のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

木村草太さん / 「法律とは――」

2016年01月13日 08時04分59秒 | 世界の中の日本
kaz hagiwara(萩原 一彦) @reservologic さんによると、

木村草太さんが

「本当に、みんなによく考えてほしいんです。法律には『よくある失敗をまとめて、それを情報共有するための手段』という面がある。だから憲法は国家の失敗集だし、民法は私人の間のトラブル集、刑法はよくある犯罪集」

と言ったらしい( kaz hagiwara(萩原 一彦)さんのツイート〔20:05 - 2016年1月11日 〕参照)。

☆ 記事URL:http://toyokeizai.net/articles/-/98631?page=4

法律というと、

規範だから、

道徳と基本的には一緒という理解があるから、

いやいや、

そうじゃなくともっと切羽詰まったものだということ、

説明されたかったんだと思う。

立憲主義でも

(何、それ?)

で済ませられないのだ。

「和魂洋才」で、

法律的思考にまで

「和式」を持ち込みたがるチンピラがいる。

安倍某のことだが、

そんなことをすれば、

近代国家ではなくなるのだ。

誰か、

分からせよと

言いたい。


〔資料〕

「学校は、なぜ「治外法権」になってしまうのか ~ 巨大組体操、PTAの背景に潜む問題」

   東洋経済(2016年01月07日)

☆ 記事URL:http://toyokeizai.net/articles/-/98631

「こんなものは教育じゃない!」という直感

木村:内田さんは組体操について「近年、これは特に危険だ」と強調されていますけれども、どういう経緯で関心を持たれたんでしょう?

内田:最初、実はさほど関心はなくて、「組体操は人が死ぬようなことはほとんど起きていないから、いいんじゃない?」と、今、僕を批判する人たちと同じようなことを思っていました(苦笑)。

それがあるとき、人から「巨大な組体操の動画があるから、見てごらん」と言われてウェブ上の動画を見てみた。その瞬間に、変わりました。危険だし、「なにコレ?」っていう感じ。こんなもん教育じゃないし、それこそ「目的に照らし合わせて絶対おかしい!」と思った。それであらためて数字を調べて、情報を発信したということです。

木村:その原因はやはり、組体操が巨大化しているということですか?

内田:そうですね。ただ、実は細かいことを言えば、危険なのは必ずしも巨大なものだけではない。たとえば肩車から落ちるのだって、1メートル以上の高さがあるし、土台はグラグラだし、上の人は何かにつかまれるわけでもない。そのまま後ろに落ちれば大事故になってしまいます。

だから「安全な方法が確立されていない中で、高いものや、見栄えのいいものを作っていく」というのが、本質的な問題ですよね。

木村:それは本当によくわかる話です。私も自分で組体操の判例を調べたところ、平成以降の事件では3件のうちひとつは、それほど高さのあるものではなかった。

昨年の秋、ピラミッドの高さを規制した自治体がいくつかありましたね。それで危険じゃなくなるのかな、という疑問もありますけれど。

内田:はい、秋に大阪市や彦根市、そしてその前の春のシーズンには愛知県の長久手市も段数に規制をかけています。教育委員会が、学校よりも先に動いて規制をかけたとみることができます。事故が起きれば、当然、責任を追及されるのは教育委員会ですから。

内田:運動会というのは、そもそも学校の中でもいちばん外側にあるもので、その種目まで国や自治体が規制するのか、という考え方が昔からある。そこに教育委員会が踏み込んだっていうのは、逆に言うと、学校が全然、変わらなかったんだなぁということですよね。

学校は今も目的や合理性ということは、考えていないんじゃないかな。 “自分たちにとっての目的”はあるけれども、子どもたちにとって合理的な理由があるかということは、全然、考えていないんだろうなと思います。

組体操の「一体感」はホンモノか?

木村:そもそも組体操って、何のためにやると考えられているんでしょうか?

内田:学校の先生って、「1年間を通じていちばん大事なことは何か」と聞くと、みんな「クラスをまとめることだ」って言うんですよ。組体操というのは特に「みんなでひとつのものを作る、一体感を作る」という象徴的なものなので、先生たちは積極的にやりたがる。

さらにそれを運動会で披露すれば、保護者も喜んで、信頼もかちえるわけですよ。その両方の意味で、先生たちに受け入れられたのではないかと思います。

木村:もうひとつ、内田さんは、先生たちは「一体感」と言うけれども、土台になっていた子たちが本当に一体感を感じていたか?という点も指摘されていましたね。

内田:そうなんですよ。僕は「一体感はできるかもしれないけれど、こんなにリスクが高いよ」と話しているので、そこはあまり踏み込まないようにしているんですけれど……。

でも「実は、一体感そのものもなかったんじゃないのか?」っていうね。やっぱりTwitterなどで寄せられる声を聞いていると、土台をやっていた人たちの苦痛や不満といったら、もう、すごいわけですよ。「ああ、こんなにも“一体感”ってなかったんだ」と思う。

でも先生たちは、本当にみんな口をそろえて「一体感がある」と言う。恐ろしいな、と思います。子どもたちは本音を口にできないですから。

木村:私も、組体操のピラミッドはやったことがないんです。背が高くて筋力がなかったので、監視役だった。見ていて掛け声だけかけるんですよ、「せい!」とか言って。それはやっぱり、土台をやっている子たちから冷たい目で見られていました(笑)。いちばん楽ですからね。

内田:(爆笑)

