のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

五木寛之氏 / 「『パンとサーカス』に歓声をあげる人々の表情の奥にある、声にならない悲鳴と怒声」

2015年06月21日 22時31分25秒 | 日本の現状
五木寛之氏が

6月19日発行の

日刊ゲンダイの連載中の

エッセイ、

「老後に不安のない人々 ⑤」に

――「パンとサーカス」に歓声をあげて参加する人びとの表情の奥に、声にならない悲鳴と怒声を聴かざるをえないというのは、勘ぐりすぎだろうか――と、

今の時代への思いを記しておられる

(下記〔資料-5〕参照)。

他方、社会評論家によっては、

日本人は

愚民化政策によって、

すっかり為政者に“料理”されているかのように

論じたがる人がいる。

それは、

マスコミが垂れ流す

「内閣支持率」というデマを

疑うことを知らない

あなたの頭の悪さを反映しているんだ

と思うのだけど、

後から、後から似たような人が登場するので

相手にするのも面倒になった。

しかし、今、現在、

この日本に立ち込めている不安は、

普通の庶民も

当然、共有できるほどのものだ、と思う。

五木氏は、

その不安を

同エッセイに次のように整理されていた。

笑えるほど、

的確だ。

――予感としてある不安は、国家の崩壊であり、列島全体が放射能に被爆する未来図である。円が紙くずになり、経済全体が麻痺する可能性を想像するとき、人は頭をふってそのイメージを振りはらおうとする。「心肺停止」ならぬ「“心配”停止」状態とは、そういうことだ(筆者註:文中、タイピングの関係で傍点を“”記号に変えた)――

魔法使いのように

華麗に、

かつ、ためらいなく、

国民の負担の下で国富をばらまく

安倍は、

ある意味、

頭の中を覗いて見たくなるほど、

驚異だ。

さながらSF映画、

すなわち、

こんな無責任にして下品な男が

首相だったらどうする?

と問われている

社会派の創り出したパラレル・ワールドを観せられている

心境だ。

安倍某は、不満のはけ口として最適かもしれない。

しかし、国民に必要なのは

不満のはけ口ではなく、

適切な国家崩壊を防ぐ処方箋だ。

これ以上、

安倍のような祖父を崇拝するばかりの

愚かな

ナルシストに

国を任せていたのでは

本当に

亡国してしまう…


〔資料〕

「老後に不安のない人々 ①」

   日刊ゲンダイ(2015年6月16日付〈15日発行〉)




〔資料-2〕
 
「老後に不安のない人々 ②」


  日刊ゲンダイ(2015年6月17日付〈16日発行〉)




〔資料-3〕

「老後に不安のない人々 ③」


   日刊ゲンダイ(2015年6月18日付〈17日発行〉)




〔資料-4〕

「老後に不安のない人々 ④」


   日刊ゲンダイ(2015年6月19日付〈18日発行〉)




〔資料-5〕

「老後に不安のない人々 ⑤」


   日刊ゲンダイ(2015年6月20日付〈19日発行〉)


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