のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「従軍慰安婦は、日本軍特有のものだった」と推測させる国民性

2013年06月04日 19時03分21秒 | Weblog
手弁当の発想で、

戦場に

売春を強いる女を連れ歩く…

自分の

戦闘能力の不安を

女の

「厭がる顔」

で打ち消そうとする

一種の足掻きだ。

この悪弊、

橋下は、

「どこでもやっている」

という。

しかし、やってないというのが

日本史の専門家の

見解だ。

橋氏の言は、

開き直りに近い妄言と解してよい。

橋下は、

米軍には詫びた、

失礼な申し出だった、と。

しかし、一般兵士に対しては

どうか。

依然として無視しているのではないか。

非常に不誠実な対応だ。

嘘の中では

生き得ないもの、それが

誇りだ。

ゆっくりとそれが死ぬのを感じる。

黙ってられないので、

従軍慰安婦が

日本軍特有のシステムだったろう根拠を

子ども時代に得た記憶を

頼りに上げておく。

(1)証言者は、元慰安婦に限らない。

元日本兵も「いた」と断言する。

生き残った慰安婦を

「本国に召還した」

と証言する連国側の将校がいる。

(2)敗戦を受け入れたとき、

「女性が暴行されるぞ、女は髪を切って

山へ逃げろ」

という指示を受けた

という昔話を

日本のおばちゃんたちみんなが

認めていた。

これは、日本兵が

出兵したとき、

銃剣を外国の女性につきつけて

「性奴隷」を

現地調達してきたことの

裏返しだ。

まさに

橋下のいう通り、

「どこでもやっている」

という認識が

そのような形での

防衛をひらめかせたのだ。

戦後、

街にパンパン(売春婦)と罵られる

女性たちが

あふれ出た。

これは、上記のような防衛意識の下、

東京にRAA(Recreation and Amusument Association)

が設立されたの皮切りで

全国展開された結果だ。

RAAは、

女性に受け入れられ易いように

「国際親善協会(または、特殊慰安施設協会)」

と称された。

貧しい普通の女性が

大量に応募したという

(袖井林二郎氏・文「論争・セックスと戦争――

橋下・石原発言に思う」〔週刊「金曜日」5・31号所収〕参照)。

なぜ、廃止されたかと言うと、

性病が蔓延したからだ。

橋下らは、

そのとき、狩り集められた

女性達の

悲惨な運命を

考えたことがあるんだろうか。

平気で

同胞である女性を

無知と

境遇の悲惨さに乗じ、

差し出す残虐な日本政府だからこそ、

“従軍慰安婦”は

あったと推察し得る。

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