諺と一般常識は、必ずしも一致しない。この言い方、分かるかな?
例を挙げると、「清貧に甘んじる」というけど、それをよしとする階層は、もう存在
せんのだよ。一般常識として語るそもそもの土台がない。
経団連の会長だとか、今揉めてる日銀総裁にはそのような美徳を求めていいだろう。
しかし、普通の人が、つまり、今日明日の食事の支度に追われている者が、自分の美
徳として「清貧」を口にすると滑稽でしかない。
こんな風に説明してしまうと、いかにも簡単そうだけど、
「分かってないな、こいつ」としか言いようのない人間の、何と多いことか。
下手くそな引用文で他人を凹ませようとする人にとって、諺は、魔法の杖だ。
しかし、「武士」って言葉があると、この現代社会に、さも武士がいるように錯覚し
てしまう手合いの、飛躍した発想には耐え難いものがあるな。
一般常識から言うと、「清貧」は、普通には成り立たない美徳だ。しかし、指摘する
と、感情的な反応をされる。たとえば、「お前、歳いくつ?」など。
つい最近、実際に、そういう目にあった。
「貧困は、恥でない」と掲示板に書き込みしてるガキがいたから、
「何を言ってる? 恥だよ、恥。恥だからこそ、貧困を無くそうとするんだよ」と教
えてやった。そうすると、逆切れされた。
(どうして?)と思った。
「清貧に甘んず」→「諺」→「一般常識」→「成人なら受容する考え」という図式の
下で、僕を裁こうとしたのかもしれない。
とりあえず、そのような挑発的な態度で、相手が接して来たときは突き放すようにし
ている。突き放すことが優しさなのだと思う。反論すれば、助けたことになる。助け
ても、逆恨みされるのが落ちだ。世の中全体が思考することを苦手としているのだ。
思うに、とても危険な亡国の兆候だ。しかし、あえて捨て置く。その方がその人の助
けになるだろう。放って置かれたら、誰でも自分で考えざるを得なくなるもの・・・。
最近、何時、人は大人になるのかが議論の焦点になっていた。
成人年齢を18歳に引き下げる動きがあるからだろう。若い内から多くを経験するのに
は基本的に賛成だ。しかし、この議論の前提には、不合理な思い込みがある。
「成人」と認めることを、「大人」扱いの正当性と結びつけていることだ。
正直言わせてもらうと、世の中、成人した子供だらけだ。人が大人になるのは、30代
後半から40代にかけてというのが的を射た見方ではないだろうか。それぐらいの年
齢にならないと、バランス感覚が身についているとは言いにくいだろう。斉藤環とい
う精神科医が成人年齢をせめて25歳に引き上げてはどうか、という話に関連させ
て、そのようなコメントをしていた。全く同感だ。
必ずしも、諺は、一般常識ではない。もちろん、一般常識がすべてではない。世の中
と自分の位置関係を正確に把握せよ、という言い方をすれば、真意に近いかな。
そう言われて、素直に納得できるなら、若くても十分に大人なのだが。
分かるかな・・・ 分かるかな・・・分かるかな・・・
例を挙げると、「清貧に甘んじる」というけど、それをよしとする階層は、もう存在
せんのだよ。一般常識として語るそもそもの土台がない。
経団連の会長だとか、今揉めてる日銀総裁にはそのような美徳を求めていいだろう。
しかし、普通の人が、つまり、今日明日の食事の支度に追われている者が、自分の美
徳として「清貧」を口にすると滑稽でしかない。
こんな風に説明してしまうと、いかにも簡単そうだけど、
「分かってないな、こいつ」としか言いようのない人間の、何と多いことか。
下手くそな引用文で他人を凹ませようとする人にとって、諺は、魔法の杖だ。
しかし、「武士」って言葉があると、この現代社会に、さも武士がいるように錯覚し
てしまう手合いの、飛躍した発想には耐え難いものがあるな。
一般常識から言うと、「清貧」は、普通には成り立たない美徳だ。しかし、指摘する
と、感情的な反応をされる。たとえば、「お前、歳いくつ?」など。
つい最近、実際に、そういう目にあった。
「貧困は、恥でない」と掲示板に書き込みしてるガキがいたから、
「何を言ってる? 恥だよ、恥。恥だからこそ、貧困を無くそうとするんだよ」と教
えてやった。そうすると、逆切れされた。
(どうして?)と思った。
「清貧に甘んず」→「諺」→「一般常識」→「成人なら受容する考え」という図式の
下で、僕を裁こうとしたのかもしれない。
とりあえず、そのような挑発的な態度で、相手が接して来たときは突き放すようにし
ている。突き放すことが優しさなのだと思う。反論すれば、助けたことになる。助け
ても、逆恨みされるのが落ちだ。世の中全体が思考することを苦手としているのだ。
思うに、とても危険な亡国の兆候だ。しかし、あえて捨て置く。その方がその人の助
けになるだろう。放って置かれたら、誰でも自分で考えざるを得なくなるもの・・・。
最近、何時、人は大人になるのかが議論の焦点になっていた。
成人年齢を18歳に引き下げる動きがあるからだろう。若い内から多くを経験するのに
は基本的に賛成だ。しかし、この議論の前提には、不合理な思い込みがある。
「成人」と認めることを、「大人」扱いの正当性と結びつけていることだ。
正直言わせてもらうと、世の中、成人した子供だらけだ。人が大人になるのは、30代
後半から40代にかけてというのが的を射た見方ではないだろうか。それぐらいの年
齢にならないと、バランス感覚が身についているとは言いにくいだろう。斉藤環とい
う精神科医が成人年齢をせめて25歳に引き上げてはどうか、という話に関連させ
て、そのようなコメントをしていた。全く同感だ。
必ずしも、諺は、一般常識ではない。もちろん、一般常識がすべてではない。世の中
と自分の位置関係を正確に把握せよ、という言い方をすれば、真意に近いかな。
そう言われて、素直に納得できるなら、若くても十分に大人なのだが。
分かるかな・・・ 分かるかな・・・分かるかな・・・
正確に・・・う~む、かなり難しい!・・ような。
て、マークですよね。マークに文字を代替させ
ることで、文字の本来の役割を見なくなってい
る傾向があるように感じます。特にインター
ネット普及後、その傾向が顕著と思います。
最近危機感を感じています。
将来を担うのは、その若い人たちでしょう。注
意を喚起したかったわけです。
自分の言葉を発するとき、誰でも主観的になり
ます。しかし、言葉を他人に通じさせようとし
たら、その言葉は、主観的でありながら、客観
的なな表現になるのではないですか。
「正確」というのも、他人に通じればよい程度
のものです。ただ、今までのどんな時代より
ヴィジョンとして、世界を見る眼を持つこと
を、各人が要求されているように感じます。