昨日、27日に契約期限に一日遅れですが、
建物を明け渡してもらいました。
これで、A-yanとは縁が切れたと思って喜んでいたら、まだ
建物のイラストがホームページで使用されています。
ちょっと未練たらしいですな。
「生家の喪失」
だとか、A-yanの代表者と称するやんぶ君が
7月22日のブログ記事でぼやいているので、
その点について、コメントさせて頂きます。
僕は、別に、彼の生家を奪ったわけではないです。
元々、彼は、生家をすでに喪失していました。
と言いますのは、
今をさかのぼること、4年前の話です。
僕の親父が逝去しました。
そのとき、ヒミツキチとなる建物の賃借人だった人が
建物の買い取りを申し出て来られました。
相続税のこととかを慮(おもんばか)っての
好意での申し出と受け止めました。
ただ、その日は、親父が亡くなって間もなかったです。
それで、
「まるで僕の親父が死ぬのを待っていたように見えますよ」
と意見して、帰って頂きました。
次にお見えになったのは、初盆の日でした。
「よりによって、初盆にするお話ですか」と問い、
やはり、お帰り願いました。
その後、2年足らずで――記録では平成20年5月末――、
自ら賃借権を放棄され、家屋から出てゆかれました。
やんぶ君は、
厳密には、このとき、生家を喪失されたのです。
彼は、出てゆかれた方の息子さんか甥御さんでいらっしゃいました。
しかし、その縁があって、
昨年、建物の無償使用を認めてあげることになりました。
別に、彼の人となり、器に惚れ込んだからではありませんでした。
そんなに大袈裟なものでなく、
また「A-yan!!関西をアートで盛り上げるNPO」
という任意団体の活動に共鳴、共感したわけでもなかったです。
ただ、何かを期待できるかどうかなど、
実際にビジネスパートナーになって見ないと分からないと考えました。
パートナーとして組めば、
意外にも、淡い、しかし、確かな夢のような光が見えるかも知れない、
その可能性は、誰も否定しえないでしょう〈少なくとも、僕は否定しなかった)。
だから、A-yanの諸君らには自分をアピールする機会を、十分にあげました。
備品購入の申し出とともに、他のメンバーとの
顔つなぎをやんぶ君に託し、約半年間、待ちました。
結果はと言うと、黙殺でした。
それについては、前に書きましたように
(「大阪府立青少年会館 その後 (1)(2)」参照)、
「他の仲間に迷惑がかかるといけないから」という屁理屈を聞かされました
〈なぜ、屁理屈と断言できるかと言うと、
たとえ逃げ支度であったとしても、
僕がその気になれば逃げ切れない恐れがあります。
他のメンバーは、
契約関係がなければ
無関係な第三者で済むとは単純に言えないからです。
すなわち、契約のとき、A-yanのメンバーの住所録の提出を受けていますので、
それを使って、
不法行為責任を問う足がかりとしえます。
また、僕がもし、刑事上の責任として、やんぶ君を不問に付さず、
詐欺や背任の罪として訴え出れば、
他のメンバーついて、場合によっては、共犯の関係が成立しますので、
当然、警察の取り調べの対象になります。
その際、“仲間を守る”みたいな御旗を振りかざし、
仲間の契約の署名・捺印を仲介しなかったわけではありますけど、
皮肉にも、彼提供の住所録がここでも大活躍することになるでしょう。
やんぶ君は、行動で自分の言葉を裏切っているわけです。
結局、民事上、刑事上の
“迷惑”が他の仲間にかかるべくしてかかる、ということになります)。
屁理屈に付け加えて、
「返すもんなんか、何もありませんわ」
と答えたときの彼の得意気な顔、未だに忘れることができません。
憎んではいません。
しかし、生涯忘れることはないでしょう。
かくして「信頼」という、
人間関係の最も大切な基礎が崩れ去り、
彼らに賭けた夢は、はかなくも泡となって消えたのです
(「二つの挑戦」参照)。
先月、16日にA-yanのホームページに、
アベノ・ヒミツキチ終了のお知らせが掲示されました
(「A-yan!! アベノ☆ヒミツキチをアーッと盛り下がる」参照)。
それから約1カ月強、待ちに待って、今日という日を迎えました。
これを機に、
A-yanと僕とをつなぐ元となった建物の
ホームページのイラストを削除し、
さっさと衣替えを済まして欲しいと願うのみです。
申し訳ないけど、もうA-yanは卒業させてもらいました。
あしからず。
建物を明け渡してもらいました。
