テレビで、元アイドルの清水由紀子さんの死を報じていました。介護疲れというのが大方の見方のようでした。報道によると、清水さんの後方で、お母さんが車いすの上で、意識不明になっていたそうです。助けを求めなかったことからすると、お母さんは認知症だったのでしょうか。
ところで、厚労省調べでは、介護者の4分の1は、うつ病になるとのことです。角田とよ子さんという介護電話相談室長が最近「殺したい」「死にたい」という切迫した内容の相談が増えているとの指摘をされておりました。ただ、ニュースを見ていて、気になったのは、介護者同士で交流すれば、苦労が笑いになるという楽観的な解決策を提示していたことです。僕に関して言うと、交流したくとも、時間的余裕がありません。そういう現実をどう考えてくれているのかと、正直、思いました。。。
しかし、ぼやいていても始まらないですね。自分を信じて、自分を相談相手にして解決策を模索するしかありません。その場合の難点は、認知症者の問題行動の理解の仕方でしょうか。前の記事で、体調が問題行動を誘発することがあるというお話をしました。しかし、体調に異変がなくても徘徊等の行動が見られる場合があるわけです。それを、どう理解すべきでしょうか。いわゆる中核症状に関連した問題です。
「逆進性」についての知識が一つのカギになると考えます。認知症になると時代を遡って生きるようになるということです。リンクさせてあるサイトに分かりやすい説明がありますので、引用します。
≪ 認知症の記憶障害は逆進性といって、最近の記憶からどんどん逆に進んで昔の体験に戻っていくわけです。例えば、施設に入所したAさんが入所時は「だんなを看取ってきた」と言っていましたが、2年後には「だんなが待っているから帰ります」とだんなが生き返り、4年後には「結婚なんかしていませんよ」とだんなの存在そのものがなくなってしまうというように、です。もっと進行すると鏡に映る自分を自分だと認知できず鏡の自分と話をしたりすることもあります。つまり自分の記憶にある自分は、こんなしわくちゃ婆じゃなくて、もっとぴちぴちしている自分なのです≫云々。
老醜(ろうしゅう)と言われるけれど、若返る老いに愉快さ、美しさを感じる包容力が大切という気がします。もちろん、いきなりは、親の行動をそんな風には受け止められないでしょう。介護の当初は、「我慢」(第一ステージ)かもしれないです。しかし、この「我慢」の時期を大事にもてなしていると、介護の質が人のやれないことをやっている、という「自慢」の段階(第二ステージ)へと移行します。この段階の特徴は、僕が、私がという、我執の世界です。自分がいるからこの人も生きていられるんだ、という思いあがった気持ちでやる介護だと言えます。鼻もちならないです。それでも、第一ステージと比べると、介護者自身にとって介護が趣味のような状態になっている点で、はるかに救われている面があります。好きこそものの上手なれ、です。
「我慢」と「自慢」の過程を経て後に、「爛漫」な介護(第三ステージ)へと、介護の質が一挙に高まるのではないかと考えています。ここまで来たら、生死を越えるでしょう。支えたい一心があるだけの、喜悦が爛漫な介護です。支えることで、逆に支えらる老いの愉快さ、美しさを感得するでしょう。
思うに、僕は、まだ「自慢」の段階にいます。我執を抜けきっていません。趣味といっても、日々の気持ちのありように大いに影響されます。油断すると、寂しさが後ろから追いかけて来るような感じです・・・
清水由紀子さんも、僕と同じく第二ステージの、この「自慢」の世界に生きていたのではないでしょうか。そして、追ってくる寂しさに堪え得なくなったのではないか、それなら分かるような、しかし、残念な自死でした。
ところで、厚労省調べでは、介護者の4分の1は、うつ病になるとのことです。角田とよ子さんという介護電話相談室長が最近「殺したい」「死にたい」という切迫した内容の相談が増えているとの指摘をされておりました。ただ、ニュースを見ていて、気になったのは、介護者同士で交流すれば、苦労が笑いになるという楽観的な解決策を提示していたことです。僕に関して言うと、交流したくとも、時間的余裕がありません。そういう現実をどう考えてくれているのかと、正直、思いました。。。
