(俺たちは悪くない)
と言わんばかりの高村副総裁の
「日本政府の警告にもかかわらず、テロリストの支配地域に入ったことは、
どんなに使命感が高くても、
真の勇気ではなく蛮勇と言わざるを得ない」
というコメントには
改めて、
怒りが込みあげてくる。
批判される前に
誹謗中傷してやれというあざとさが目立つ。
素直に
詫びるべきではないのか。
火あぶりの、
ヨルダンのパイロット処刑風景と比較しても、
湯川さん、後藤さんは
イスラム国にとって
そもそも処刑対象にリストアップされていなかったと思われる。
それが
安倍某の軽佻浮薄な言動によって
急きょ、処刑の対象にされてしまったのだろう。
日本人であるなら
国を頼りにするなって?
それもいいだろう、
だったら、安倍某に
“戦争ごっこ”の司令官よろしく
「テロに屈しない」みたいな発言をさせるな。
3日の閣議で、
「イスラム国」による邦人人質事件をめぐる政府の対応について
「あらゆる手段を講じてきた。適切だった」
とする答弁書を決定したとのことだ
(きっこ@kikko_no_blog さんのツイート〔15:27 - 2015年2月3日〕参照)。
世間では、
これを口裏を合わせたという。
適切でなかったからこそ、
こういう言い訳を確認し合わなければならないのだ。
高村某には、
こう言ってやろうか。
「そもそも救出交渉は、ヨルダン任せだった。
講じてきた手段が適切だったか否かはヨルダンに聞け」と。
〔資料〕
「高村副総裁、後藤さんめぐり発言 『真の勇気ではない』 」
共同通信(2015/02/04 11:37)
☆ 記事URL:http://www.47news.jp/smp/CN/201502/CN2015020401001016.html
自民党の高村正彦副総裁は4日、過激派「イスラム国」に殺害されたとみられる後藤健二さんについて「日本政府の警告にもかかわらず、テロリストの支配地域に入ったことは、どんなに使命感が高くても、真の勇気ではなく蛮勇と言わざるを得ない」と党本部で記者団に述べた。
同時に「亡くなった方にむちを打つつもりはない」とした上で「後藤さんの遺志を継ぐ人たちには、細心の注意を払って行動してほしい」と呼び掛けた。
外務省は、後藤さんに対し計3回にわたり渡航自粛を要請していた。
と言わんばかりの高村副総裁の
「日本政府の警告にもかかわらず、テロリストの支配地域に入ったことは、
どんなに使命感が高くても、
真の勇気ではなく蛮勇と言わざるを得ない」
というコメントには
改めて、
怒りが込みあげてくる。
批判される前に
誹謗中傷してやれというあざとさが目立つ。
素直に
詫びるべきではないのか。
火あぶりの、
ヨルダンのパイロット処刑風景と比較しても、
湯川さん、後藤さんは
イスラム国にとって
そもそも処刑対象にリストアップされていなかったと思われる。
それが
安倍某の軽佻浮薄な言動によって
急きょ、処刑の対象にされてしまったのだろう。
日本人であるなら
国を頼りにするなって?
それもいいだろう、
だったら、安倍某に
“戦争ごっこ”の司令官よろしく
「テロに屈しない」みたいな発言をさせるな。
3日の閣議で、
「イスラム国」による邦人人質事件をめぐる政府の対応について
「あらゆる手段を講じてきた。適切だった」
とする答弁書を決定したとのことだ
(きっこ@kikko_no_blog さんのツイート〔15:27 - 2015年2月3日〕参照)。
世間では、
これを口裏を合わせたという。
適切でなかったからこそ、
こういう言い訳を確認し合わなければならないのだ。
高村某には、
こう言ってやろうか。
「そもそも救出交渉は、ヨルダン任せだった。
講じてきた手段が適切だったか否かはヨルダンに聞け」と。
〔資料〕
「高村副総裁、後藤さんめぐり発言 『真の勇気ではない』 」
共同通信(2015/02/04 11:37)
☆ 記事URL:http://www.47news.jp/smp/CN/201502/CN2015020401001016.html
自民党の高村正彦副総裁は4日、過激派「イスラム国」に殺害されたとみられる後藤健二さんについて「日本政府の警告にもかかわらず、テロリストの支配地域に入ったことは、どんなに使命感が高くても、真の勇気ではなく蛮勇と言わざるを得ない」と党本部で記者団に述べた。
同時に「亡くなった方にむちを打つつもりはない」とした上で「後藤さんの遺志を継ぐ人たちには、細心の注意を払って行動してほしい」と呼び掛けた。
外務省は、後藤さんに対し計3回にわたり渡航自粛を要請していた。
真の勇気ではなく蛮勇と言わざるを得ない」
政府の警告を看過されたことは、政府関係者にとっては不快であることは良くわかる。警告を無視されて、迷惑を掛けられる身にもなってみよ、という気持ちは良くわかる。 行動が軽率だったと非難しても良い。
しかし、自らの立場から、行動の発露となった人の精神や生き方を貶める言説は、発言者の精神や生き方を自ら貶めてしまっている。 このような発言は、真の勇気があるのであれば、なされることは出来ない。
吉田松陰の例を挙げよう。
松陰の密航未遂行為は軽率とののしっても良い。
彼の計画が軽はずみで、思想は軽薄だったとののしっても良い。
しかし、彼の勇気が偽物で蛮勇に過ぎないと決めること、どうのような高みに上った人間ならばできるだろうか?
仰る通りです。高村副総裁さんの発言に違和感を感じるのは、後藤さんがすでに鬼籍に入っているということもあります。
また、後藤さんにとって「イスラム国」は、さほど怖いものでなかった。しかし、現政権にせいで怖いものになったという点も見逃すこともできません。
後藤さんが鬼籍に入られたから、高村蛮勇批判に違和感が出たというのは違うでしょう。
また、ISがさほど怖くなかったというのも、そうだったとしても、阿部が悪いといいたいのでしょうが、ここの論点(勇気批判)とは関係ないですよ。
鬼籍にはいろうが入るまいが、後藤さんの勇気の真偽に影響はありません。
あるのは、悪意ある批判の声を封じれるかどうかで、確かに、高村さんも人間としてそんな発言はしなかったと思いますけど、そんなことは、どうでもいいことでしょう。 論点が違いますよ。
また、後藤さんにとって出立時点ではISは怖くなかったから、勇気はたいしていらなかった?という意味にとるべきですか?
事実がそうであったとしても、後藤さんの勇気を相対化する話とは、脈略が関係しないと思いますよ。
私は自身は、ここで後藤さんの勇気の真偽についてうんぬん、しているのではありません。
ただ、行為や考えを軽率と批判するのは良いですが、人の心根を自分の尺度で測るに人は許せない気持ちになります。
高村さん、
後藤さんが鬼籍に入ったから、政府高官として発言の軽率さを反省するとか、政府の行動がイスラム国をさらに危険にした戦術面を反省するのも大事です。
しかし、それ以前に、人の心情を自分の尺度で測り、人前で表明するは、自らの人格を傷つけます。
人間として猛反省すべきです。
また、考え方はそれぞれでいいと言うのなら、そもそも、このコラムの高村氏批判は何?