これで、A-yanとは縁が切れたと思って喜んでいたら、まだ
建物のイラストがホームページで使用されています。
ちょっと未練たらしいですな。
「生家の喪失」
だとか、A-yanの代表者と称するやんぶ君が
7月22日のブログ記事でぼやいているので、
その点について、コメントさせて頂きます。
僕は、別に、彼の生家を奪ったわけではないです。
元々、彼は、生家をすでに喪失していました。
と言いますのは、
今をさかのぼること、4年前の話です。
僕の親父が逝去しました。
そのとき、ヒミツキチとなる建物の賃借人だった人が
建物の買い取りを申し出て来られました。
相続税のこととかを慮(おもんばか)っての
好意での申し出と受け止めました。
ただ、その日は、親父が亡くなって間もなかったです。
それで、
「まるで僕の親父が死ぬのを待っていたように見えますよ」
と意見して、帰って頂きました。
次にお見えになったのは、初盆の日でした。
「よりによって、初盆にするお話ですか」と問い、
やはり、お帰り願いました。
その後、2年足らずで――記録では平成20年5月末――、
自ら賃借権を放棄され、家屋から出てゆかれました。
やんぶ君は、
厳密には、このとき、生家を喪失されたのです。
彼は、出てゆかれた方の息子さんか甥御さんでいらっしゃいました。
しかし、その縁があって、
昨年、建物の無償使用を認めてあげることになりました。
別に、彼の人となり、器に惚れ込んだからではありませんでした。
そんなに大袈裟なものでなく、
また「A-yan!!関西をアートで盛り上げるNPO」
という任意団体の活動に共鳴、共感したわけでもなかったです。
ただ、何かを期待できるかどうかなど、
実際にビジネスパートナーになって見ないと分からないと考えました。
パートナーとして組めば、
意外にも、淡い、しかし、確かな夢のような光が見えるかも知れない、
その可能性は、誰も否定しえないでしょう〈少なくとも、僕は否定しなかった)。
だから、A-yanの諸君らには自分をアピールする機会を、十分にあげました。
備品購入の申し出とともに、他のメンバーとの
顔つなぎをやんぶ君に託し、約半年間、待ちました。
結果はと言うと、黙殺でした。
それについては、前に書きましたように
(「大阪府立青少年会館 その後 (1)(2)」参照)、
「他の仲間に迷惑がかかるといけないから」という屁理屈を聞かされました
〈なぜ、屁理屈と断言できるかと言うと、
たとえ逃げ支度であったとしても、
僕がその気になれば逃げ切れない恐れがあります。
他のメンバーは、
契約関係がなければ
無関係な第三者で済むとは単純に言えないからです。
すなわち、契約のとき、A-yanのメンバーの住所録の提出を受けていますので、
それを使って、
不法行為責任を問う足がかりとしえます。
また、僕がもし、刑事上の責任として、やんぶ君を不問に付さず、
詐欺や背任の罪として訴え出れば、
他のメンバーついて、場合によっては、共犯の関係が成立しますので、
当然、警察の取り調べの対象になります。
その際、“仲間を守る”みたいな御旗を振りかざし、
仲間の契約の署名・捺印を仲介しなかったわけではありますけど、
皮肉にも、彼提供の住所録がここでも大活躍することになるでしょう。
やんぶ君は、行動で自分の言葉を裏切っているわけです。
結局、民事上、刑事上の
“迷惑”が他の仲間にかかるべくしてかかる、ということになります)。
屁理屈に付け加えて、
「返すもんなんか、何もありませんわ」
と答えたときの彼の得意気な顔、未だに忘れることができません。
憎んではいません。
しかし、生涯忘れることはないでしょう。
かくして「信頼」という、
人間関係の最も大切な基礎が崩れ去り、
彼らに賭けた夢は、はかなくも泡となって消えたのです
(「二つの挑戦」参照)。
先月、16日にA-yanのホームページに、
アベノ・ヒミツキチ終了のお知らせが掲示されました
(「A-yan!! アベノ☆ヒミツキチをアーッと盛り下がる」参照)。
それから約1カ月強、待ちに待って、今日という日を迎えました。
これを機に、
A-yanと僕とをつなぐ元となった建物の
ホームページのイラストを削除し、
さっさと衣替えを済まして欲しいと願うのみです。
申し訳ないけど、もうA-yanは卒業させてもらいました。
あしからず。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます