新大久保であった
反韓デモのルポルタージュです。
憎悪を吐きつけることで
何か
解決すると思ったか、
デモ隊の方の
取材も必要かな、と思いました。
彼らの主張は、
侮辱の程度を越し、
犯罪です。
その辺りの自覚が
日本国民全体にしみ込んで行かないと、
この国を
逆に滅ぼすことになりかねません。
今、しっかり膿を
出し切りたいですね。
■ 資料
「『射殺せよ!』と叫ぶデモが吹き荒れたあとの街で」
【IWJルポルタージュ】(2013/03/06)
☆ 記事URL:http://iwj.co.jp/wj/open/archives/62997
日本人、あるいは日系人が、異国で肩寄せ合って暮らす街、たとえばロスアンジェルスのリトルトーキョーのような街で、その国のマジョリティー(LAの場合ならアメリカの白人)が「ジャップを射殺せよ!」「アメリカから出て行け!」「日本人はゴキブリだ!」「東京を焼け野原にせよ!」などとプラカードを掲げ、シュプレヒコールを叫んで威圧的なデモを行ったとしたらどうか。私たちはどう感じるか。
想像するだけで、私は肌が粟立つ。血の気が引く思いがする。
現地の日本人、日系人の身の上が心配になる、というだけではない。1924年に米国で成立した割当移民法、いわゆる「排日移民法」」は、日米の対立を激化させ、最終的に戦争へ突入する遠因ともなった。移民に対する排斥は、本国の国民の激しい怒りを誘い、時に戦争に至ることすらあり得るのだ。
2013年2月17日、IWJは、新大久保で行われた、「竹島奪還デモ」を取材し、生中継を行った。それは、これまでIWJが行なってきたデモ取材とはまるで様相が異なっていた。【「竹島奪還デモ」アーカイブURL】http://iwj.co.jp/wj/open/archives/58480
「竹島奪還」という政治的目的を謳ってはいる。しかし、シュプレヒコールやプラカードの中身は、領土問題の解決や主権の主張というよりも、在日韓国人・朝鮮人らに対する、極めて過激な「ヘイトスピーチ」だった。
「不逞韓国人を射殺せよ」
「ゴキブリ朝鮮人日本から出て行け」
「ソウルを焼け野原にせよ」
「殺せ、朝鮮殺せ」
「韓国は悪、韓国は敵、よって殺せ」
このような、在日外国人への罵倒雑言と、竹島の領有権の主張と、どのような関係があるのだろうか。これは差別表現というよりも、唾を吐きかけるような侮辱である。冷静に考えてみれば、こんな表現は竹島の領土問題を解決するどころか、韓国国民の感情を刺激し、外交的解決を遠のかせることは明らかだ。
竹島は韓国が実効支配しており、日本の主張に沿った外交的解決など絵に描いた餅だ、という主張もあり得るだろう。外交的解決を望まない、という立場もありえなくはないし、軍事的手段による奪還でしか、竹島は日本の日本のもとに戻らないという考えも、考えているだけなら自由である。
だが、往来でそうした夢想を大声で主張し、威圧するとなると、話は異なる。戦争煽動につながるかもしれず、暴力の誘発も懸念される。そもそも新大久保の商店街にとっては営業妨害以外の何ものでもない。
「表現の自由」について詳しい、梓澤和幸弁護士はこう語る。「『殺せ』とか『射殺せよ』という表現は、『表現の自由』があるといっても許されるレベルではない。これは生命・身体の安定につき、『害悪の告知』をしたとして、『脅迫罪』が成立しうる」。
こうした過激なデモは、今回が初めてではないが、一部のフリー記者などを除き、ほとんどのメディアが取り上げずに静観してきた。しかし、今は個人のネット配信や、参加者らのSNSを使った情報発信によって、こうしたデモの存在が明るみになっている。何もなかったような顔をしているのは既存のメディアだけである。なかったことにはできないのだ。
我々は、差別デモと反差別抗議行動の双方を撮影し、中継でお伝えした。
侮辱の表現をストレートに伝えることで、憎悪を煽り、対立をエスカレートさせるのではないか、という懸念は我々にもあった。他方で、静観している既存メディアと同様、見て見ぬふりをしているうちに事態はどんどん悪化していくのではないか、という思いもあった。
両者の言い分を聞いて、検証番組を作ろうという声もIWJ内部で出た。両論併記であれば、政治的偏向との批判は回避できるのではないか、という意見である。だが、そうした構図では何かが決定的に欠けていた。
侮辱と、侮辱をやめろ、という声だけでは、すっぽりと抜け落ちてしまうものがある。唾を吐きかけられるように、罵詈雑言を浴びせられた当事者の声が欠けているのである。
IWJは、半ば「路上」で育まれたメディアだ、と思っている。ストリート・メディアとしてのIWJが、路上を歩いて、名も無き人の声を聞きとり、伝えることを忘れるようなことがあってはならない。
2月26日、IWJとして取材班を編成し、新大久保の街へ追加取材のために送り出した。実際にヘイトスピーチの対象となった新大久保の在日韓国人の人たちは、あのデモに対し、どのような思いを抱いたのか、丁寧に聞き取るためだ。取材にあたったのは、原佑介、ぎぎまき、芹沢あんずの3名。
若い3人を起用するのは、冒険である。若さゆえに在日コリアンの歴史も、日韓の歴史もよく知らない。ぎぎ、芹沢の2人の女性記者は新大久保に行ったことすらない。ありていに言えば3人とも「無知」である。
しかし、そうした「無知」が体当たりで「未知」とぶつかり、新鮮な目で事実を記述してゆくことこそ、ルポルタージュの原点であり、醍醐味であるとも思う。
以下、3人それぞれの視点にもとづき、侮辱デモが吹き荒れたあとの街からのルポをお届けする。
(岩上安身)
※ 3人のルポについては、記事URLにリンクさせてあるので、そちらから飛んでご覧下さい。
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