のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

頭が悪いから、こんな妙な悪文を書くのかな

2011年04月25日 15時44分44秒 | Weblog
経営評論家の勝間和代先生の

「原発事故に関する宣伝責任へのお詫びと、東京電力及び国への公開提案の開示」

という文書を見つけました。

同先生が原発推進の宣伝員だったことは承知しております。

で、思いました、

お詫びするなら、原発を宣伝したことについて、でしょ? って。

「事故に関する宣伝責任へのお詫び」なんて言われてもねぇ、

何のことやら分りませんよ、先生。

そもそも、先生の立場で、何のために事故を宣伝する責任を負っていたんですか。

「公開提案の開示」と言うのも不思議な日本語ですね。

すでに公開したものを、一体、どうまた開示しようというのでしょうか。

こんな悪文を書く人が

日本の社会で文化人として成り立っています。

それが、日本人の一人として、とても恥ずかしかったです。

事故後、毎日新聞のコラムで

この先生は、

次のような歪んだ見方を開陳してました。

すなわち、要約して紹介しますと、こうです。

津波では沢山な人が亡くなった、

他方、原発事故で誰か死んだか、

誰も死んでない!

死者の数に応じて、記事の重要度は決まるものだ
、と。

この人、原発関連のニュースなぞ、

さらりと流しておけ、という立場をお捨てになられたのでしょうか…

じっくり読んだら怒られそうなんで、

さらっと「公開提案」を読んで、

プルトリウムを燃料棒として使用する

もんじゅ高速増殖炉の宣伝をされていることが分りました

(「電力業界のあり方および政府の電力行政に対する公開提案」と題する章の

2項目「リスクを軽減する恒常的な枠組みとして(予防措置)」の4つ目をご覧ください) 。

トリウム融溶塩炉ってありますけど、これって、ナ抜けですね。

つまり、ナトリウム融溶塩炉、これが

稼働している原発というのは、もんじゅ高速増殖炉がそれにあたるわけですよね。

さて、このナトリウム融溶塩炉、

ナトリウムを冷却材に使用するわけでしょ?

水は使えない…

ということは、福島原発事故のようなことが

もしあれば、冷却材が炎上する、

しかも自衛隊がやるにしろ、消防庁がやるにしろ、

今回のような放水に意味がないという大惨事になること請け合いです。

別に、僕は、科学者ではないですが、

その程度のことは、理解できます。

音楽のイベント会場に行くのに

「暴発事故で、ピストルが危険と分った。

次回からダイナマイトを持参します」

と宣言しているようなもんです。

危ない人は、どこまで行っても危ないことを主張したがるのですね。

往生際が悪いこと、この上もなしです。

人の命を何とも思ってない、

どこまでも、飯のタネなんですね、

だから件の新聞で死亡者数のみを問題にしたがった、ということなんでしょうか。

勝間先生のような人を評して、

人は言います、

冷血漢、と。


経営評論家にとって

金儲けにいそしむのは、正しいことなのかもしれません。

いや、きっと正しいでしょう。

たとえば、経営評論家に相談した事業者が

貧困にあえぐ、というのでは誰も相談しなくなります。

プロである限りは、自分も儲け、顧客にも金儲けをさせてあげるべきです。

ただ、正しいだけでは、世の中に受け入れられると決まってません。

生じた結果について自ら責任をとる覚悟が必要です。

その覚悟がないなら、“正しさ”も、結局は、一つの言い訳にしかならんのです。

原発に即して言えば、

原子力を、もし本気でエネルギー産業として成り立たせるには、

核燃料が生み出す膨大なエネルギーを

制御する技術力を磨くとともに

コストが計上され、

廃炉を実現させるシステムが構築されていないとなりません。

つまり、核物質を利用した、その後の「後始末」を考えた上でなければ、

手出し無用なんです。

悪魔的であればあるほど、エネルギーって、魅力的に見えますよ、

しかし、人間は老い、機械には摩耗の宿命があります。

“終り”は、当然、予想すべきでした。

覚悟を持つというのは、

その予想された結果に備えることです。

事故の後、何度も聞いた「想定外です」という言葉、

当初から責任を引き受ける覚悟などなかった、と言っているに等しいです。

エネルギーが巨大で、永遠なものであるほど、

何時かはコントロール不能となります。

そうなる前に、収束する方法を射程に入れずに取り込むと、

後戻りもできず、除去不能な災厄を子孫に残します、

今回の事故のように。

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