のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

草花の髪飾り

2015年08月28日 20時20分53秒 | 世界のなぞ








みきたろだよぉ✨ @mikiitaros さんのツイート〔14:24 - 2015年8月27日 〕によると、

中国は四川省で流行ってる髪飾りらしいです....

ふ~ん、でも、

四川省でなぜ、この髪飾りが受けたのでしょう?

さて、花に関して

もう一つ、謎な話題があります。

27日に開かれた県の総合教育会議で

伊藤祐一郎鹿児島県知事がこんな珍説を披露しました。

「女の子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」

というお説です。

その際、

「それよりもう少し社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいいのかなあ」

と述べられた由です。



男女で教える内容を変えるというのは、

不合理だと思います

しかし、実学という観点から考えたら、

男子にとっても

さほど習うことに意義があると思えないですね。

これは、

僕が文系に進んだから、そう感じるのでしょうか。

しかし、教育の本当の意義って、

正直言って、

実学という尺度で測るべきではないと思います。

遠い昔の

子どもの頃を思い出して、

サイン、コサインを習ったときの感動が残っています。

数学って

美しいものです。

その一端に触れることは、

数字に押し潰されそうになったとき、

自分を支えてくれる

力の源です。

実学として生かせなくとも、

大地に咲く花を見たように人間の英知に対する素直な感動に

身を浸せるなら、

それでいいんではないでしょうか。

つまり、

四川省の髪飾りではないが、

数学を少しだけど、

齧ったお陰で頭の上に草が生えているイメージで

人と接せるようになった気がします。

人間の英知とは、

逆説的ですけれど、

人間、人間とえばるな、人間!

という謙虚さを教えてくれるものではないでしょうか。

鹿児島県知事の伊藤氏の

可笑しなところは、

サイン、コサインを習って何になるのか問う一方で、

社会の事象とか植物の花や草の名前を覚えることの意義づけが

曖昧です。

すなわち、理系的なものと文系的なものを

対立させて、

前者は女性に不必要なものと決めつけていることですな。

この価値観は、

軍隊において形成されたものです。

すなわち、武器の維持、開発が至上命題であるところにおいてこそ

機能する考え方です。

しかし、社会生活において

価値あるのは、

人殺しではありません。

そこが無反省なままだから滑稽なところが残るのではないでしょうか。

学ぶ意義づけが曖昧では

どういう知識であっても実学の観点から言って

疑問が残るはずです。

思うに、

実学の観点は、

人それぞれでいいでしょう。

教える側、

すなわち、教育政策としては、

役立つ、役立たないはひとまず置いて、

生きるに必要な

知識の基礎にあるものを

一通りは教える態度が大切でしょう。

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