一昨日は、トイレ介助のとき、お袋は立ってくれました。
時間にして3秒、自分の足で立ってくれれば、
トイレ介助は、何とかOK!
しかし、1秒も無理という状態では難しいです。
昨日は、トイレに連れて行くだけ、でした。
排尿のあるなしが幸不幸の分かれ目な気がし、気が気ではありません。
デイサービスも今は行ってません。
今年初め、1月4日のことですが、デイの職員から
「もう、お母さんは医療の手に任せたら」、とアドバイスを頂きました。
(何、言うとんねん!)
ケアーマネージャに電話を入れ、新たな受け入れ口を探しました。
何日かして見つかったのはいいのですけど、僕の方が引いてしまいました。
(お袋が何時死ぬかも知れんじゃないか)
という思いにとりつかれたからです。
正月、僕が母親を甲斐がいしく介護している姿を見て義兄が言いました。
「お母さんはそれでいい。しかし、自分はどうする?」
「誰も当てにはしてない。介護ってな、辛い仕事やで。親子でも
殺人に至る場合がある。兄弟ではなおさらや」
と、答えました。義兄は、うんうん頷(うなず)きながら、
「医療機関に任せたらいい」と気軽に言ってくれました。
表現からして似ているでしょう。
きっとデイサービスの職員と考えが同じな証拠です。
頭の中身がきっと同じなのですよ!
(病気にならんかったらどうするんや)
と言ってやればよかったです。
現にお袋は、さし当たって、
通院しなければならないような病気を持っていません。
“最後は、医療機関に任せる”という発想が気に食わないのは、
まさに、この点ですね。
最後の最後、野たれ死んでやる~!!
と、最近、とみに思います。
時間にして3秒、自分の足で立ってくれれば、
トイレ介助は、何とかOK!
しかし、1秒も無理という状態では難しいです。
昨日は、トイレに連れて行くだけ、でした。
排尿のあるなしが幸不幸の分かれ目な気がし、気が気ではありません。
デイサービスも今は行ってません。
今年初め、1月4日のことですが、デイの職員から
「もう、お母さんは医療の手に任せたら」、とアドバイスを頂きました。
(何、言うとんねん!)
ケアーマネージャに電話を入れ、新たな受け入れ口を探しました。
何日かして見つかったのはいいのですけど、僕の方が引いてしまいました。
(お袋が何時死ぬかも知れんじゃないか)
という思いにとりつかれたからです。
正月、僕が母親を甲斐がいしく介護している姿を見て義兄が言いました。
「お母さんはそれでいい。しかし、自分はどうする?」
「誰も当てにはしてない。介護ってな、辛い仕事やで。親子でも
殺人に至る場合がある。兄弟ではなおさらや」
と、答えました。義兄は、うんうん頷(うなず)きながら、
「医療機関に任せたらいい」と気軽に言ってくれました。
表現からして似ているでしょう。
きっとデイサービスの職員と考えが同じな証拠です。
頭の中身がきっと同じなのですよ!
(病気にならんかったらどうするんや)
と言ってやればよかったです。
現にお袋は、さし当たって、
通院しなければならないような病気を持っていません。
“最後は、医療機関に任せる”という発想が気に食わないのは、
まさに、この点ですね。
最後の最後、野たれ死んでやる~!!
と、最近、とみに思います。
おかしかったときに一時入所してもらったことがありました。
そこではリハビリに義母が手伝いに毎日通っていましたが、
容態がましになったら自宅介護に戻るという方法をとってました。
そういう使い方もあると思うのですが…
でも叫びたい時ってありますよね。
ここはそれが出来る場ですよね。
誰かが聞いてくれてる、知ってくれてる。
どうか、少しでも気分が晴れますように…
自分が母としての立場からしてみれば、
家族に負担をかけるのは辛いものです。
申し訳ないって思います。
忠太さんだってご自分で言ってるでしょう?
「誰もあてにしてない」って。。。
元気なうちは、みんなそう思っていると思うんですよね。
あとはやはり介護する人(いずれ残される者)の気持ち次第だと思います。
私は自分の悔いの無いようにするしかないと思っています。
しかし、正味、僕の場合は、ほったかされるでしょうね。
自分で思うけど、可愛くないんです。。。
でも、おびちゃんのお陰で元気が出てきました。
ありがとう