木村:でもね、監視役だった理由にはもうひとつ、「危なっかしいやつだと思われた」という面もあるのかもしれない(笑)。

たとえばバスケットボールの学校事故の判例(鹿児島地裁平成23年11月22日) で、「乱暴な生徒がいきなり蹴りを入れた」っていう事例があるんです。組体操のときだって、そういう生徒がいないとは言いきれないですよね。もし学校に対して確信的な不満を持つ子どもがいて土台をわざと崩したら、ものすごい事故が起きるわけです。その被害は、バスケットの比ではない。それを考えると、すごく恐ろしいことをやっているなと思いました。


木村:そういう意味で、私ももしかすると危険視されていたのかもしれません。こいつを土台にすると……ってことで監視役に。もちろんそこまで悪い人間じゃないですけれども(笑)。

内田:木村さんはないですけど(笑)、そういうリスクも、なくはないですよね。

組体操もPTAも「治外法権」の世界!?



木村:私や大塚さん(この対談のライター)がやってきたPTAの問題も、組体操と似ているところがあります。PTAというのもまさに、目的が非常に不明確な組織で、それゆえに何をやっているかわからないまま、平気で人権侵害をする、というところがある。

学校から独立した団体で、完全な任意加入団体であるにもかかわらず、現場では事実上強制で、全員が自動的に加入する形が非常に多いと言われています。

自動強制加入にするためには、当然、学校や保護者から、児童名簿をPTAの側に流さなきゃいけないんですけれど、これは個人情報保護法制に反するわけです。「プライバシーの権利(個人情報コントロール権)」に非常に無頓着なまま、話が進んでいる。

そういう人権侵害を平気でやってしまうんだけれど、本人たちは「悪いことをやっている」という自覚がまったくないところが、学校における人権侵害の特徴だな、と思います。

内田:PTAの問題って、部活動ともそっくりですよね。部活動もそもそもカリキュラムの外にあるものなので、生徒は自由に参加するものだし、先生も任意で指導するってことになる。とりわけ勤務時間外においては。なのに、先生も子どもも参加率が9割を超えているっていう(笑)。

木村:学校では本当によくそういうことが起きるんですね。強制で何かをさせるというのはたいへん恐ろしいことです。その人から時間や自由を奪うわけですから、それによって生じる弊害が非常に大きい。

とはいっても、学校で法律論を振りかざすのには、ある種の限界がある。PTAが任意加入団体であることは、法律家の誰がどうやったって覆らない論点なんですけれども、それを言ったところで現場はなかなか変わらない。部活動についても、強制が違法だとか、学習指導要領に根拠がないということを言っても、影響は微弱であろうことが予測されます。

それはなぜかというと、学校が法治主義の「治外法権」的な場所になっている、ということですね。慣習の中でやっているから、法律というものを守らなくていい場になってしまっている。

内田:治外法権! 本当にそうですよ、それこそ体罰とか、みんなそう。

先生がもし街中で誰かを殴ったら、懲戒免職になることも多い。飲酒運転もそう。でも、学校の中で先生が子どもを何発殴っても、懲戒免職になるのは数千件に1件あるかないか。大体は減給とかで終わっちゃうんです。まさに治外法権。

内田:組体操もそう。大人が2メートル以上の高さのところで作業するときは、労働安全衛生法に従わなくちゃいけないのに、それが子どもだと関係なくなるっていうね。

木村:本当に、みんなによく考えてほしいんです。法律には「よくある失敗をまとめて、それを情報共有するための手段」という面がある。だから憲法は国家の失敗集だし、民法は私人の間のトラブル集、刑法はよくある犯罪集――ということ。つまり「人間であればやってしまう失敗」というものが、そこに書いてあるわけです。

だから、「それが違法なんだ」という場合、その失敗集のチェックリストに触れているわけですから、「そうとう注意しなくちゃいけないぞ」という感覚を持ってほしい。「何か大きな問題があるはずだ」という感覚を、学校の空間にいる人みんなに持ってほしいんですね。

治外法権には、法律よりも恐ろしい制裁がある

木村:部活動の強制ということでは、今、どんな問題が生じているんですか?

内田:たとえば、部活動は今、成績評価につながってしまっているんです。聞いた話では、大学入試の面接で「あなたのいいところは?」って質問されると、多くの生徒が「部活動」のことを言う。「勉強で1番をとった」とか言う子はいない。1980年代に学力の多様化ということが言われて、部活動というものが子ども全体を見るときの大きな軸になってしまったんです。

そのため、たとえ周囲が「部活動はやらなくていいよ」と言っても「でも進学に関係があるし」ということで、やらざるをえない作用が働いてしまう。

木村:これも「治外法権」ですね。治外法権というのは、その団体内部で独自の制裁手段があるときに生じる現象です。つまり、法律に違反したら制裁があるんだけど、法律による制裁よりも、もっと怖い制裁がある空間は治外法権になる。だから自浄作用が働きにくいんですけれど。

学校のPTAや部活動もそうで、PTAに入らないことによって法的な制裁は受けないんです。しかしPTAや部活動は、独自の制裁手段をたくさん持っている。成績評価とか、いじめっていうのもそうですね。「嫌な空気になる」なんていうのも、けっこうな制裁ですし。

内田:あぁ、本当にそうです。制裁はありますね。「治外法権」って言葉、僕もこれから使わせてもらいます(笑)。

(撮影:梅谷秀司)

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