のんきに介護

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このままでは、憲法が崩れる。ナチスは、緊急事態を理由に人権を停止した

2016年01月10日 22時16分27秒 | 戦争
但馬問屋‏@wanpakutennshi さんのツイート。

――朝日新聞
杉田氏
「何でもいいから憲法を変えたい。災害やテロを理由にすれば国民の理解を得られるという発想があるのは明らか」

長谷部氏
「ナチスでは緊急事態を理由に停止された人権は元に戻らなかった。そんな制度を導入していいのか」〔13:07 - 2016年1月10日 〕――



朝日の、

この記事を読んで、

(あっ、そうなのか)

と思ったこといくつかあります。

それを書き出しておきます。

1)フランスで非常事態宣言が発令されました。改憲派はこれを奇貨として、日本国憲法にはそのような規定がない、この欠陥を埋めねばならないという議論を仕掛けていますが、事実を正確に把握しないといけない。

 今回の非常事態宣言は法律を根拠にしたもので、憲法に基づくものではありません。確かにフランス憲法16条は、非常事態に際して大統領に権限を集中すると規定していますが、要件が非常に厳しいため、ドゴール政権下で1度発動されただけです。

米国憲法には、戦争中は人身保護令状の執行を停止できるという条文があるくらいで、緊急事態条項は置かれていない。置いているのはドイツです。

 連邦制国家のドイツは、立法・行政権限が州と連邦に分かれているので、緊急事態では州の権限を連邦に吸い上げる必要があるためです。その点、日本は十分に中央集権的なので、立法が必要ならさっさと国会を召集すればいい。憲法に緊急事態条項を設ける必要はありません。

2) 杉田 いずれにしても緊急事態には、憲法ではなく法律で対応すべきです。ただ、憲法に緊急事態条項を設けて、国会の関与を明記しておかないと、かえって首相や内閣の暴走を許してしまうのではないか、という懸念も一部にはあるようですが。

 長谷部 その懸念はむしろ逆で、憲法に手をつける方が危うい。憲法に緊急事態条項を新設する意味があるのは、最高裁の判例が現在認めている以上に、国民の基本的人権を制限する権能を、政府や国会に与える場合だけです。

3) 杉田 そもそもなぜ、日本国憲法には緊急事態条項がないのでしょうか。

 長谷部 ないことはない。憲法54条には「衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但(ただ)し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」とある。

 それで十分だというのが、憲法制定者の理解だったと思います。緊急事態に際して法律を作る必要があるなら国会を召集する、衆議院が解散している場合は、参院の緊急集会で対応すればいいと。


 杉田 しかし改憲派はいま、参院の緊急集会では不十分だと強調しています。たとえば、衆院議員の任期満了ギリギリに震災が起きたら、選挙ができず任期切れで衆院議員がいなくなってしまう。だから、憲法で任期を特例的に延ばすことができるよう定めておかなければならないと。憲法改正の「初手」は、任期の問題に絞ってもいいという声すら、自民党からは聞こえてきます。

 長谷部 選挙はやればいいじゃないですか。第2次世界大戦中の1942年も、日本は総選挙をやっています。そもそもなぜ、緊急事態が起きた時に国会議員がいないと困る、ということが強調されるのか不思議です。

 緊急事態が起きたら、首相や内閣が、いまある法律を使ってなんとか対処するしかない。事が起きてから、「あ! この法律をすぐに作らないと対処できない!」ということが本当にあるのか。もしあったとすると、そんな「穴」に気づかずに放置していた政府や国会の能力的欠陥で、憲法の欠陥ではありません。」
 
4) 杉田 そもそも現代においては、「通常」と「非常」の明確な線引きがきわめて難しくなっています。誰が、いつ、どこでテロを起こすか分からない。いわば通常の中に非常が織り込まれている現状において、非常事態、緊急事態にばかり注目して国民の基本的人権を制限していくと、通常の生活までもが圧殺されかねません。

 長谷部 その通りです。だから、まっとうな立憲主義国家では、緊急事態法制を実際に運用する際に、裁判所による監視と抑制の仕組みが必ず採り入れられている。憲法に緊急事態条項を置いているドイツの憲法裁判所は、国家の存立に関わる高度に政治的な問題については判断を回避するという「統治行為論」はとらず、とにかくすべてを審査します。

 日本で、必要性が乏しいにもかかわらず、緊急事態条項を憲法に置きたいのであれば、裁判所の権限の根本的な強化をあわせて憲法改正に盛り込み、「統治行為論」を無効化しなくてはなりません。同時に、最高裁の裁判官人事への政治介入を防ぐための措置も検討されるべきです。憲法に「内閣で任命する」としか規定されていない現状のまま、首相や内閣に「非常大権」的なものを与えるわけにはいきません。

さて、以上、読んでいて、

危険性は、

大災害にではなく、

緊急事態対応する政府の中にこそ

あるように思います。

改憲を欲する側の会見の殺し文句は、

上掲、2)の

「憲法に緊急事態条項を設けて、国会の関与を明記しておかないと、かえって首相や内閣の暴走を許してしまうのではないか」

という懸念ではないでしょうか。

誰が

このセリフを口にするか

考えて見ましょう。

野党です。

この視点に対して、

長谷部教授が指摘されているように

明瞭に

「その懸念はむしろ逆で、憲法に手をつける方が危うい」

と言えねばなりません。

政府側からの改憲に向けての殺し文句は、

「参院の緊急集会では不十分だと強調しています。たとえば、衆院議員の任期満了ギリギリに震災が起きたら、選挙ができず任期切れで衆院議員がいなくなってしまう。だから、憲法で任期を特例的に延ばすことができるよう定めておかなければならない」

という点でしょう。

これについて長谷部教授が仰られるには、

「選挙はやればいいじゃないですか。第2次世界大戦中の1942年も、日本は総選挙をやっています。そもそもなぜ、緊急事態が起きた時に国会議員がいないと困る、ということが強調されるのか不思議です。

 緊急事態が起きたら、首相や内閣が、いまある法律を使ってなんとか対処するしかない。事が起きてから、「あ! この法律をすぐに作らないと対処できない!」ということが本当にあるのか。もしあったとすると、そんな「穴」に気づかずに放置していた政府や国会の能力的欠陥で、憲法の欠陥ではありません。」

とのことです。

憲法に

あたかも欠陥があるかのように主張して、

改憲を許せば、

「非立憲」の流れを大いに

進めてしまうことになります。

引き返せると

甘く見て、

国民の基本的人権を制限する権能を、政府や国会に与えると、

かつてドイツのワイマール憲法が

ナチスに悪用され

基本的人権が緊急事態を理由に停止されたと同じ事態が日本でも生じます。

それはまさに、

「ナチスの手口」そのものです。

これ以上、権力の暴走を許すべきではありません。

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