戻ってこない。またまた3人、ぽちょーん状態。
しびれを切らした男性警官が「ちょっともう1回電話してみろ」とイライラ。
女性警官、電話で、「署内の駐車場に確保した被疑者と到着しましたが、ワッパないんです。」。
説明している間に、別の車がどうやら駐車場から出たかったらしく、車を動かさなアカン、でも運転手帰ってこーへん。警官はさらに苛立つ。
しばらくして運転手が帰ってきて、「どこどこの、違う駐車場に入れろということです!」・・・っておい!!
・・・再び一方通行だらけの道を彷徨う。。。

此花署の別のシャッターが開き、そこに車がin。
ようやく彼らが連行したかった場所に到着。ちゃんと手錠も用意されてました。
何かこっちが安心しました。(なんでやねん。)

車から降り、写真を撮られ、手錠をはめられる。
そして取調室へ。

そこからは質問攻撃が始まります。
当然、黙秘権があるので、言いたい事は言わなくて大丈夫。←という事を取調官は告知しなければならない。
それと、「選任する弁護士はいるか?」と、弁護士についても聞かれます。
(ゴクイリイミオーイ。救援連絡センターの弁護士を選任する。というのは一応ご参考までに。詳しくは救援連絡センターのHPを。)

最初の質問攻め。
「まず氏名は?」「住所は?」「電話番号は?」「生年月日は?」「これまでの賞罰は?」など。
黙秘していれば、書面には「黙して語らず」が並びます。

そしてここで初めて自分が逮捕された理由を知る。
薄っぺらい1枚の紙に「ぱぉんは~~をした容疑で捕まったんですよ」という内容を堅苦しい言葉にして書いて提示され、要は「建造物侵入」だという。
・・・はい???
この時は声に出して笑ってしまった。のが私の第一声です。「何それ?」と。本気で笑ってしまった。

そして、かけられた容疑に対して自分の意見を言う、"弁解録取書"というものを最初に取られます。
そんなんしてないよーとか、逆にしましたーとか。とにかく自分の言いたい事を言うというもの。
黙秘していれば、その書面にも「黙して語らず」が並びます。
取り調べなんかで作った書面(調書)には、全て最後に署名・指印をするように言われます。
が、これも拒否できます。拒否せずに署名・指印した場合、そういった書面は全て裁判の証拠に使える、ということを少し後で知りました。

その次に、別室に移動し、また写真。何枚も撮られる。
そして身長と体重を計らされる。(これ何でやろ?)
その後、機械で両手の全ての指紋を取られます。
この時、私服の男性警官(推定。多分警官でしょう、署内にいるんだから)に両手を触られまくったのが気持ち悪かった。
そして身体検査、なのですが、どうやら此花署では私の身体検査はできなかったらしく(多分女性警官が少なかったのかな)、「どっかに大きなホクロとか傷跡とかある?」って聞かれたぐらいでした。
・・・だいぶセクハラです。気持ち悪かった、ホンマに。

持ち物の中から、携帯電話だけを押収し、そしてぱぉんが留置されるところは布施署だ、今からそこへ行く、とのこと。
この時は単純に、此花署には留置施設がないんかな、と思いました。一緒に逮捕された人たちがいる事を知らなかったので。
「布施署行く前に、もう遅いからご飯食べー」と目の前に出された食事が、某コンビニのお弁当でした。
・・・無言で拒否。

そうそう、あと、逮捕された時に自分で飲み物なんかを持ってても、逮捕された瞬間から飲むことはできません。
ただのミネラルウォーターでもダメです。これも私には意味不明なのですが。
で、警察側が水筒のようなものに入ったお茶を私の目の前に。
ぱぉんは色々とアレルギーもあるし、何より少しでも内部被ばくは避けたかったので、「お茶無理。水しか無理。」と言いました。
まぁ一応、用意してくれました。沸かしたてのお湯・・・。

そんな事よりも私には常備薬がありますから。
だから「薬飲む時間やねんけど」と言いました。
「どれや?」と、私が持ってた荷物をごそごそ。薬は常に持ち歩いていました。
「これとこれは夕食後、これとこれは寝る前に飲む薬。」と説明。
しかしやっぱり持ってた自分の薬は飲めない。
ぱぉんは「薬飲ますまでここから動かん。飲まへんとか絶対無理。」と押し通しました。

すると、「これから近くの病院行くから、そこで自分で飲んでる薬を説明しろ」とのこと。
再び、例の覆面にin。
そのままある病院に着きました。一応専門医だったようです。
説明の途中、「名前と生年月日、教えて下さい。」「かかりつけ医は?」など、医者なら当然聞くことを聞かれましたが、手錠はめられた状態で、傍には腰縄を持つ女性警官。
・・・。「警官がおるとこでは言いません」。

ヤバイな、薬無理かも知らん、と思いましたが、常備薬を一通り持っていたので、同じ薬は一応もらえました。
で、時間はとっくに夕食の時間を過ぎてたので、「夕食後の薬、今飲みたい」と言うと、ダメだ、と。薬のことを説明してもダメの一点張り。
「布施に着いてからな。」と言われ、むちゃくちゃ腹が立ちつつも、とりあえずは黙ってました。

