のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

安倍某の、これぞトンデモ発言。「ときにはそれ(命)をなげうて」だって。自分の命、まず、捨てろ

2016年02月03日 09時38分10秒 | 安倍某とそのお友達
安倍某が「新しい国へ 美しい国へ」という著書において

とんでもないこと言ってます。

KAZUKO@PeriKazuko さんが紹介して下さっています。

こういう内容です。

いわく、たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ云々。

結局、大本営という

旗印の下、軍人たちが守ろうとしていたのは、

「俺たちは正しかった」

という無謬妄想です。

戦争に負けたのに、未だに

「神国」

を語りたがる旧軍国主義達の末裔たち。

たまさか、米国の占領方針が変わり、職場復帰を許されたことを奇貨として 

戦争体験を風化させようとしています。

320万人も犠牲者を出しながら

ただ自分の命の安全を考え、

生きながらえた者どもに祀り上げられたら

浮かばれるものも

浮かばれず、地獄の底に沈んでしまうでしょう。

なぜ、そんな身勝手な

妄想を振り回し、

戦争責任を否定しようとするのか――。

その一旦の謎が

上掲、安倍某の言葉で明らかになりました。

kaz hagiwara(萩原 一彦)@reservologic さんが

明晰な文章で

それを分析して下さってます。

――この安倍晋三氏の文、「しかし、ときには」という部分に欺瞞が集約されてるよね。命ってのは一回投げ打ったらそれでおしまいでしょ。「時には大切にし、時には投げうち」なんてことができるわけない。そんな普遍的でもない「価値」など大切なもんか。 〔23:16 - 2016年2月2日 〕――

すなわち、

安倍某にとっては、

国民の命は、

「菌」のようなものなんでしょうね。

死滅したように見ても、

いつの間にか

繁茂しているという感覚なのですよ。

だからイスラム国を挑発して、

人質になっていた後藤さんらを処刑に至らせた後、

日本にとんぼ返りして、

やれ新年会だ、

ゴルフだなどと遊び回れたわけです。

人に命は、

その人にとっては一つしかないのだということ、

安倍晋三という

戯けに理解させるには

同じ思いを体験させるしかないのかもしれない。

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