選挙の争点になるでしょう。
ただし、
本来、政治は、教育に
馴染んではいけないものです。
そこが
了解されてないと、
とんでもないことになると思います。
政治との関わり合いで
思い出すのが
「教育委員会」です。
しかし、大抵の人は、
「教育委員会」って聞いたとき、
何を思い浮かべますか。
僕は、
教科書検定です。
「歴史」が歪められるので
政治が
もっとも教育に介入してはいけない
分野です。
しかし、
危惧する気持ちを逆撫でするように、
歴史の修正がなされました。
それを思うと、もし、
教育が
選挙の争点にでもなれば、
大手を振って、益々
教育への政治の介入・癒着が
進行するだけなのでは、
という不安に駆られます。
大阪では、
橋下市長が
教育目標を首長主導で決める
条例を
大阪府と大阪市で定めました。
建前としても、
政治が教育に介入させないようにする
立場が
この条例によって
捨て去られたのです。
その結果、
日本維新の会は、
教育制度改革として
「教育委員会は要らない」
と主張するに至りました。
僕も、
理由は正反対ですが、
教育委員会は要らないです。
政治から独立してないからです。
大津の
いじめ事件が
その裏付けです。
教育機関としての
実体を有しないだけでなく、
いじめ隠ぺい組織に
堕ちてしまっているという風に見えます。
では、教育委員会を廃止して
代わりに何を作るか――。
地域密着型で
いじめ防止に特化した
機関なら作っていいかな、
と思います
(11月23日朝日新聞朝刊によると、
いじめは半年で14万件あまりあったそうです。
これに特化した行政機関を作って対応してもよいほど多いです)。
いじめを防ぐには、
多様性を許容する
教育理念を共有するのが望ましいと
思います。
日本だと、
なぜか一律であることが
尊ばれます。
その上で、子ども達に
競争を強いる傾向があるようです。
たとえば、
全国的レベルでの学力テストの実施です。
テストによる
指導も
一概に否定はできない
とは思います。
しかし、そればっかりと言うのも
寂しい話です。
競争ばっかりでは、
他人を思いやる
想像力が
貧弱になるような気がします。
大津の中学生自殺事件では、
「これは犯罪だろ」
と多くの人が
怒りの声を上げました。
その精神を忘れないようにしたいです。
想像力は、大切なのです。
また、モラル違反を
過小評価すべきではありません。
“ふざけあい”
で済ましてはいけないのは、
子ども同士で
親分・子分の関係にあるからです。
力の弱い方は、
モラルに
守られていないのです。
その意味で、
今日、新聞に掲載されていた
自民党総裁、安倍氏の
電車の座席確保の行為を卑しく感じると同時に、
いじめを論じる適格性に疑問を抱かせました
(「安倍総裁/『だから、すみませんって言ってるじゃないか』」参照/リンク)。
もっとも、
子ども間でのいじめとは異なります。
権力関係そのものです。
しかし、すべてが
そのことで
免罪符を得るということではないでしょう。
政党のボス――政党内部での序列1位の人――になれば、
JRの座席確保を
運動員や駅員にさせても許されるのでしょうか。
モラル違反が間違いなく認められ、
腹立たしかったです。
それにまた、このニュースは、
力関係の前に
モラルが吹っ飛んだだけでなく、
“自助の精神”
の希薄さを窺わせますな。
そこに、
じめと見紛う
幼稚さを見てしまいました。
ただし、
本来、政治は、教育に
馴染んではいけないものです。
そこが
了解されてないと、
とんでもないことになると思います。
政治との関わり合いで
思い出すのが
「教育委員会」です。
しかし、大抵の人は、
「教育委員会」って聞いたとき、
何を思い浮かべますか。
僕は、
教科書検定です。
「歴史」が歪められるので
政治が
もっとも教育に介入してはいけない
分野です。
しかし、
危惧する気持ちを逆撫でするように、
歴史の修正がなされました。
それを思うと、もし、
教育が
選挙の争点にでもなれば、
大手を振って、益々
教育への政治の介入・癒着が
進行するだけなのでは、
という不安に駆られます。
大阪では、
橋下市長が
教育目標を首長主導で決める
条例を
大阪府と大阪市で定めました。
建前としても、
政治が教育に介入させないようにする
立場が
この条例によって
捨て去られたのです。
その結果、
日本維新の会は、
教育制度改革として
「教育委員会は要らない」
と主張するに至りました。
僕も、
理由は正反対ですが、
教育委員会は要らないです。
政治から独立してないからです。
大津の
いじめ事件が
その裏付けです。
教育機関としての
実体を有しないだけでなく、
いじめ隠ぺい組織に
堕ちてしまっているという風に見えます。
では、教育委員会を廃止して
代わりに何を作るか――。
地域密着型で
いじめ防止に特化した
機関なら作っていいかな、
と思います
(11月23日朝日新聞朝刊によると、
いじめは半年で14万件あまりあったそうです。
これに特化した行政機関を作って対応してもよいほど多いです)。
いじめを防ぐには、
多様性を許容する
教育理念を共有するのが望ましいと
思います。
日本だと、
なぜか一律であることが
尊ばれます。
その上で、子ども達に
競争を強いる傾向があるようです。
たとえば、
全国的レベルでの学力テストの実施です。
テストによる
指導も
一概に否定はできない
とは思います。
しかし、そればっかりと言うのも
寂しい話です。
競争ばっかりでは、
他人を思いやる
想像力が
貧弱になるような気がします。
大津の中学生自殺事件では、
「これは犯罪だろ」
と多くの人が
怒りの声を上げました。
その精神を忘れないようにしたいです。
想像力は、大切なのです。
また、モラル違反を
過小評価すべきではありません。
“ふざけあい”
で済ましてはいけないのは、
子ども同士で
親分・子分の関係にあるからです。
力の弱い方は、
モラルに
守られていないのです。
その意味で、
今日、新聞に掲載されていた
自民党総裁、安倍氏の
電車の座席確保の行為を卑しく感じると同時に、
いじめを論じる適格性に疑問を抱かせました
(「安倍総裁/『だから、すみませんって言ってるじゃないか』」参照/リンク)。
もっとも、
子ども間でのいじめとは異なります。
権力関係そのものです。
しかし、すべてが
そのことで
免罪符を得るということではないでしょう。
政党のボス――政党内部での序列1位の人――になれば、
JRの座席確保を
運動員や駅員にさせても許されるのでしょうか。
モラル違反が間違いなく認められ、
腹立たしかったです。
それにまた、このニュースは、
力関係の前に
モラルが吹っ飛んだだけでなく、
“自助の精神”
の希薄さを窺わせますな。
そこに、
じめと見紛う
幼稚さを見てしまいました。
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