安倍某が「新しい国へ 美しい国へ」という著書において
とんでもないこと言ってます。
KAZUKO@PeriKazuko さんが紹介して下さっています。
こういう内容です。
いわく、たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ云々。
結局、大本営という
旗印の下、軍人たちが守ろうとしていたのは、
「俺たちは正しかった」
という無謬妄想です。
戦争に負けたのに、未だに
「神国」
を語りたがる旧軍国主義達の末裔たち。
たまさか、米国の占領方針が変わり、職場復帰を許されたことを奇貨として
戦争体験を風化させようとしています。
320万人も犠牲者を出しながら
ただ自分の命の安全を考え、
生きながらえた者どもに祀り上げられたら
浮かばれるものも
浮かばれず、地獄の底に沈んでしまうでしょう。
なぜ、そんな身勝手な
妄想を振り回し、
戦争責任を否定しようとするのか――。
その一旦の謎が
上掲、安倍某の言葉で明らかになりました。
kaz hagiwara(萩原 一彦)@reservologic さんが
明晰な文章で
それを分析して下さってます。
――この安倍晋三氏の文、「しかし、ときには」という部分に欺瞞が集約されてるよね。命ってのは一回投げ打ったらそれでおしまいでしょ。「時には大切にし、時には投げうち」なんてことができるわけない。そんな普遍的でもない「価値」など大切なもんか。 〔23:16 - 2016年2月2日 〕――
すなわち、
安倍某にとっては、
国民の命は、
「菌」のようなものなんでしょうね。
死滅したように見ても、
いつの間にか
繁茂しているという感覚なのですよ。
だからイスラム国を挑発して、
人質になっていた後藤さんらを処刑に至らせた後、
日本にとんぼ返りして、
やれ新年会だ、
ゴルフだなどと遊び回れたわけです。
人に命は、
その人にとっては一つしかないのだということ、
安倍晋三という
戯けに理解させるには
同じ思いを体験させるしかないのかもしれない。
とんでもないこと言ってます。
KAZUKO@PeriKazuko さんが紹介して下さっています。
こういう内容です。
いわく、たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ云々。
結局、大本営という
旗印の下、軍人たちが守ろうとしていたのは、
「俺たちは正しかった」
という無謬妄想です。
戦争に負けたのに、未だに
「神国」
を語りたがる旧軍国主義達の末裔たち。
たまさか、米国の占領方針が変わり、職場復帰を許されたことを奇貨として
戦争体験を風化させようとしています。
320万人も犠牲者を出しながら
ただ自分の命の安全を考え、
生きながらえた者どもに祀り上げられたら
浮かばれるものも
浮かばれず、地獄の底に沈んでしまうでしょう。
なぜ、そんな身勝手な
妄想を振り回し、
戦争責任を否定しようとするのか――。
その一旦の謎が
上掲、安倍某の言葉で明らかになりました。
kaz hagiwara(萩原 一彦)@reservologic さんが
明晰な文章で
それを分析して下さってます。
――この安倍晋三氏の文、「しかし、ときには」という部分に欺瞞が集約されてるよね。命ってのは一回投げ打ったらそれでおしまいでしょ。「時には大切にし、時には投げうち」なんてことができるわけない。そんな普遍的でもない「価値」など大切なもんか。 〔23:16 - 2016年2月2日 〕――
すなわち、
安倍某にとっては、
国民の命は、
「菌」のようなものなんでしょうね。
死滅したように見ても、
いつの間にか
繁茂しているという感覚なのですよ。
だからイスラム国を挑発して、
人質になっていた後藤さんらを処刑に至らせた後、
日本にとんぼ返りして、
やれ新年会だ、
ゴルフだなどと遊び回れたわけです。
人に命は、
その人にとっては一つしかないのだということ、
安倍晋三という
戯けに理解させるには
同じ思いを体験させるしかないのかもしれない。
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