のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

週刊朝日:室井佑月さん / 「あたしの意見は福島差別になるのだろうか」

2014年08月06日 17時28分27秒 | フクイチ原発事故
「福島への修学旅行は避けるべき」

と言っただけで、

なぜ、福島県民への‟差別”を

唱導したことになるのか――。

福島での原発事故を

「福島県の問題」と考えているからだろう。

何年か前、

広島県の高校野球の球児たちが

他校の生徒に

黙祷を求めたところ、

高野連から

「広島県への原爆投下は、広島県だけの問題」

だから、

他校の生徒を強要すべきでないとして

注意した旨の報道があった。

誤解もあったようだ。

あるサイトには、

報道をした毎日新聞が

憶測が

混じりこんだ記事だと認めたとある。

☆ 記事URL:http://blog.livedoor.jp/yswebsite/archives/29789318.html

しかし、こんな捉え方をしている人間がいて、

不思議ではない。

事実、高校野球の事例では、

大会の運営上、好ましくないということで

他校への働きかけが

抑止されたのは事実だろう。

結局、福島のことも

それと同じではないだろうか。

見捨てられた

ということが背景にあると思う。

沖縄のこと、

考えてみよう。

沖縄戦が沖縄であったのは、

誰のせいだろう?

沖縄県民か。違うでしょう。

でも、歴史的に

彼らにその責任があるかのように

荷を背負わしてきました。

すなわち、沖縄に基地の負担をずっと押し付けてきた。

そして話が原発事故に転じて、

それは、

福島県民のせい――ということに

なっているのではあるまいか。

だから平気で自分たちで何とかしろ。

避難指示は解除じゃ…

みたいな話になってしまっている。

中央のやり方は、

「俺たちゃ、関係ない」ムードだ。

それの裏返しというべきか、

放射能の脅威に触れる話になると、

県民自身が「それは差別につながる」と抗議してしまうような

救いがたい袋小路に自ら嵌まり込んでいる。

一方、室井氏は、

国のそうした棄民政策とは無縁に見える。

東京電力の発電所の事故を

現代人の直面している問題と受け止めているようだ。

だから

差別の意図はない。

たとえば、

台風による直撃を受けている最中の

地域に

何が悲しくて遠足に行くのか

という話と

全く変わらない。

それが分からんというのは、

問題のすべてを

福島県民で抱え込ませようとする

政府の思惑を

反映した結果だろう。



〔資料〕

「あたしの意見は福島差別になるのだろうか」

   週刊朝日 2014年8月1日号:室井佑月さん (7月25日(金)16時7分配信 )

☆ 記事URL:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140725-00000008-sasahi-soci

 以前書いたコラムに多くの抗議がきたという作家の室井佑月氏。福島の現状を踏まえたうえでこう主張する。

*  *  * 
 先々週、

「『美味しんぼ』問題を受け、政府は、修学旅行先として福島のモデルコースを設定し、全国の学校に提案することなどの(風評被害払拭にむけた)強化策をまとめた」

 というニュースを観て、なんでわざわざ危ない事故を起こした原発のある福島へ、全国の子どもたちを連れていかなきゃならないの、ということを書いた。政府の意見が正しいことの証明に、子どもを使うのは野蛮すぎると。

 そしたら、「福島を差別するな!」と、ものすごい数の抗議を受けた。

 あたしの意見は福島差別になるのだろうか。

 今、現在、福島に住んでいる人たちがいるのもわかる。福島では、線量の高いところも低いところもあるのも知っている。

 だが、福島ではなにも起きていないといってしまえば、東電の起こした原発事故のその後のすべてが風評被害であるというすり替えが可能になってしまう。国も東電も、被害者に対して手厚い保護など考えなくていいことになってゆく。

 現に、この国の環境を守るのが仕事の環境省の大臣が、汚染土の中間貯蔵施設建設をめぐり、「最後は金目でしょ」という発言をした。

「もっと丁寧に安全だということを説明しないと」ではない、「金でなんとかなるでしょ」ということだ。

 正直にいえば、もうこうなった以上、最後は金で解決しかないのかもしれない。が、それは事故の責任者が被害者に謝り倒し、どうかこれで勘弁してくださいというお金であるべきだ。劣悪な環境も「金を払えばいいんでしょ」という金ではない。金は金じゃんという人もいるだろうが、そういう心根の在り方が差別なんだとあたしは思う。

 政府が全国の学校の修学旅行先に福島を推奨する件だって、本当に差別されるのは、普通の家の子や貧しい家の子たち、公立の学校に通う子どもたちではないか。希望者を募っていくボランティアならともかく、全員が行く修学旅行で、裕福な家に生まれた私立の子たちが行くのかな?

