原発の安全は
「(原子炉を)止める、冷やす、(放射性物質を)閉じ込める」
の3つの機能で保たれる――。
(単純だ。これなら、できそうだ!!)
しかし、安全目標は、
それらが
いずれも崩壊した
と仮定した上で立てます。
問題は、その仮定が
受験の際の、
「もし、第1志望が落ちたら、滑り止めに…」
という
次善の策であるかのように、
弱さとして
考えることも許されないわけです。
暗黙の掟ってやつなのです。
平成15年に、
原子力安全委員会が
安全目標案をとりまとめたことがありました。
しかし、それをすると、
原発が安全だとの信頼(神話)を傷つけるという
批判が集中。
結局、成立しませんでした。
では、その安全目標の合議が
成立したとして
福島第一原発のような事故は
防げたでしょうか。
成立の仕方に拠るんでしょうね。
現実に過酷事故を
起こしたのに
規制委は
――放射性物質の放出が抑えられない事故は、
『100万年に1回』とした。
そして抑制して放出される量は、
福島の事故で
放射性セシウム137が
1万テラベクレル放出されたと推定し、
その100分の1となる
100テラベクレル以下になるようにする――だって!!
(「規制委、発生頻度を数値化 安全目標を了承」
産経新聞 4月4日(木)7時55分配信/リンク)。
過酷事故って、
コントロール不能事故って言い換えていい事故です。
当たり前のように
コントロールできることが
前提で
安全論をブチ挙げられても、
「はあっ?」
としか答えられないです。
福島で
沢山な人が
放射能関連で亡くなられているのに、
「原発事故で
死んだ者は一人もいない」
と平然と嘯(うそぶ)く
神経の持ち主である…
原発マフィア、広告マンが
それまでの
消え失せた安全神話に変え、
俄(にわ)か作りで
「限りなく安全だよ」論を説いても、
それって、
空証文、空手形でしょ?
と尋ねるしかありません。
戯言になるのは、
大震災時の事故を見れば明らかだろうに、
こういった気休めを
またぞろ言い出す傲慢さがある限り、
「想定外」という
事故の責任を回避するための
呪文もまた懲りず、
唱えねばならなくなるでしょう。
それを避けるには
もっと素直になって、
事故は、
原発を稼働した翌日に発生するものとして
安全対策を
立てるべきです。
それが無理、
立てられないと言うのであれば、
稼働を断念する――。
そうしてこそ、
筋が通るのではないでしょうか。
すなわち、
リンカーンみたいですが、
国民の、
国民による、
国民のための政治が
実現するのではないでしょうか。
もし、
ここでへたってしまえば、
民主主義が
成り立たなくなってしまいます。
私たち日本人は、
その瀬戸際に立っていると思います。
「(原子炉を)止める、冷やす、(放射性物質を)閉じ込める」
の3つの機能で保たれる――。
(単純だ。これなら、できそうだ!!)
しかし、安全目標は、
それらが
いずれも崩壊した
と仮定した上で立てます。
問題は、その仮定が
受験の際の、
「もし、第1志望が落ちたら、滑り止めに…」
という
次善の策であるかのように、
弱さとして
考えることも許されないわけです。
暗黙の掟ってやつなのです。
平成15年に、
原子力安全委員会が
安全目標案をとりまとめたことがありました。
しかし、それをすると、
原発が安全だとの信頼(神話)を傷つけるという
批判が集中。
結局、成立しませんでした。
では、その安全目標の合議が
成立したとして
福島第一原発のような事故は
防げたでしょうか。
成立の仕方に拠るんでしょうね。
現実に過酷事故を
起こしたのに
規制委は
――放射性物質の放出が抑えられない事故は、
『100万年に1回』とした。
そして抑制して放出される量は、
福島の事故で
放射性セシウム137が
1万テラベクレル放出されたと推定し、
その100分の1となる
100テラベクレル以下になるようにする――だって!!
(「規制委、発生頻度を数値化 安全目標を了承」
産経新聞 4月4日(木)7時55分配信/リンク)。
過酷事故って、
コントロール不能事故って言い換えていい事故です。
当たり前のように
コントロールできることが
前提で
安全論をブチ挙げられても、
「はあっ?」
としか答えられないです。
福島で
沢山な人が
放射能関連で亡くなられているのに、
「原発事故で
死んだ者は一人もいない」
と平然と嘯(うそぶ)く
神経の持ち主である…
原発マフィア、広告マンが
それまでの
消え失せた安全神話に変え、
俄(にわ)か作りで
「限りなく安全だよ」論を説いても、
それって、
空証文、空手形でしょ?
と尋ねるしかありません。
戯言になるのは、
大震災時の事故を見れば明らかだろうに、
こういった気休めを
またぞろ言い出す傲慢さがある限り、
「想定外」という
事故の責任を回避するための
呪文もまた懲りず、
唱えねばならなくなるでしょう。
それを避けるには
もっと素直になって、
事故は、
原発を稼働した翌日に発生するものとして
安全対策を
立てるべきです。
それが無理、
立てられないと言うのであれば、
稼働を断念する――。
そうしてこそ、
筋が通るのではないでしょうか。
すなわち、
リンカーンみたいですが、
国民の、
国民による、
国民のための政治が
実現するのではないでしょうか。
もし、
ここでへたってしまえば、
民主主義が
成り立たなくなってしまいます。
私たち日本人は、
その瀬戸際に立っていると思います。
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