ダニエル・タメット著、古谷美登里訳
「ぼくには数字が風景に見える」
という本があります。
重い自閉症を抱えていらっしゃる人の中には、
記憶等において
超人的なパワーを発揮する人がいます。
「サヴァン症候群」
と呼ばれます。
特殊な能力を持っていると言えば
充分なのに、
「***症候群」って、
まるで病気の症状扱いです。
上掲、
本の著者は、
計算能力において
優れているのですね。
昔の映画で
「レインマン」
というダスティン・ホフマン主演の映画が
ありました。
その映画のモデルになった人は、
キム・ピークさんという方だそうです
(THE BIG ISSUE(VOL.244.2014年8月1日号)所収コラム、
岡崎武志・文「ひぐらし 本暮らし」参照)。
そのピークさんと
ダニエルさんが初めて会ったとき、
自己紹介で
互いの誕生日を尋ねあい、
それがただちに日曜日であることを指摘。
心が一瞬にして通じ合ったと言います。
キムの父親は、
「人と違っていることで障害者にされる必要はない」
と言われます。
僕自身、
知的障害者の施設で働いていたことがあります。
そのとき、
音楽的能力の
超人的に恵まれた人に会ったことがあります。
「絶対音階」というのですかね、
どんな音楽も
即座に再現でき
モーツァルトみたいやな
と感心したことがあります。
その人は、
他人から悪口を言われても
次のように
音が耳に届くのでしょう。
典拠:天下一画像会@tenkaichi_wwww さんのツイート〔19:06 - 2014年8月10日 〕
こういう風だから、
靴ひもが
結べなかったりします。
そのときに
パニック様の症状が
出たりします。
しかし、それは、
「慌てている」
ということであって、
怒りの表出ではありません。
上掲雑誌「THE BIG ISSUE」の
別のコラム
「第33回 自閉症の僕が生きていく風景」に
東田 直樹さんの当事者発言が
掲載されていました。
パニックを起こしたとき、
怒りと理解されることを心配されます、
「怒りをぶつけられると、
人は恐怖を感じるものです。
そして、心に憤りや憎しみを生むのではないでしょうか」と。
一方、施設の職員には
介護者が
同じ反応をするということが
使命のように
主張する人がいます。
「人によって反応が違えば、
本人(障害者)を混乱に陥れる」
ということがその理由です。
しかし、違うんですね。
東田さんは、
こう仰います。
「もしも、かかわってくれる、すべての人から
同じ対応をされたら、僕は人生に絶望するでしょう。
ヘルパーさんに嫌な思いをさせたのかもしれないと、
悩む人間らしさがあるからこそ、
僕は生きていけるのです」と。
パニックになっても
怒っているんじゃないと指摘する一方で、
しかし、怒っていると理解する人への気配りと、
そう受け止めていいという
許しの世界がそこにあるように感じます。
考えさせられましたね。
話が
飛んでしまうようですけど、
ネルソン・マンデラの夢もこんなところに
あるのかな、
と思いました。
白人と黒人、
互いに抱く深い溝を包み込むように
許すということ――。
「ぼくには数字が風景に見える」
という本があります。
重い自閉症を抱えていらっしゃる人の中には、
記憶等において
超人的なパワーを発揮する人がいます。
「サヴァン症候群」
と呼ばれます。
特殊な能力を持っていると言えば
充分なのに、
「***症候群」って、
まるで病気の症状扱いです。
上掲、
本の著者は、
計算能力において
優れているのですね。
昔の映画で
「レインマン」
というダスティン・ホフマン主演の映画が
ありました。
その映画のモデルになった人は、
キム・ピークさんという方だそうです
(THE BIG ISSUE(VOL.244.2014年8月1日号)所収コラム、
岡崎武志・文「ひぐらし 本暮らし」参照)。
そのピークさんと
ダニエルさんが初めて会ったとき、
自己紹介で
互いの誕生日を尋ねあい、
それがただちに日曜日であることを指摘。
心が一瞬にして通じ合ったと言います。
キムの父親は、
「人と違っていることで障害者にされる必要はない」
と言われます。
僕自身、
知的障害者の施設で働いていたことがあります。
そのとき、
音楽的能力の
超人的に恵まれた人に会ったことがあります。
「絶対音階」というのですかね、
どんな音楽も
即座に再現でき
モーツァルトみたいやな
と感心したことがあります。
その人は、
他人から悪口を言われても
次のように
音が耳に届くのでしょう。
典拠:天下一画像会@tenkaichi_wwww さんのツイート〔19:06 - 2014年8月10日 〕
こういう風だから、
靴ひもが
結べなかったりします。
そのときに
パニック様の症状が
出たりします。
しかし、それは、
「慌てている」
ということであって、
怒りの表出ではありません。
上掲雑誌「THE BIG ISSUE」の
別のコラム
「第33回 自閉症の僕が生きていく風景」に
東田 直樹さんの当事者発言が
掲載されていました。
パニックを起こしたとき、
怒りと理解されることを心配されます、
「怒りをぶつけられると、
人は恐怖を感じるものです。
そして、心に憤りや憎しみを生むのではないでしょうか」と。
一方、施設の職員には
介護者が
同じ反応をするということが
使命のように
主張する人がいます。
「人によって反応が違えば、
本人(障害者)を混乱に陥れる」
ということがその理由です。
しかし、違うんですね。
東田さんは、
こう仰います。
「もしも、かかわってくれる、すべての人から
同じ対応をされたら、僕は人生に絶望するでしょう。
ヘルパーさんに嫌な思いをさせたのかもしれないと、
悩む人間らしさがあるからこそ、
僕は生きていけるのです」と。
パニックになっても
怒っているんじゃないと指摘する一方で、
しかし、怒っていると理解する人への気配りと、
そう受け止めていいという
許しの世界がそこにあるように感じます。
考えさせられましたね。
話が
飛んでしまうようですけど、
ネルソン・マンデラの夢もこんなところに
あるのかな、
と思いました。
白人と黒人、
互いに抱く深い溝を包み込むように
許すということ――。
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