語源的には「不断」と書くのが正しいようですね。
ということは、「普段」は当て字。
しかし、いかに当て字とはいえ、いったん出来てしまうと、もともとの語句には
含まれていなかった意味が付加されます。
「不断」と書けば、延々と続く日常生活のイメージですよね。しかし、「普段」と
書いた途端、「特段」の対語になってしまいます。
「不断にのんびりしてます」と言えば、“のんびり”に努力の匂い、、、、
もっと言えば、必死さを感じますでしょう。つまりですね、謹慎してなければなら
ないんです――もし、しなければ、告発される――そのような境遇にいる者が
謹慎しているか否かの実態を調査されたとき、使う表現なわけです。たとえば、
「微力ながら、“のんびり”すべく粉骨砕身、跋扈不抜の精進を致しております。
嘘、ついてないです! はぁ~い、のんびり、のんびりびりのびり♪」
と答えるようなものです。このように、不断という言葉、身の潔白を明かすような
真剣さがあります。演技も辞さない切迫性さえ感じます。
丁度、大政奉還してしまった後の、徳川慶喜みたいなもんです。微妙な位置に
いる人のセリフに、適応大なるものがあるわけですね。
(NHK大河ドラマ「篤姫」見てます? 見ておられれば、この喩え、よく分かると思
います。篤姫を無視するから、こういうことになるんですね)
ところがです、これが「普段」になったら、特段の事情がある際は、別だという
ことを暗に述べていることになります。
「普段、のんびりしてます」は、特段の事情があるときはどうなのか、という点
については、クエスチョンなのです。
そもそも何が特段の事情なのか不明です。
この人は、他人がいなくなった途端、一生懸命に何かをしだすかもしれない、
仮に、そうであったとしても、一概に嘘をついたと非難できません。
なぜって、対話する相手がいなくなることによって、
特段の事情が生じたという風にも考えられるからです。
かくして、普段という言葉、公式の場では不信を招くので忌避されます。
「私は、不断に国民の生活の向上を考えています」
「不断に平和のため、外交努力をします」などなど、政治家が声明を発する場合、
当て字の使用が俄然、減ってしまうのも、頷けます。建て前として、歓迎されない
わけです。
しかし、反面、日常生活において「不断」が「普段」に“不断”に駆逐される傾向
があるのを知ったとき、政治家の皆さんには、かえって、公式な場でも「普段」と
いう語を使って欲しい気もしますね。
カジュアルな姿でおいでのときが問題だと思うからです。
さて、それはそれとして、ここでは、当て字でない方で、あなたに質問です。
不断に何かしてますか?
僕は、胸を張って言えるようなこと、何もしていません、残念ながら・・・
どうしたらいいんでしょうかね。はぁ~
のんびり考えますか。ただし、せめて普段程度で!
ということは、「普段」は当て字。
しかし、いかに当て字とはいえ、いったん出来てしまうと、もともとの語句には
含まれていなかった意味が付加されます。
「不断」と書けば、延々と続く日常生活のイメージですよね。しかし、「普段」と
書いた途端、「特段」の対語になってしまいます。
「不断にのんびりしてます」と言えば、“のんびり”に努力の匂い、、、、
もっと言えば、必死さを感じますでしょう。つまりですね、謹慎してなければなら
ないんです――もし、しなければ、告発される――そのような境遇にいる者が
謹慎しているか否かの実態を調査されたとき、使う表現なわけです。たとえば、
「微力ながら、“のんびり”すべく粉骨砕身、跋扈不抜の精進を致しております。
嘘、ついてないです! はぁ~い、のんびり、のんびりびりのびり♪」
と答えるようなものです。このように、不断という言葉、身の潔白を明かすような
真剣さがあります。演技も辞さない切迫性さえ感じます。
丁度、大政奉還してしまった後の、徳川慶喜みたいなもんです。微妙な位置に
いる人のセリフに、適応大なるものがあるわけですね。
(NHK大河ドラマ「篤姫」見てます? 見ておられれば、この喩え、よく分かると思
います。篤姫を無視するから、こういうことになるんですね)
ところがです、これが「普段」になったら、特段の事情がある際は、別だという
ことを暗に述べていることになります。
「普段、のんびりしてます」は、特段の事情があるときはどうなのか、という点
については、クエスチョンなのです。
そもそも何が特段の事情なのか不明です。
この人は、他人がいなくなった途端、一生懸命に何かをしだすかもしれない、
仮に、そうであったとしても、一概に嘘をついたと非難できません。
なぜって、対話する相手がいなくなることによって、
特段の事情が生じたという風にも考えられるからです。
かくして、普段という言葉、公式の場では不信を招くので忌避されます。
「私は、不断に国民の生活の向上を考えています」
「不断に平和のため、外交努力をします」などなど、政治家が声明を発する場合、
当て字の使用が俄然、減ってしまうのも、頷けます。建て前として、歓迎されない
わけです。
しかし、反面、日常生活において「不断」が「普段」に“不断”に駆逐される傾向
があるのを知ったとき、政治家の皆さんには、かえって、公式な場でも「普段」と
いう語を使って欲しい気もしますね。
カジュアルな姿でおいでのときが問題だと思うからです。
さて、それはそれとして、ここでは、当て字でない方で、あなたに質問です。
不断に何かしてますか?
僕は、胸を張って言えるようなこと、何もしていません、残念ながら・・・
どうしたらいいんでしょうかね。はぁ~
のんびり考えますか。ただし、せめて普段程度で!
不断していること・・・
イメージですかね、
いろんなことや物に対する。笑
とか漠然的な表現しか
できません。笑
でも考え事は好きなので、
何かしら考えてます、
これはみんなそうかも?^^
不断…
私もないかなあ。。。
ふくは日向ぼっこかな?
雨が降ると私が悪いみたいに八つ当たりしてきます。
いたたたた!
ちょっと考えさせられる言葉ですね。
不断というからには、切れ目がないわけですね。文字通りで言うなら、呼吸かもしれないですね。
☆ままさんへ
チアーはね、よく体をなめなめしてます。
体を舐めるときは、熱中してます。撫でてやって一番、安全なときです。その他のときは、噛みついてきますよ。やっぱ、八つ当たりですかね。
ましてや、今の若者たちの言葉は、チョー簡略化されて
元々の意味とは、かけ離れてしまっています
でも、それはそれで時代を反映しているから
面白いとも、云えます
一種の暗号化ですね。仲間内だけで通じるというのが快感なのだと思います。
今年の新語・流行語大賞に選ばれた「グー」というのは訳わからんですね。あれも何かの暗号化ですかね。若い娘さんが口ひん曲げながら、
「グー」と言ったら、どう対応したらいいものか・・
「チョキ」と答えてしまいそうです。
「不断」は否定的なイメージ
「普段」はざっくばらんなイメージです♪
篤姫、そろそろ最終回ですね。。
大好きだったので寂しいです。。