 福島と隣接する県にある私立の全寮制の学校が、震災後、子どもたちを避難させた。そして、今いる生徒たちの卒業をもって、学校を閉じるらしい。

 もっと大変な環境で頑張ってる子どもたちはいるのに! そう怒る人はいるかも。でも、そういったところで、大変な環境の中で生活を強いられる子のためにはならない。それどころか、なにもなかったことにされ、逆に足を引っ張ることになる。

 あたしは自分の学校の生徒をなにがなんでも守るという選択をした、この私立校の英断を偉いと思う。

 そうそう、仲が良い大学教授の先生が、原発事故・放射能問題を、

「戦争責任問題と似ていますよね。結局、1億総懺悔で、戦争責任は追及せず、です」

 といっていた。その通りだとあたしも思う。

以上 



<参考>

「なぜ子どもをわざわざ福島へ連れていかなきゃいけないの?」

   週刊朝日  2014年7月18日号 :室井佑月さん(更新 2014/7/11 16:00)

☆ 記事URL:http://dot.asahi.com/wa/2014070900123.html%3Fpage%3D2

 原発事故の影響や集団的自衛権など国内でも、多くの問題を抱える日本。作家の室井佑月氏は「今の大人たちのやるべきこと」ができていないと憤慨する。

*  *  *
 テレビを観ていて仰(の)け反(ぞ)ってしまったよ。あたしが観たのはテレ朝のニュース。ニュースではこういっていた。

「原発事故による風評被害の払拭に向け、政府は、修学旅行先として福島のモデルコースを設定し、全国の学校に提案することなどの強化策をまとめました」

 起きたまま夢を見てしまったかと思った。だが、違った。その後、6月24日付の毎日新聞の朝刊に、「復興庁 風評対策で強化指針 『美味しんぼ』問題受け」というおなじ内容の記事が載っていたもん。

 福島県では子どもたちに甲状腺の検査を受けさせ、2次検査で穿刺(せんし)吸引細胞診を受けた子どものうち90人が悪性または悪性疑いとなり、51人が摘出手術を実施し、50人が甲状腺がん確定となったという。

 このことについて福島県は、過剰診断じゃないかといっているが、「被曝影響の解明の仕方については今後、検討する」ともいっている。

 つまり、放射能の影響かどうかまだわからないといっている。

 あたしはなぜ、全国の子どもたちをわざわざ福島へ連れていかなきゃいけないのか理解できない。



 逆じゃないの? 福島の子どもたちを、被曝の影響があるかどうかまだわからない場所から、一時でも避難させたほうがいいのでは……そういう考えになぜならない?

 事故当時よりはずいぶんマシになったとはいえ、まだ汚染水は漏れているし、まだ放射性物質も漏れている。そして、一歩間違えばさらなる大事故につながるといわれている燃料取り出し作業をしている最中だ。

 政府は福島へいって(住んで)「大丈夫」という人間が増えれば、それが真実だっていいたいのか。

 だとすれば、健康被害を受けたといっている少人数の人間は、嘘をついていることになるのか。大丈夫じゃなかった人には、大丈夫じゃなかったということが真実だろう。

 政府の意見が正しいことの証明に、子どもを使うのはやめてくれないかな。大丈夫であることの証明に、子どもを使うって野蛮すぎる。

 大丈夫じゃなかった人たちはなぜそうなったのか……そこの部分の追及・解明に命をかけることこそ、今の大人のやるべきことだとあたしは思う。

 集団的自衛権に対してもそうだよ。日本の若者も血を流さないと?

 まず先に、どうすれば日本の若者が血を流さずにすむのか。そこに命をかけることこそ、今の大人が頑張ることだろ。

 そういえば集団的自衛権の閣議決定案には、公明党の意向を踏まえ、

「紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに(中略)」

 という文が新たに明記されたとか。そんなこと当たり前だと思っていたが、当たり前のことが当たり前でなかったりするから。

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