安倍さん めっちゃ憲法ディスってるなぁ。「こんな『いじましい』文章を、よく66年間も」(2011年9月3日 NHK「未来ビジョン」より) pic.twitter.com/K0N6EOiXlC
— ブルドッグ (@Bulldog_noh8) 2016年7月5日
安倍某の言う「『専制と隷従——』の主語は、日本人じゃないです」という
把握は、独断です。
こじつけのための
こじつけと言っていい。
この独断をベースにして、彼は、
「(日本人じゃない)この人たちに褒めてもらおうじゃないか、
と書いてあるんですね」
という解釈をします。
これ、憲法を制定した当時の
日本人の腹の内を
まさぐってしている憶測です。
対立しているのは、
『国際社会』と
『日本国民たるわれら』ではありません。
われらに含まれない、
戦争指導者たる岸信介のような戦犯と
庶民であるわれらです。
このように、
『国際社会』に、
『日本国』は含まれていない、別物なんだという理解は、
戦犯として指弾されるべき人たちの
ひがみです。
安倍某の主張がこじつけである証拠に
文章に即せば、
「『専制と隷従——』という句の主語は、平和を愛する諸国民。
日本人じゃないです」
という説明が
変です。
この句は、
形容句として
確かに、
「国際社会」にかかっています。
しかし、この句を含む
文章全体の主語を問うなら、
「われら」
になります。
つまり、
「国際社会」と「われら」の関係は、
シンクロしています。
にもかかわらず、
「日本人は含まれない」って、
下手な新興宗教の伝道師のようです。
「主語」
という文法用語による
ペテン的な文脈のすり替えの
根底にあるのは
単なるひが事ではないですか。
たとえば、
「いじめを撲滅したい学友たちがいるこの学校において、
私は、恥ずかしくない行動をしたい」
という文章で考えて見てください。
「いじめを撲滅したい」と考えている主語は、
「学校」だ。
「自分じゃない」。
だから「いじましい」などと言い出す倒錯した論理は、
正しいですか。
実は、これ、関係が真逆でしょう。
本当にいじましいのは、
こうした発言をしている当の人です。
実際、
この後に続く
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
という宣言の凛とした文章に、
英霊たちの死は、
決して無駄ではなかったという思いが込み上げてきます。
前に、
「何といっても前文のこのフレーズ。どんな宗教も芸術もぴょんと飛び越えた、超ド級のヒューマニズム!」
と評価している
G.D.Greenberg@G_D_Greenberg さんのツイートを紹介しました
(拙稿「日本国憲法のすばらしいところ」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/8f29764f7f7efadfc39683d19a99bcf6)。
共感できる人が
多いのではないでしょうか。
然るに、
安倍某以外に
憲法の、ここの部分を侮辱する
先輩がいます。
小野田寛郎少尉です。
いうなれば、
この人に安倍某は褒められたい
ということなんですな。
実に、いじましい!!
下の動画、
ご覧ください(ビデオタイム、14:14~)。
安倍の口舌は、
この男、小野田寛郎少尉の
受け売りだということが
納得できます。
小野田は、
どういう脈絡で
憲法を非難しているでしょうか。
そこを考えて欲しいです。
彼は、
憲法の、この箇所を持ち出してきて、
「日本に負けた」
と言ったのはなぜなんでしょう。
軍国主義を肯定する彼が
敗北宣言をしたのは、
彼の後の行動と切り放して考えられません。
果たして、
日本から逃亡するための口実でなかったと
誰が言えるでしょう。
なぜ、
日本から彼が逃げ出す必要があったのか。
そして
彼がブラジルへ出国後、
毎日のように銃を撃つ練習をしていた理由がなんだったのか、
考えて見る必要があります。
是非、
下の記事、読んで見てください。
☆ 「誤解していた、小野田寛郎のこと。」*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/c5b34151770641dc1dcf07ba1f1bd61f
※ 小野田氏の
靖国参拝時した講演について
解説した僕の記事が
見つかりません。
その記事の魚拓っていうんですかね、
そちらも
アクセス不能です。
時間や場所等によって
アクセスできるのでしょうか。
辛うじて残っていた
googleの
項目にあった
URLを紹介しておきます。
下記の通りです。
☆ http://coredeems45.rssing.com/noserver.html?a=12
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