のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

東電に入ろう・・・で済むか?

2011年07月27日 02時19分01秒 | Weblog
東電に入ろう (倒電に廃炉)


この曲の歌詞にある

「下請け使えば平気です」

という文句に強烈なリアリティを感じました。

東電の社員って、

免震棟に立て籠もって

作業員の監視をしているらしいです。

週刊誌の作業員の取材から、

僕はその情報を得ました。

フェア―でありたい正義感を逆なでするような話です。

しかし、では、

東電の社員に危険な義務の履行を迫ればそれで済む問題なのか

と言うと、多分、違うでしょう。

実際問題として、

無理にやらせようとしたら

自分が所属する部署に

大部分の人が辞表を提出するでしょう。

そうするだろうことは容易に想像がつきます。

利他的な気持ちの旺盛な人なら

事故の隠蔽のために

嘘をつき放題の同社に対し

嫌気がさした揚句、

すでに辞職しているはずです。

となると、

この人たちを留任させるには

免震棟をより強固にするとともに

会社組織そのものが

免責の司令塔になるということを

自他共に許す環境を作らないといけません。

そのためには何をすべきか――。

怖い想像ですけど

作業員の補充は、いつの日か

一般国民に

徴兵制を敷くがごとく

「赤紙」によって実現されるのではないでしょうか。

だってね、

事故収束は10年単位で考えなければならないわけでしょう。

すでに

「逃げる権利があると思うな」

というメッセージが

政府から発せられているような気がします。

我々国民が

防波堤として想起しえるのは、

何でしょう。

…???

 
自衛隊ですか。

それとも東京消防レスキュウ隊?

楽観的にすぎやしませんか。

確かに、事故当時は、国家の非常時ですから

士気も高く、懸命に働いてくれました。

しかし、いずれは放射能拡散が日常化して

志願を募る必要が生じるのではないでしょうか。

まずは、原発での作業なのだから、

それなりに専門的な技量をもっている人に

白羽の矢が立つでしょう。

その次に、

年配で家族のない人にやってもらおうじゃないか

という空気が醸成されるでしょう。

(僕には飼い猫がいる、2匹もいる)

などと抗弁しようものなら、

留守中にチアーたちが殺処分されてしまうかもしれない。

それを本気で心配しなければならないほど、

時がたつにつれ状況が逼迫してくるんじゃないでしょうか。

杞憂に終わりますかね。

今は、福島の地元の人ががんばってくれてます。

その人たちの補充人員は、

報酬という形では確保できないと思います。

現代の病は、

「ふるさとのため」を考えて、

危険な任務を担う人たちの動機づけを

「金のため」という角度でしか

評価しない社会的な色眼鏡が成立している点にあると思います。

現に、自衛隊の放水作業につき、

毎日新聞という

大手メディアでさえ、

――彼らの放水作業は、

事故の対応策としては無意味。

ということを

首相ないし防衛省は、

百も承知の上で、

危険な任務を自衛隊員たちにやらせた。

それもこれも、アメリカの不信を洗い流すためだった。

実際、自衛隊員のパフォーマンスがなされ、

功を奏した(かのよう)。

目的は達せられたってわけで、

これは、ひとえに官邸、

とりわけ防衛大臣の英断と

それを支える自衛隊との

緊密な連絡、意思疎通のたまものだった――

という風な中身の薄い政府賛美の

記事が3ページにわたって掲載されていました。

このような見方に欠けているのは、

人の命のかけがえのなさへの思い入れです。

事故収束に向けて、

自衛隊員たちがその命を危険にさらすだけの

合理性が果たして命じられた作業にあったのかを問う視点です。

事故収束という、最も国民の切実な願いを

叶えるための

人柱にさえなりかねない危険な任務を、

たとえば、上の例のように

アメリカの不信感払拭のための、

政治絡みの手段、道具に堕させられました。

金さえ出せば

誰かが問題を解決するだろうと言う、

安易な楽観論(拝金主義)が

この国を支配しているのではないでしょうか。

そのような安易な楽観論が崩れたとき、

本格的に作業員が

強制的に一般国民から集められる

という事態に発展するんじゃないでしょうか。

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