のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

おっさん、元をたどるな ~ もう重国籍の問題は、決着がついたじゃないか

2016年09月13日 23時28分26秒 | 世界の中の日本
国民の側から見て、

「国籍は、一つだけが好ましい」

と考える利益はない。

利益があるのは、

政府だ。

もし、国籍が一つだけなら、

外交保護権が

衝突することはないはずだ。

そして

国民の一人ひとりの命を生かすも殺すも

政府の掌の中となれば、

国民は、

忠誠を誓うだろう

というわけだな。

でも、

この考え方って、

国民をとても舐めている。

そういう

傲慢な発想が成り立てばこそ、

まるで

「国籍」を認めることが

勲章を授けるように

考える人間が出てくる。

たとえば、

ミスターK
‏@arapanman さんが指摘する

――既に米国籍を取得した人でも、ノーベル賞を取れば日本人として数えられ、ミス日本がハーフだと気に入らないが、オリンピックでハーフが活躍すると「日本人より日本人らしい」持ち上げる。本当にご都合主義。判断は自分が気に入るか気に入らないかだけ。 #1134golden〔15:22 - 2016年9月13日

という事態が生じる。

挙句、

重国籍が生じているような

人物には

敵愾心まんまんだ。

池田信夫のごとき輩が

先遣隊として

探りを入れ、

「こいつ、怪しいぞ」

というサインを送る。

そのサインを受信した別の輩、

たとえば、

元通産官僚の評論家・八幡和郎などが

日本と台湾の二重国籍のままになっているなどと

騒ぎ立てる。

蓮舫さんに即して言えば寝耳に水だったろう。

その気持ちに自分を重ね、

小田嶋隆
‏@tako_ashi さんが

――混血のルーツを持つ人間に国籍処理の明示を求めるという差別的な言いがかりをつけた人間が無傷である一方で、言いがかりをつけられた側の人間が、その屈辱的な言いがかりに適切に対応できなかったことを謝罪しなければならない国で、われわれは毎日を暮らしている。〔12:46 - 2016年9月13日 〕——

と慨嘆されるのは、

「国籍」が

権利ではなく、

縛りのようなものだからだろう。

そういう意味では、

原口 一博@kharaguchi さんが

水戸黄門の印籠のごとく

「法務大臣答弁」を持ち出すのは

正論かもしれない

(同氏のツイート〔17:32 - 2016年9月13日 〕参照)。



もちろん、

書かれてあることに

異論のある人もいるに違いない。

しかし、

国家(政府)の

権限で処理すべきと

考える限り、

法的な思考が決定的に重要だろう。

その場合、

堀 茂樹
‏@hori_shigeki さんの

次のような視点が

参考になる。

――蓮舫氏の国籍をめぐってツイッター界に飛び交う言説を見ていると、極右の人も、左寄り「リベラル」の人も、国籍をまるでエスニシティの概念のように扱っている気配。これは訝しい。国籍ってのは、民族も文化も出自も超える法的概念で、国民国家における民主主義の基盤であり、それとして重要なのに…。〔20:16 - 2016年9月11日 〕——

――先般、いい政治をしてくれるなら外国人が首相で結構と言い放つTwを見かけました。代表(≠象徴)は自分達の間から出すものです。民主主義が自治、すなわち自律である以上、日本の首相は日本人でなければなりません。外国人を招聘して政治のリーダーになってもらうようでは、民主主義は万事休すです。〔5:43 - 2016年9月13日 〕——

ただ、この観点は、

法的な思考を持ち出すことで、

あたかも自説が

無色透明であるかの見せている点が危険だ。

つまり、

蓮舫さんの二重国籍問題の出発点に

よく言って、

誤解、

悪く言えば、

がせ情報が混じっていることが

ついつい

忘れ去られるからだ。

というか、

そもそもの初めから意識されていない

(拙稿「リテラ / 「蓮舫『二重国籍』報道はグロテスクな純血主義にもとづく差別攻撃だ! さらにはガセの可能性も浮上」」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/3b80ad509d480cfeaaa201a3d3568d42 )。

すなわち、

法令の解釈としては、

――蓮舫氏が85年に日本国籍を取得していたとすると、そのとき自動的に中国の法令に基づいて台湾籍(中国籍)は失っており、二重国籍というのはありえないことになる(上掲、拙稿参照)——。

この文章、

読み流さないで欲しい。

いろいろある解釈にある内で、こういう見方もある――

ということではない。

「85年」という時期は、

別として

この扱いが有権解釈、すなわち、政府が取っていた見解だ。

これ以外の

解釈は認められない。

それをよく了解した上で次に読み進んでください。

TL中には、

「85年」という

時期に関して

蓮舫氏の話が二転三転したことをもって彼女の帰責事由に挙げていた人がいた(※)。

しかし、誰だって記憶違いはあるぞ。

そこを責めるな、

と思う。

また、仮に、

――蓮舫氏が「アゴラ」や産経が述べるとおり、85年の日本国籍取得の際に台湾国籍を離脱しておらず、結果、いままで「二重国籍」であったとしても、これはそこまで目くじらをたてるような問題なのか。