一旦此花署へ戻り、携帯を除いた所持品が入ったダンボールを持って、いざ布施署へ。
運転手と女性警官(公安)は同一人物。しかし、左に座った男性警官はどうやら布施署の人間(すごい若い)。
で、高速に乗り、布施署に行きました。布施署の若いお兄ちゃん、道案内がむっちゃ下手で。また私は心の中で「大丈夫か?!」と思っていました。

この時、雨が止んでたので、私は雨が止んでよかったなー、説明会行った人たち、雨やったら帰り大変やろうしなー、とか考えてました。
車内では女性警官が「布施署行くの15年ぶりぐらいやわー。○○さんってまだ居るの?」と、若い警官と無駄話。
布施署が近づくにつれ、女性警官は「懐かしいなぁ」とか「ここ全然変わってないわー」とか、とにかく無駄話。
うっとぉしい事この上なし・・・(苦笑)。


さて。布施署に到着。
そのまま留置場の女性エリア、まずは全ての被疑者が全員最初に行く「検査室」へ。
留置担当の女性が二人。
逮捕された日に出会ったこの二人の女性が、ぱぉんが出会った中で一番マトモな警察官でした。
他はとにかくヒドいです。まるで子供みたいなヤツもいれば、何でもかんでも怒鳴ることしかしないヤツも。
(また改めて書こうと思います)

検査室ではまず全裸にされます。体中をチェックされます。
所持品と、着てた洋服、靴など、全てを写真に収めていました。

この時点で留置場の電気は暗くなっていたので、その後の経験から、21時を過ぎていた事を知りました。

とりあえず着てもいい服を着て(というかほとんどが無理。これもまた後日。)、借りた服に着替え、靴は借りたスリッパに。
そして「薬飲まなアカンねんけど」と再度要求。
「いつもは何時に飲むの?」と聞かれ、「これとこれが夕食後・・・(略)」と再度説明。
すると留置担当があわてて水を持ってきて、さっき行った病院でもらった薬を、夕食後・寝る前、全部まとめて飲みました。
やっと・・・。ようやく私も落ち着いた。これでとりあえずは多分寝れる。離脱症状も多分大丈夫や。
本当にこの時ようやくホッとしました。
しかし、この初日のやり取りがその後の私に対する医療措置を大きく左右することになるとは、夢にも思いませんでした。この時点では。

その後は、所持金を確認して封筒に入れる作業とか。
持病の説明とか。留置場でのルールとか。
何か色々ありました。
が、空腹の状態で薬をまとめて飲んだので、あまり覚えていません。

そして「他の人はもう寝てる時間やねん。だから静かに行こうね。」と言われ、私が入れられる留置部屋へ。
まぁまぁ広めの一人部屋でした。そして布施署は建て替えて間がないらしく、すごいキレイでした。
お布団引いて(なぜかここには枕がない)、毛布を一枚枕がわりにして、横になりました。
とにかく疲れたー。とか考えている間にあっという間に夢の中~。

起床時間は6時半だったのですが、翌日の朝は、「睡眠延長」でした。
着いて寝たのが遅かったので、留置担当の二人がそう判断してくれたそうです。
取り調べや弁護士さんとの面会なんかで就寝時間に寝る事ができないと、こうして「睡眠延長」というのができるんだということも後で知りました。
延長といっても30分ですが。

こうして怒涛のような初日が終わりました。

今回はここまでにします。また続きを書こうと思います。


最後に。
弾圧を恐れてモノが言えない・できない社会なら、そういう人がいるなら。
それは違います、と断言します。
そして弾圧が怖いという気持ちも痛いほどにわかります。

間違ってることは間違ってると正しいことが言えない社会なら、ぜひ一緒に変えちゃいましょう。

ぱぉんは、逮捕されても拷問処遇を受けても、やっぱり何もあきらめられないし、黙ってられません。
逮捕されたって、私たちの人権は当たり前に存在します。
しかし、それをないがしろにしているのが警察であり検察であり裁判所であり拘置所であり・・・権力側です。

今は、こうして文章で告発し続けようと思います。
読んでくれた方の何かのヒントになれば、これほど嬉しい事はありません。

黙ることのできない私を逮捕したのが大きな間違いです。
残念でしたね、大阪腐警さん。
どんな些細なこともこうしてこれから暴露されます。
あなたたちのやっている人権侵害を今すぐ改め、反省しなさい。
私を逮捕した事で、あなたたちの情報も少なからず私の手元にもある、ということです。
某ポリ署に抗議したあの日、どんなに要求しても警察手帳の一つすら提示しなかった、ひきょう者。
あなたたちが私を逮捕したおかげで、私は見たことのある顔の多くの名前を知り、留置場や取り調べがどういうものか、少なからず知る事ができました。
ありがとう、とは言いませんが、これだけは言っておきます。

「逮捕しても私を黙らせる事はできません。私の意志や気持ちまでを捕える事はできませんよ。」

また書きます。

2013年4月6日(土)
ぱぉん、でした。

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