のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

バンダジェフスキー博士 / 「東京は人の住むところではない」

2013年04月14日 03時07分37秒 | Weblog
1年も前の記事への

言及です。

もう、その問題、

解決済み

という方もいらっしゃるでしょう。

そういう方は、

飛ばして下さい。

あくまで、

庶民レベルでの感想です。

バンダジェフスキー博士(※)

の警告が

きちんと受け止められていないように

見受けられます。

たとえば、

2チャンネルでの反応です(リンク)。

「胡散臭い博士キタ━(゜∀゜)━! 」

などという言う書き込みを

見てると、

情けなくなります。

わざわざベラルーシからきてくれている

お医者さんを相手に、

この評価、

傲慢すぎます。

しかし、こういう反応を

後押しするかのような

判断をした専門家もいたようです。

ツイッターには

それに関する

書き込みが次のサイトに

まとまられています。

☆ 記事URL:http://togetter.com/li/273559

当時の毎日新聞の

セシウム含有量を調べた全国主要都市の

食事のサンプル調査も、

判断を歪めているのかもしれません。

アトランダムでなきゃ意味が

ないのに、

食事献立の統計調査ですよ。

そんなサンプル調査、

日本各地で公平にできますか。

かなりいかがわしい調査に思えます。

実際に、

毎日新聞に掲載されたであろう

表を転載しておきます

(上記2チャンネル参照)。



こんな風にして、

人々の間で安心・安全感が

互いに影響を与えつつ、

形成されていきます。

もちろん、

簡単には住んでいる地域を

引っ越せないでしょう。

それは、

その通りなのですが、

事実をでっちあげていい根拠になりません。

ウィキペディア情報(一部抜粋):
 1999年、ベラルーシ政府当局により、ゴメリ医科大学の受験者の家族から賄賂を受け取った容疑で逮捕・拘留された。バンダジェフスキーの弁護士は、警察によって強要された2人の証言以外に何ら証拠がないと無罪を主張したが、2001年6月18日、裁判で求刑9年・懲役8年の実刑判決を受けた。大学副学長のウラジミール・ラブコフ(Vladimir Ravkov)も8年の実刑を受けている。この裁判は政治的意図による冤罪だとして、海外の多くの人権保護団体がベラルーシ政府に抗議した。国際的な人権保護団体であるアムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)は、「バンダジェフスキー博士の有罪判決は、博士のチェルノブイリ原発事故における医学研究と、被曝したゴメリ住民への対応に対するベラルーシ政府への批判に関連していると広く信じられている。」と発表。実際にバンダジェフスキーの逮捕は彼がセシウムの医学的影響に関する研究論文を発表した直後に行われ、WHOが2001年6月4日にキエフで開催したチェルノブイリ原発事故による人体への影響に関する国際シンポジウムへの出席も不可能となった。この経緯はスイスTVの特集番組「Nuclear Controvesy(核論争)」で取り上げられた。ベラルーシ政府は『(チェルノブイリ原発事故による)放射線は人体の健康にほとんど影響しない』という見解を現在でも堅持しており、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領(1994年より独裁体制 )は「ベラルーシ国内農地の4分の1が放射能汚染を理由に放置されていることは認めがたいとして、バンダジェフスキーが逮捕された1999年に原発事故以来人々が避難していた汚染地への再入植を施政方針とした。

2001年1月13日、獄中からワシリー・ネステレンコ博士を通じてベラルーシ市民にあてた手紙 を発表し、自らの無実と共に、過去10年間ゴメリ医大で国からの援助や資金を受けずにセシウムの健康への影響を解明する研究に取り組んできたこと、自分の逮捕と収監によって結果的にゴメリ医科大学の研究活動が停止されたことへの遺憾を表明した。当時のゴメリ州の1999年の死亡率は出生率の1.6倍であり、国家存亡の危機にあると訴え、チェルノブイリ原発事故によって汚染された地域に、病理学と放射線防護の研究に関する国際独立科学センターを設立することを呼びかけた(以上、引用元の論稿中にあった注番号は、目障りなので削除)。




■資料

「バンダジェフスキー博士の警告をきちんと受け止めてください。東京の参加者へ。」

   木下黄太のブログ:「福島第一原発を考えます」(2012-03-14 04:29:23 )

☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/19c007e0f1ebe418907ac1af0c73b803

バンダジェフスキー博士はおそらく他国の人間としては、言う事のできる限界まで、講演会の参加者に語りかけています。

会場にはマスク姿が多かったですが。
Q「吸気と食べ物の観点から考えた場合、東京はどうなのか?」という問いかけに対して、

「ベラルーシで牛乳100Bq/kgの基準は甘すぎて論外。徹底的に放射性物質をとらないようにするしかない。」
「(首都圏想定の話)汚染の酷いところからは退避をするしかない。」

Q「世田谷で、一般の木造家屋内の50gで75Bqのホコリについては、このような状況で生活は続けられるのか?」という問いかけに対して、

「問題はある。」「セシウムの汚染が高ければ、すぐに健康上の問題が出る。」「汚染が低ければ、あなたの子や孫には問題が出る。」
「汚染が、どんな量でも危ない。」「危なかったら、避難するほうが良い。」

Q「セシウムは子供は危ないが、大人はどのくらいの体内汚染から危ないのか?」

「ベラルーシの汚染があった場所では、大人で元気な人はいない。」「悪化している。」「体内汚染が10Bq/kgでも危ない。」

博士は、できるかぎり、現況の危険を伝えていて、わかる限りの情報を話していました。参加者からは、「知識を得たい」という意欲は伝わりましたが、本当に、この事態に直面しようとしていたかどうかを疑う感想がありました。

「バンダジェフスキー博士は、どうして東京にいられないともっと強く言ってくれないのですか」「食べ物を気をつければなんとかいられると博士の講演を聞いておもった」防御のリミットを考えたくないあまり、これだけ博士が危険を伝えても、「東京はいられないと博士が断言しない限り東京はいられると考えたい」という反転の思考が伝わります。 「食べ物をこんなに気をつければなんとかなる」という曲解まで始まります。他の人から誘われて講演に来た人らしいので、現実に直面したくないという思いが強いあまり、こうした発言もおこなっているようです。

しかし、博士の東京の汚染の認識は厳しいです。このぎりぎりの感覚を受け入れたくない人達の存在を、一年が過ぎても認識しなければならないことは、ちょっと辛いものです。

「関東・南東北の被曝エリア(東京全域を含む大半のエリア)にいる皆さんは、放射性物質の少ないエリア、できれば愛知県から西のエリアに、避難するべきです。妊婦、子供、未成年、妊娠可能な女性は優先して避難すべきです。

他の皆さんも極力避難してください。被曝から一年が経過しています。初期被曝は深刻で、慢性被曝の影響がさらに危険です。

食物、飲料のみならず、吸気による被曝も軽視できません。回避する方法は限定的です。
あなたやあなたの家族の命が何よりも大切です。一刻も早く避難してください。」

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