のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

論争も相手によりけり

2008年03月18日 15時53分49秒 | Weblog
諺と一般常識は、必ずしも一致しない。この言い方、分かるかな?



例を挙げると、「清貧に甘んじる」というけど、それをよしとする階層は、もう存在

せんのだよ。一般常識として語るそもそもの土台がない。

経団連の会長だとか、今揉めてる日銀総裁にはそのような美徳を求めていいだろう。

しかし、普通の人が、つまり、今日明日の食事の支度に追われている者が、自分の美

徳として「清貧」を口にすると滑稽でしかない。



こんな風に説明してしまうと、いかにも簡単そうだけど、

「分かってないな、こいつ」としか言いようのない人間の、何と多いことか。

下手くそな引用文で他人を凹ませようとする人にとって、諺は、魔法の杖だ。

しかし、「武士」って言葉があると、この現代社会に、さも武士がいるように錯覚し

てしまう手合いの、飛躍した発想には耐え難いものがあるな。



一般常識から言うと、「清貧」は、普通には成り立たない美徳だ。しかし、指摘する

と、感情的な反応をされる。たとえば、「お前、歳いくつ?」など。

つい最近、実際に、そういう目にあった。



「貧困は、恥でない」と掲示板に書き込みしてるガキがいたから、

「何を言ってる? 恥だよ、恥。恥だからこそ、貧困を無くそうとするんだよ」と教

えてやった。そうすると、逆切れされた。



(どうして?)と思った。

「清貧に甘んず」→「諺」→「一般常識」→「成人なら受容する考え」という図式の

下で、僕を裁こうとしたのかもしれない。



とりあえず、そのような挑発的な態度で、相手が接して来たときは突き放すようにし

ている。突き放すことが優しさなのだと思う。反論すれば、助けたことになる。助け

ても、逆恨みされるのが落ちだ。世の中全体が思考することを苦手としているのだ。

思うに、とても危険な亡国の兆候だ。しかし、あえて捨て置く。その方がその人の助

けになるだろう。放って置かれたら、誰でも自分で考えざるを得なくなるもの・・・。



最近、何時、人は大人になるのかが議論の焦点になっていた。

成人年齢を18歳に引き下げる動きがあるからだろう。若い内から多くを経験するのに

は基本的に賛成だ。しかし、この議論の前提には、不合理な思い込みがある。

「成人」と認めることを、「大人」扱いの正当性と結びつけていることだ。



正直言わせてもらうと、世の中、成人した子供だらけだ。人が大人になるのは、30代

後半から40代にかけてというのが的を射た見方ではないだろうか。それぐらいの年

齢にならないと、バランス感覚が身についているとは言いにくいだろう。斉藤環とい

う精神科医が成人年齢をせめて25歳に引き上げてはどうか、という話に関連させ

て、そのようなコメントをしていた。全く同感だ。



必ずしも、諺は、一般常識ではない。もちろん、一般常識がすべてではない。世の中

と自分の位置関係を正確に把握せよ、という言い方をすれば、真意に近いかな。

そう言われて、素直に納得できるなら、若くても十分に大人なのだが。

分かるかな・・・ 分かるかな・・・分かるかな・・・


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (obichan)
2008-03-19 10:45:38
>世の中と自分の位置関係を正確に把握せよ

正確に・・・う~む、かなり難しい!・・ような。
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正確さは自分にとってのそれでいいと思います (忠太)
2008-03-19 12:33:52
顔文字ってあるでしょう。あれ、文字ではなく

て、マークですよね。マークに文字を代替させ

ることで、文字の本来の役割を見なくなってい

る傾向があるように感じます。特にインター

ネット普及後、その傾向が顕著と思います。

最近危機感を感じています。

将来を担うのは、その若い人たちでしょう。注

意を喚起したかったわけです。

自分の言葉を発するとき、誰でも主観的になり

ます。しかし、言葉を他人に通じさせようとし

たら、その言葉は、主観的でありながら、客観

的なな表現になるのではないですか。

「正確」というのも、他人に通じればよい程度

のものです。ただ、今までのどんな時代より

ヴィジョンとして、世界を見る眼を持つこと

を、各人が要求されているように感じます。
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