裁判員裁判第1号の事件って覚えていらっしゃいますか。東京都江東区の隣人トラブル死亡事件(5月1日)として報道されていましたね。東京地裁で懲役15年の判決を受け、現在、東京高裁に控訴中らしいです。
被告となった男性へのインタビュー記事が「週刊・金曜日」という雑誌に載ってましたので紹介します。
――殺人を認めた点につきどう思うか。
「被害者とトラブル続きで、当日、『生活保護をもらっていてなんだ』などと罵倒(ばとう)され、錯乱状態になった。私自身は傷害致死だと思ったが、警察の取調担当の係長に『人が死んでいるんだ、そんなことで済むものか』『俺が今から言うからその通りの書け』と言われ、仕方なく殺意を認めた調書を書いた」
「しかし、最初の取り調べの検察官には、相手がナイフを見ても全然恐れず、『やるのか、やってみろ』などと言われ、逆に私の首に右手で突くなどしたので仕方なく刺した、と供述し、調書でそう通した。検察官に感謝していた」
「裁判では検察官たちは私を敵にして、最悪の犯罪者呼ばわりだった。法廷主任検察官にはもっとひどいことを言われた。『そのようなことはない』と言いたくとも発言することできなかった。被告人にも反対尋問の機会が欲しいと思う。本当は、事件の発端は何か、最初から殺意があったのかなどを調べて欲しかった」
――法廷で言いたいことは十分に言えたか。
「裁判の3日目に法廷で私に多少の発言を認められる機会があった。そこできちんと謝罪しようと用意していたが、発言を始めてすぐに、被害者遺族代理人に横槍を入れられ言えなかった。裁判官も『聞かれていることだけ答えるように』と制止した。こんな調子では、最悪なものになると思った。私には法廷全体が私を懲らしめようと、被害者側、証人は全力で真実以外のことを平然と口から出まかせに言っていると感じられた」
――裁判員裁判を受けた感想は?
「裁判員制度はよい制度と私は思わない。四日続けての裁判にも本当に疲れた。朝七時四〇分頃より夕方六時過ぎまでの四日間は若い人でも大変なことだ。今回の裁判は多勢に無勢で私の負けだった。私の場合は12~15年の刑と考えていたので、年齢的にも仕方ないと思う。しかし、法廷の全員が私の敵では、さすがに参った」
被告となった男性へのインタビュー記事が「週刊・金曜日」という雑誌に載ってましたので紹介します。
――殺人を認めた点につきどう思うか。
「被害者とトラブル続きで、当日、『生活保護をもらっていてなんだ』などと罵倒(ばとう)され、錯乱状態になった。私自身は傷害致死だと思ったが、警察の取調担当の係長に『人が死んでいるんだ、そんなことで済むものか』『俺が今から言うからその通りの書け』と言われ、仕方なく殺意を認めた調書を書いた」
「しかし、最初の取り調べの検察官には、相手がナイフを見ても全然恐れず、『やるのか、やってみろ』などと言われ、逆に私の首に右手で突くなどしたので仕方なく刺した、と供述し、調書でそう通した。検察官に感謝していた」
「裁判では検察官たちは私を敵にして、最悪の犯罪者呼ばわりだった。法廷主任検察官にはもっとひどいことを言われた。『そのようなことはない』と言いたくとも発言することできなかった。被告人にも反対尋問の機会が欲しいと思う。本当は、事件の発端は何か、最初から殺意があったのかなどを調べて欲しかった」
――法廷で言いたいことは十分に言えたか。
「裁判の3日目に法廷で私に多少の発言を認められる機会があった。そこできちんと謝罪しようと用意していたが、発言を始めてすぐに、被害者遺族代理人に横槍を入れられ言えなかった。裁判官も『聞かれていることだけ答えるように』と制止した。こんな調子では、最悪なものになると思った。私には法廷全体が私を懲らしめようと、被害者側、証人は全力で真実以外のことを平然と口から出まかせに言っていると感じられた」
――裁判員裁判を受けた感想は?
「裁判員制度はよい制度と私は思わない。四日続けての裁判にも本当に疲れた。朝七時四〇分頃より夕方六時過ぎまでの四日間は若い人でも大変なことだ。今回の裁判は多勢に無勢で私の負けだった。私の場合は12~15年の刑と考えていたので、年齢的にも仕方ないと思う。しかし、法廷の全員が私の敵では、さすがに参った」
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