津止正敏・立命館大学教授が国民生活基礎調査(厚生労働省)などからまとめたデー
ターによると、介護の「嫁か妻の役割」という構造が崩れているとのこと。現在は、
4人に1人の割合で、男性が介護を担っている。続き柄では、実子35・7%(息子14・
9%、娘20・8%)、配偶者(夫10・8%、妻22・5%)となっている。
男性介護者は、一般に完璧を目指して、心身に無理な負担がかかったり、地域社会と
の関係が希薄で孤立しやすいといわれる。それで、津止教授は、「介護者への直接的
支援や、地域社会との関係を保つための支援の視点が必要だ」と指摘している(毎日
新聞記事より)。ありがたい提言だ。
介護するに当たっては、あらゆる対人的な職業におけるすべてのテクニックが要求さ
れる。要するに、過酷なのだ。問題は、過酷なのに、自分もまた支援されるべき存在
とは思いにくいことだ。なぜか?
どんなに一生懸命でも、周囲から「当たり前」としかみなされないからではないか。
たとえば、僕が母親に仕えても、親がそれだけいい人だったとか、偉大だからだとい
う具合だ。
最近聞いた曲に、「吾亦紅」という歌謡曲がある。あなたの偉大さを知った、という
母への慕情が美しい旋律で歌われている。人の心を打つ名曲といっていい。
ただ、介護の真っ最中、その相手をまかり間違っても「偉大だ」とは思えない。そん
なものなのだ・・・
しかし、世間の人は、そんな弱音や迷いを認めない。介護者が閉じこもりがちになる
実態は、そのような世間と介護者との意識のずれにあるのに。
悔しいからこそ、声を大にして言いたい、介護者は、「当たり前」のことをしている
のではない。大物扱いであって良いんだ! 竹と同じだ。介護は、灰汁が強くなけれ
ばやっていけない。もちろん、独りよがりなことが許されないのは当然だが、それは、
別論だ。竹のように、上へ上へと、まっすぐ伸び上がって行くような介護がしたい。
僕に都合のいい話だが、我田引水と思うなかれ。
大物のイメージには、次の特徴がある。つまり、完全でないことを承知しつつ、しか
も迎合しないということ。良いか悪いかはともかく、大物として収まりがつかなく
なったとき、その人は、虐待に走るだろう。そんなことをさせてはいけない。そのた
めの安全弁を本気で考えるべき時期が来ているのだと思う。
ターによると、介護の「嫁か妻の役割」という構造が崩れているとのこと。現在は、
4人に1人の割合で、男性が介護を担っている。続き柄では、実子35・7%(息子14・
9%、娘20・8%)、配偶者(夫10・8%、妻22・5%)となっている。
男性介護者は、一般に完璧を目指して、心身に無理な負担がかかったり、地域社会と
の関係が希薄で孤立しやすいといわれる。それで、津止教授は、「介護者への直接的
支援や、地域社会との関係を保つための支援の視点が必要だ」と指摘している(毎日
新聞記事より)。ありがたい提言だ。
介護するに当たっては、あらゆる対人的な職業におけるすべてのテクニックが要求さ
れる。要するに、過酷なのだ。問題は、過酷なのに、自分もまた支援されるべき存在
とは思いにくいことだ。なぜか?
どんなに一生懸命でも、周囲から「当たり前」としかみなされないからではないか。
たとえば、僕が母親に仕えても、親がそれだけいい人だったとか、偉大だからだとい
う具合だ。
最近聞いた曲に、「吾亦紅」という歌謡曲がある。あなたの偉大さを知った、という
母への慕情が美しい旋律で歌われている。人の心を打つ名曲といっていい。
ただ、介護の真っ最中、その相手をまかり間違っても「偉大だ」とは思えない。そん
なものなのだ・・・
しかし、世間の人は、そんな弱音や迷いを認めない。介護者が閉じこもりがちになる
実態は、そのような世間と介護者との意識のずれにあるのに。
悔しいからこそ、声を大にして言いたい、介護者は、「当たり前」のことをしている
のではない。大物扱いであって良いんだ! 竹と同じだ。介護は、灰汁が強くなけれ
ばやっていけない。もちろん、独りよがりなことが許されないのは当然だが、それは、
別論だ。竹のように、上へ上へと、まっすぐ伸び上がって行くような介護がしたい。
僕に都合のいい話だが、我田引水と思うなかれ。
大物のイメージには、次の特徴がある。つまり、完全でないことを承知しつつ、しか
も迎合しないということ。良いか悪いかはともかく、大物として収まりがつかなく
なったとき、その人は、虐待に走るだろう。そんなことをさせてはいけない。そのた
めの安全弁を本気で考えるべき時期が来ているのだと思う。
人は誰でも年をとり 高齢になり 介護を必要とする
出来ることから始めましょう。
これからもよろしく