のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「大正百年」の節目

2011年01月26日 11時41分15秒 | Weblog
今年は、「大正百年」なんですね。

お袋が大正生まれだったもんで感慨深いです。

毎日新聞1月25日付け朝刊に「老いに学ぶ」という記事がありました。

杉山平一氏(詩人)からの聞き取りを

ベースにした記事でした。

氏は、子どもとの同居の勧めをお断りになられたようです。

理由がふるっているんですね。

本がたくさんあるから、ということらしいです。

(お~、かっこいい)

と、ミーハー族の僕は、単純に感心しました。

でも、よく考えて、なるほどと納得しかねるものがあります。

だって、本は、所詮、紙質の物体、

邪魔なら、片付けたらええやん、

なんやったら燃やしたろか、と思いました。


ところで、同氏によると、

「詩は分からないことが許される世界」だそうです。

詩人は本音を言います、

しかし、誰にも分かりやすくは言わない――、

そこに詩人の詩人たる誇りがあるともおっしゃいます。

氏が最も恐れた詩人は、

伊東静雄氏(1906~53年)だったそうです。

初対面のとき、

「もっと小さい人かと思ってました」

と感想を述べられたそうです。

後になって、それが

「君の作品は小粒だ」という批評だったと思い当たったと言います。

(そうか、そんな風に思い当たるのか、そりゃあ、怖いわ)

と共感出来ました。

しかし、翻って

「本がたくさんあるから同居しない」

という弁明にも、同じような、

異なったメッセージが隠されているのやも、と思いました。

本というのは、作家の魂です。

友人となった作家との、本を通しての対話を家族に妨げられたくない、

というのが同居を拒む本当の理由なのかも、という気がしました。

その通りだとして、

自分に引き寄せ、僕ももっと年老い、死と直面しなければならないときになって

単に本が沢山あるというのでなく、

よき伴侶、仲間のごとくに“一緒にいたい本”

というのができるだろうか・・・

と、引きずられるように考えてしまいました。

しかし、漠然と、できるだろうかと不安がるのでなく、

作ればよろしいんでしょうね。

頑張らして頂きやす。

まだ、死ぬと歳・・・ではない・・・のだから。

現在、鞄に忍ばせている本は、

「経理の本」(高下淳子著・成美堂出版)です。

まずは、この本に友達になってもらいますか。

死の間際になって、銭勘定しそうですが。

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