のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

はざまに生きる

2010年08月05日 04時39分48秒 | Weblog
1986年製作の米映画、「プラトーン」をDVDで観ました。

実は、この映画を観た知人が何十年か前、

「映画館の中で、お教を唱えている人がいたで」

と、教えてくれました。

館内に響く、お題目や念仏の声。

(死んだ人のため葬式しとったのかな・・・人をそんな気にさせるほど、残酷なのか・・・)

という印象を受けました。

ポスターを見ても地獄絵図を連想させるものがあり、

長い間、観る気がしなくなりました。

しかし、ベトナム戦争の実態を初めて伝えた話題作という

評価が記憶の底にあり、

60歳を前にして、これではアカンと思い、観ることにしました。



戦闘場面での残酷さは、さほど感じませんでした

(ただし、村民虐殺シーンは、別。

今話題の映画「The Cove」〈日本のイルカ漁を告発した準ドキュメンタリー〉

など全然、問題にならないほど理不尽)。

それより、ハッとした場面があります。

「Rock And Roll」という言葉が飛び出したときです。

音楽用語じゃないのかといぶかるとともに、

生きた言葉に接する思いがしました。

実は、この言葉、子供の頃から違和感を持っていました。

直訳すれば「揺れと転がり」です。

それは分かるんですけど、

「と」抜きで言わなきゃ、と思ってました。

だって、英語では

「ロックンロール」

という一繋(ひとつな)がりな発音なわけでしょう?

カタカナ表記は逃げではないか、

これ、何とかならんものかという思いがずっと続いていました。

しかし、だからと言って、

単に「と」抜きで「揺れ転がり」と訳したのでは意味不明です。

他にどう訳していいか見当もつきませんでした。

それが、「プラトーン」を観ているとき、

“Rock and roll”という表現に図(はか)らずも出くわしたのです。

字幕で何と訳されていたと思います?

「戦闘準備」でした。

銃をセットするとき、安全ピンを外すため、

動作として、つまみを上下に揺らしてから卷きこむようにして

下に降ろしています。

なるほどと、ががっと、ロックンロールという言葉が

体に沁み込む感覚で了解されました。



さて、この映画のストーリは、

まだ知らない人もいるだろうから、

しゃべらないことにします。

ただ、最後の主人公の独り言を紹介します。

「自分は、彼らの間の子だ」

というものです。

彼らとは、つまり、村民の虐殺をめぐって、反目しあった上官と戦友の2人です。

自分は彼らのはざまに生きている、というわけです。

話に飛躍があるようですが、

(日本人も古来から伝わる伝統文化と、欧米の文化のはざまにいるなぁ)

と、妙なところで共感しました。

もっと具象化して言いますと、こういうことです。

心では和服を着こんでいるのに、

実際に着こなしているのは洋服だという人が日本には多くいるということ。



このような、内面の世界と外観の不一致に

思い至った際の心構えとして、孔子は、次のように述べます。

子(し)曰(いわ)く、

質(しつ)文(ぶん)に勝てば則(すなわ)ち野(や)。

文質に勝てば則ち史(し)。

文質彬彬(ひんぴん)として、然(しか)るのち君子(くんし)。[雍也]

(先生〈孔子)は、おっしゃいます、

内面の世界〈質)が自分の外観〈文)を凌駕(りょうが)すれば、

野暮(やぼ)ったい、

逆に、外観ばかりが立派だと、小賢(こざか)しい、

内面と外観が拮抗(きっこう)し、

萌え~〈彬彬)となって初めて紳士・淑女(君子)だよ――と)。

現代語訳は一応しました。

しかし、実行となると、う~ん、難しい・・・

外観が“Rock And Roll”なら、

それに拮抗するだけのものを、むしろ内に養えということですかね。

外観と心の内面は、違って当たり前。

そこを大事にし、互いを生かせよ、という教えと受け取っておきます。




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