しかし、ぼやいていても始まらないですね。自分を信じて、自分を相談相手にして解決策を模索するしかありません。その場合の難点は、認知症者の問題行動の理解の仕方でしょうか。前の記事で、体調が問題行動を誘発することがあるというお話をしました。しかし、体調に異変がなくても徘徊等の行動が見られる場合があるわけです。それを、どう理解すべきでしょうか。いわゆる中核症状に関連した問題です。
「逆進性」についての知識が一つのカギになると考えます。認知症になると時代を遡って生きるようになるということです。リンクさせてあるサイトに分かりやすい説明がありますので、引用します。
≪ 認知症の記憶障害は逆進性といって、最近の記憶からどんどん逆に進んで昔の体験に戻っていくわけです。例えば、施設に入所したAさんが入所時は「だんなを看取ってきた」と言っていましたが、2年後には「だんなが待っているから帰ります」とだんなが生き返り、4年後には「結婚なんかしていませんよ」とだんなの存在そのものがなくなってしまうというように、です。もっと進行すると鏡に映る自分を自分だと認知できず鏡の自分と話をしたりすることもあります。つまり自分の記憶にある自分は、こんなしわくちゃ婆じゃなくて、もっとぴちぴちしている自分なのです≫云々。
老醜(ろうしゅう)と言われるけれど、若返る老いに愉快さ、美しさを感じる包容力が大切という気がします。もちろん、いきなりは、親の行動をそんな風には受け止められないでしょう。介護の当初は、「我慢」(第一ステージ)かもしれないです。しかし、この「我慢」の時期を大事にもてなしていると、介護の質が人のやれないことをやっている、という「自慢」の段階(第二ステージ)へと移行します。この段階の特徴は、僕が、私がという、我執の世界です。自分がいるからこの人も生きていられるんだ、という思いあがった気持ちでやる介護だと言えます。鼻もちならないです。それでも、第一ステージと比べると、介護者自身にとって介護が趣味のような状態になっている点で、はるかに救われている面があります。好きこそものの上手なれ、です。
「我慢」と「自慢」の過程を経て後に、「爛漫」な介護(第三ステージ)へと、介護の質が一挙に高まるのではないかと考えています。ここまで来たら、生死を越えるでしょう。支えたい一心があるだけの、喜悦が爛漫な介護です。支えることで、逆に支えらる老いの愉快さ、美しさを感得するでしょう。
思うに、僕は、まだ「自慢」の段階にいます。我執を抜けきっていません。趣味といっても、日々の気持ちのありように大いに影響されます。油断すると、寂しさが後ろから追いかけて来るような感じです・・・
清水由紀子さんも、僕と同じく第二ステージの、この「自慢」の世界に生きていたのではないでしょうか。そして、追ってくる寂しさに堪え得なくなったのではないか、それなら分かるような、しかし、残念な自死でした。
それにアドバイス通りにできるかといえば、それも性格によってはできる人できない人がいるでしょうね。
彼女は、大丈夫私するからってあの笑顔で言ってしまう人だったように思います。現に妹さんと3人暮らしにも関わらず、死に急ぐということがそれを実証していますね。本当に残念です。
「介護が趣味」好きこそものの上手なれ、忠太さんらしい考え方ですね。覚えておきます。
由紀子さんは、一人で苦労を背負い込んで、結局、周りの人を苦しめる材料を作ってしまったのですね。介護の心得その一は、「一人で苦労を背負い込まない」ということです。守れないとどうなるか、悲しい事例を彼女は残したわけです。せめて彼女を心に刻み込んで、同じような事件の起きないことを願います。
1人で、24時間介護を毎日は確かにきつい。
もっと、いろいろな方法で、自分が壊れる前になんとかできたのではないかとくやまれます。
私は、ショートステイに勤務していますが、テレビで、ショートも2ヶ月前でないと予約が取れないというのをやっていました。
うちのところは1ヶ月前ですね。基本は。
でも急遽入所される方もあり、1床はベットを空けているみたいです。
突然、身内の葬式が入り看られないとか。介護者が腰を痛めたとか。急なものにも対応できるようにはしているようです。
もっとサービスを使いやすいものにしなくては。
世間的にも使うのが普通くらいにしていかないといけないと思います。
本当に必要な人に適切にサービスを届けたい。
本当にスウェーデンのようになるなら、税金たくさん出してもいいのにと思います。
大事な人も自分も幸せに暮らせる世の中にしたいですね。
福祉のあり方が杜撰だと人の心がすさびます。草創期の苦労で済めばいいのですが・・・