 国籍法に詳しい近藤敦名城大教授も、朝日新聞9月8日付でこう解説している。

「…仮に二重国籍があったとしても、日本の国会議員、首相や大臣になる上での法的な禁止規定はなく、有権者がどう判断するかだ」。

…やはり国際法に詳しい五十部紀英弁護士がこう解説していた。

「日本国籍を選択した時点で、台湾の籍は日本の法上ではなくなるということになります。台湾で国籍が残っているかどうかは、台湾側の判断ということになります。日本においては二重国籍の問題は生じない可能性が高いと思います」

 これが国際法の専門家の常識なのだ。(上掲、拙稿参照)——


法例解釈の名において、

被選挙権を与えない者として

「(他国法との関係で想定される)重国籍者」を数える根拠はないということだ。

なぜなら、

日本法の解釈として日本の国籍を有する、

と言えるからだ。

それで十分、

民主主義の自同性(堀氏が指摘する「民主主義が自治、すなわち自律である以上、

日本の首相は日本人でなければなりません」という場合の、

政治家と国民の間にある互換的な関係)

が充足する。

その上で、たとえば、「中国(台湾)籍残留者」を国のリーダーとして

認めるかどうかなど、

上掲、リテラが引用している近藤敦名城大教授が言うように

「有権者が判断する」事柄だ。

それに関する理由につき、

小田嶋隆‏@tako_ashi さんが

――アメリカの議会には多様な民族的ルーツを持つ政治家がいて、それぞれの利益や気分を代表しています。日本にも二重国籍者や帰化国民や混血の日本人がいます。とすれば、その彼らの声を伝える議員がいてもおかしくないと私は考えます。〔13:52 - 2016年9月13日 〕——

と指摘している。

その通りではないか。

僕は、

ガッテンしちゃったよ。

にもかかわらず、

今日、

百田直樹が

次のようにツイートをしているのを知った。


転載元:想田和弘‏@KazuhiroSodaさんのツイート 〔4:08 - 2016年9月12日

うんざりするな。

百田直樹という人物の思考法は、

「元」

を探ることだ。

蓮舫さんは、残念ながら、

在日ではなくなった。

しかし、

「元」在日であったわけで、

反日の

血を引いている…

という具合だ。

しかし、そこまで言うなら、

言わしてもらおう!

おっさん、元をたどるな、と。

元をたどれば、

おっさんと蓮舫さん、

そして多分、僕とも血がつながっている。

おっさんにとって、

とても不都合な現実だろうから

もう元をたどるな。

僕だって、

想像したくない。


(※)について。

堀 茂樹‏@hori_shigeki さんが

こんなツイート。

――あ、蓮舫さん個人の事はもはや見切った。①週刊現代1993年2月6日号が掘り出されいるのを見つけた。そこでは、三枝成彰氏と対談する蓮舫さん(当時25歳?)が自ら「私は、二重国籍なんです」と言っている。これは他の既出資料と合わせ、昨日の蓮舫さんの言説の信憑性を完全に突き崩す。(続く)〔3:50 - 2016年9月14日 〕——

――(承前) ②日本が台湾(中華民国)を国家と認めていない為、蓮舫さんはどのみち二重国籍ではない云々の言説はアウト。台湾籍が「中国籍」として扱われるのは事実だが、「中国籍」は必ずしも「中華人民共和国籍」に非ず。日本の法務省が大陸中国の国籍法に則って在日台湾人を遇する事はあり得ない。了〔4:02 - 2016年9月14日 〕——

しかし、この見解、過度に

本人に二重国籍の認識を問い過ぎと思う。

しかも事実と

法的扱いという問題を混同されている。

犯罪の捜査ではないのだから、

たとえ、

蓮舫さん本人に二重国籍の認識があっても

日本法上、

『台湾籍は、離脱した』

という扱いであっても違法ではない。

日本法が

旧籍の離脱を

「日本籍取得」の

効力要件にせず、

単なる努力規定になっているのは、

他国における

国籍法の

規制の仕方が一律でなく、

そんなことに

国籍の有無をかからせる

不安定性を

避けるためだろう。

しかし、

国籍の離脱につき、

努力するのは、

誰かという問題がある。

冒頭、述べたように、

国籍は、

外交上の保護要件として

政府の権限を規制するものだとしたら、

政府こそ、

「離脱」する

努力義務を負っていると考えられる。

ただ、至って個人的な事柄だから、

その努力義務を当該個人に

委ねた

という風に理解すべきではないか。

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