のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

長谷川三千子氏 / 「積極的平和主義は時々戦争そのものになる」

2014年04月16日 02時26分22秒 | 映画
田中龍作氏によると、

安倍某の

お友達、長谷川三千子・埼玉大学名誉教授が

仰天発言をしたとのこと。

「積極的平和主義は時々戦争そのものになる」

というのだ。

☆ 記事URL:http://tanakaryusaku.jp/

15日、日本外国特派員協会での発言という。

記者とのやり取りの中で

出てきたようだ。

前後を

含めて引用すると、

次の通りだ――

 田中:積極的平和主義の下で、アメリカ海兵隊や多国籍軍がアフガニスタンなどに出かけているが、彼らは平和を実現できていない。紛争地帯では、戦闘地域と非戦闘地域の区分はない。兵站線上の自衛隊と戦闘地域とは境目がない。もし戦闘で自衛隊が死んだら、また自衛隊が市民を殺害したら、この活動に責任がとれるのか?

 長谷川:「これこそが私が指摘した積極的平和主義の問題点だと思う。積極的平和主義は常に戦争に近いところを行く。時々戦争そのものになるだろう。実際、食料かなにかを運ぶのでも殺されるだろう。戦地と非戦闘地域との境目はない。積極的平和主義とは戦地に行くことだと考えなければいけない。これが私の考える戦争と平和の重大な矛盾だ」。

 ジェーンズ記者:旧日本軍は王道を行ったか、それとも覇道だったか?
A級戦犯は無実だと思うか?

 長谷川: 「大日本帝国憲法、旧日本軍のことだが、当時、最も平和主義の伝統を持っていたのは皇室で、明治天皇の御製に「四方の海皆はらからと思う世になど波風の立ち騒ぐらむ」というのがある。すべての国は兄弟だと思うのになぜ紛争が起こるのか、という意味だ。明治時代にも近代的な憲法があった。天皇は議会に対してNOと言うことができなかった。連合国に敗れてから、平和主義ラッシュというべきものが起きた」。

 「東条元首相の戦争責任について。戦争責任という言葉は注意深く扱う必要がある。これは単に国際法上の概念で、疑わしき側面が多々ある。大沼保昭(やすあき・元東大)教授の本を読んでください。勝者がいかにしてこの概念を作ったか、敗者が非難されたか、どのように作られたかが書いてある。戦争責任、戦争犯罪という言葉を使う時には非常に注意しなければならない。もちろん戦争中に有効な国際法(ハーグ条約)はあったし、戦争中でも法に従わなければいけない。それは本当だが、戦争の罪という概念を当てはめるには注意深くなければならない」――。

田中氏は、また、

長谷川氏の説明をまとめて下さっている。

以下がそれだ――

 平和主義、パシフィスト(平和主義者)というのはいい言葉ではない。平和主義には2通りあって、ひとつは受動的平和主義、もう一つは積極的平和主義がある。(安倍首相が掲げ長谷川氏も認めるのが積極的平和主義の方だ)

 受動的平和主義とは、自分が襲われた時友人が「ゴメン、争いはしないんだ」と言って助けてくれず、死んでしまうことだ。なにもせず、オツムに花を挿して歌を歌っていれば平和に貢献していると考えているフラワー・チルドレンのことだ。

 オリバー・ストーン監督はオツムに花を挿している。フラワー・ムーブメントには20%の真実しかない。オツムに花を挿している間は、マシンガンを撃つこともできないし、スナイパーから身を隠すこともできない。花を挿しているときは人を殺すことができない精神状態だ。ひとたび戦闘が起これば役に立たない。

 積極的平和主義はまず、厳しい言葉である。PKOは時々戦争状態になるし、あるいは戦争そのものである。

 安倍首相の言う「積極的平和主義」に周辺諸国が懸念を示しているが、これはきわめて自然なことだ。積極的平和主義とは、憲法を放り出してしまおうというのではない。――

この理解に

抜け落ちている視点がある。

それは、

米国と日本の決定的な力の差だ。

長谷川氏は、

米国という虎の威を借りながら、

「虎を助ける」

などという机上の想定問答集を

拵えて、

援助しないのか

と問う。

しかし、日本が

米国の苦境を軍事的に救うかのような

建前での

議論は唯に滑稽なだけではない。

大変に自滅的だ。

世界から背を向けられて

日本は、

生き残れるほど大国じゃないからだ。

ほぼすべての物品を

日本は輸入に頼っていることを

忘れてはいけない。




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