「マスコミが騒いだから政治利用ということになった」
と返答をした山本氏に対し、
どうやら
マスコミは、
反撃の感触を掴んだようです。
山本氏が
天皇に何らかの発言を求めていれば、
それに伴う
政治的な効果を期待していたと見られ、
政治利用の意図が
あったと言えるでしょう。
丁度、IOCの会合に皇室の方の出席を求め、
演説をさせた行為が
それに該当するように!!
あのときは、
与野党ともに黙っていました。
マスコミも
知らん顔をしてました。
しかし、相手が
山本太郎氏という一人会派と見るや
目の色を変えて
追求とは
ほんに卑怯者らしい対応の仕方です。
その攻撃の切り札が
ちらほらと言われ始めている
「責任の転嫁」
だという評価です。
(スポニチアネックス
「山本太郎氏 責任転嫁『マスコミが騒いだから政治利用に』」/リンク参照)。
マスコミの耳に入る、入らないの違いに
大差ないというのは、
マスコミの自己認識の甘さでしょう。
おしゃべりな友達がいて、
その人にしゃべると
すべてが他の人に筒抜けになると思える場合、
密告は、
そのおしゃべりさんに話したときでしょ?
それは、
とても自然な解釈です。
山本氏が
言わんとしたのは、
マスコミというおしゃべりさんが
間に入らない限り、
世間の耳目を集めることにならない…
少し荒っぽい理解ですが、
そうであるなら、
「マスコミが騒がない」≒「天皇に対する圧力にならない」
というわけですな。
「マスコミが騒がない」という点に
特殊な
意味を見出すことに
山本氏のマスコミに対する被害者意識めいたものが
混じってないとは言えません。
それゆえの
誤解のようなものも感じます。
マスコミが
どんなに騒いだとしても、
発言も含め、
天皇に
何らの行為も求めなかったのならば、
政治利用の意図が認められないのは明らかです。
その点に関し、
論理的な混乱が認められると解せます。
しかし、だからと言って、
被害者意識めいたもの、
それゆえの誤解を責任転嫁として
責めるか否かは、
別論です。
これだけの情報で
山本氏に
人格的非難を及ぼすのは
不当と思います。
一人の人間と巨大企業であるマスコミのパワーを
単純に同列において比較できないのは、
事実だからです。
と返答をした山本氏に対し、
どうやら
マスコミは、
反撃の感触を掴んだようです。
山本氏が
天皇に何らかの発言を求めていれば、
それに伴う
政治的な効果を期待していたと見られ、
政治利用の意図が
あったと言えるでしょう。
丁度、IOCの会合に皇室の方の出席を求め、
演説をさせた行為が
それに該当するように!!
あのときは、
与野党ともに黙っていました。
マスコミも
知らん顔をしてました。
しかし、相手が
山本太郎氏という一人会派と見るや
目の色を変えて
追求とは
ほんに卑怯者らしい対応の仕方です。
その攻撃の切り札が
ちらほらと言われ始めている
「責任の転嫁」
だという評価です。
(スポニチアネックス
「山本太郎氏 責任転嫁『マスコミが騒いだから政治利用に』」/リンク参照)。
マスコミの耳に入る、入らないの違いに
大差ないというのは、
マスコミの自己認識の甘さでしょう。
おしゃべりな友達がいて、
その人にしゃべると
すべてが他の人に筒抜けになると思える場合、
密告は、
そのおしゃべりさんに話したときでしょ?
それは、
とても自然な解釈です。
山本氏が
言わんとしたのは、
マスコミというおしゃべりさんが
間に入らない限り、
世間の耳目を集めることにならない…
少し荒っぽい理解ですが、
そうであるなら、
「マスコミが騒がない」≒「天皇に対する圧力にならない」
というわけですな。
「マスコミが騒がない」という点に
特殊な
意味を見出すことに
山本氏のマスコミに対する被害者意識めいたものが
混じってないとは言えません。
それゆえの
誤解のようなものも感じます。
マスコミが
どんなに騒いだとしても、
発言も含め、
天皇に
何らの行為も求めなかったのならば、
政治利用の意図が認められないのは明らかです。
その点に関し、
論理的な混乱が認められると解せます。
しかし、だからと言って、
被害者意識めいたもの、
それゆえの誤解を責任転嫁として
責めるか否かは、
別論です。
これだけの情報で
山本氏に
人格的非難を及ぼすのは
不当と思います。
一人の人間と巨大企業であるマスコミのパワーを
単純に同列において比較できないのは、
事実だからです。
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