のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

仙台の地から

2011年11月20日 20時55分09秒 | Weblog
今日は、飯舘村に行ってきました。

川俣にはバスが

行ってるそうですが、

本数がとても少ないようです。

タクシーも本社を通して欲しいと

言われました。

たまたま、僕は気のいい人に出会って

行けました。

運のいいことに、

日曜日当直の飯舘村役場の人がいらして、

避難のことについて話が聞けました。

結論を言えば、

「出て行ってる人はすでに出ている・・・」

ということでした。

村役場の方に

もうほとんど誰も顔を出さないとおっしゃってました。

飯野町だったかな、

出張所ができ、

大抵は、みなさん、そちらの方に行ってるとか。

それで、そちらにも

お邪魔しました。

何ができるか分からないですけど、

一緒に事業をしたい旨のメッセージを

メモ書きしたものを、

役所の人に

掲示板に貼りつけておいて欲しいと手渡しておきました。

この後、強行軍で石巻にも行きました。

大震災後、

どうなっているのか確かめたかったのです。

見た印象としては、

片付いてはいました。

ただ、復興は、まだまだ先でしょうね。

小ぢんまりと

まとまった幾つかの瓦礫の山が

古代遺跡のようでした。

これを、どけないとね、早く。

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4 コメント

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古代遺跡 (obichan)
2011-11-21 11:26:47
忘れられた存在の古代の遺跡、やはりそんな感じですか。
いつかはと思っていましたがとうとう行かれたんですね。

しかし風化させないために残すべきかどうか迷っているところもあるとか・・
現地の方たちのことを考えるとそれも良し悪し難しいですね。

最近、朝晩急に冷え込んできました。
くれぐれもお身体に気をつけてお過ごしくださいね。

それと、この間はありがとうございました。
渋の抜き方勉強になりました。
ちゃんと抜けてました、ご馳走さまでした。
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☆obichanさんへ (忠太)
2011-11-22 17:38:55
周りの家は、全部流されているのに、江戸時代の蔵でしょうかね。無傷で立っていました。それこそ、威風堂々です。この蔵が立った時点では、過去の災害が風化されていなかった。その証です。人情として、残したくなりますよ。

ただ、あまりに無傷過ぎて、震災の爪痕としての生々しさがなく、モニュメントしてふさわしいのかどうか異論が出そうです。

渋柿、喜んで頂けて何よりです。痩せこけた実で、送るのに少し気後れしてました。

ところで、普通に渋柿を食べるとすれば、干し柿を誰しも思い浮かべるでしょ?
でも、その干し柿が今年、かなり不足しそうです。福島の人が
「ここは、渋柿がたくさんとれる。しかし、干し柿にすると、セシウムがついて、ついて…」と嘆いておられました。干し柿ってあまり好きじゃなかったけれど、胸が痛みました。一層、あく抜きの仕方を表示して、渋柿を渋柿として売らんかな、と思いました。
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除染対象地 (kayo)
2011-11-30 22:35:32
宮城県も除染対象地域ですよね、果樹の除染法をテレビで見て茫然としました! こんな気の遠くなる様な作業をしなくてはならないとは・・本当にアタマに来ます(--#
現実的には被災地の食物が普通に売れるまでどのくらいの年月がかかるか分からないのでは・・
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☆kayoさんへ (忠太)
2011-12-01 21:42:31
果樹、延いては森林の除染は、理論的に不可能ではないんでしょう。しかし、費用がかかり過ぎ、国が破たんしても負担し切れない金額だ、という現実が徐々に理解されつつあります。

となると、除染の問題を棚に上げ、共存の道を探るしかないという風に思います。
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