刺青DQNta2 @dqnta2さんのツイート。
――桂春蝶師匠に思想転向の軽さを問うたらブロックされたw
こんな狭い了見で政治やネオリベを語ってたのかぁ。
まぁ自分を持ち上げる者達だけに囲まれる環境は居心地が良いのだろうが、天下国家を排他的閉鎖空間で語る事が果たして天下国家の為に成り得るのかと言う矛盾だけが残る。
残念であるw〔23:03 - 2017年12月2日 〕――
当の桂 春蝶@shunchoukatsuraは、
右が左かにつき、こう言っている。
――僕が右寄りの発言をするのは、世論とマスコミが左に偏りすぎているから。
もし世の中が酷く右傾化した場合、僕は簡単に左党へ道を切り替えると思うよ。
世の中に均衡(バランス)を齎す人間に僕はなりたい。
本来リベラルとはそうあるべき。
新自由主義、ネオリベラリズムを僕は追求してゆきたいのです。〔9:33 - 2017年12月2日 〕――
見事な他人に責任擦り付け主義だな。
このような立場を
表すのにいい言葉があった。
天邪鬼、だ。
しかし、
肝心なことはバランスのとり方ではない。
嘘を許さない心だと思うな。
例えば、
山口敬之は、
こともなげに詩織さんは
そこら中で反吐を吐く人だという。
そして
そんな人を強姦したいと
思わない、と。
密室内の出来事と思って
言いたい放題だ。
しかし、そんな詩織さんに
酒を大量に飲ませたのは、
一体、どこの誰だ?
強引に
ホテルに連れ込んでおいて、
「強姦する気にならなかった」と言い訳するわけだな。
そんなに紳士な男が
別れ際に
「記念にパンティ下さい」、
など言うか。
こういう話は、
右か左かという具合に
相対化してしまったのでは、
真実が見えなくなる。
新自由主義者の桂春蝶は、
こういう場合でも
加害者の側が
少数意見だからという理由で
山口の肩を持つのか。
この論点につき、
ネット上で津田大介さんが
柴田英里という方と論争していた。
面白いと
思ったので拾い上げておいた。
下に紹介する。
柴田英里@erishibataさんの発言(以下、柴と略称:):伊藤詩織『Black Box』と山口敬之『私を訴えた伊藤詩織さんへ』を読み比べた。双方の一番の差異は、「先輩に職の斡旋をお願いする女学生」と「キャバ嬢に職の斡旋をお願いされ、一度は職を手配したから枕くらい良いと思うオジサン」。「女性性のお値段」のようなものの見積もり方だと思った。〔20:30 - 2017年11月13日 〕――
柴:詩織さんの『Black Box』では「NY のピアノバー」としか紹介されなかった場所は、山口さんの手記では「NYの日本人向けキャバクラ」と紹介されており、「NYのピアノバー」を調べてみると、日本でいうところのキャバクラのシステムに近いお店だということがわかる。〔20:31 - 2017年11月13日 〕
柴:泥酔した人をホテルの部屋に連れて行くこと自体どうかと思う(個人的には、泥酔の度合いが酷かったら病院、住所が言えるような場合は一人でタクシーに乗せ送り届けてもらうのが妥当かと)。だけど正直、「キャバ嬢がお客に職を紹介してもらうこと」が「就活」のスタンダードだとも思えない。〔20:32 - 2017年11月13日 〕
柴:もちろん、「キャバ嬢は客に職を斡旋してもらったら枕を拒否できない」なんていうことは絶対にない。だけど、「キャバ嬢に仕事を斡旋した客が枕を求めること」くらいはあると思うし、キャバクラ(夜職)と一般企業(昼職)のコミュニケーションコードは違うことも事実だろう。〔20:32 - 2017年11月13日 〕
柴:「君、可愛いから隣にきてお酒注いでよ」みたいなことは、昼職(一般企業)のセクハラコンプライアンスではアウトだろうが、夜職(キャバクラ)ではオッケーの範囲であるだろう。夜職においては、昼職では「黒」になるものが「グレー」になることもあり、それこそが夜職のシステムですらある。〔20:33 - 2017年11月13日 〕
柴:夜職、キャバクラやホストには、女性性や男性性をサービスとして売る側面がある。そのサービスは、サービスとしての女性性であり男性性であり、つまり限りなくフィクションではあるけれど、人間が行う以上、常に100%フィクションとは限らないということが、夜職の割り切れなさと魅力であるだろう。〔 20:34 - 2017年11月13日〕
柴:詩織さんは「ジャーナリストの後輩としてジャーナリストの先輩に職の斡旋をお願いする(女性性のサービスナシ)」というスタンスで、山口さんは「キャバ嬢に職の斡旋をお願いされ、一度は答えたから、お礼(女性性のサービス)を頂いても良い」というスタンスであったのだろうと思う。〔20:35 - 2017年11月13日 〕
柴:キャバ嬢・ホスト大学生がお客に就職の斡旋をお願いすることはアリだと思うし、上手く立ち回る能力を持つ人にとっては良いのかもしれないが、それはやはりコネ入社という形にはなり、コネであろうがなかろうが、その仕事の実力がなければ批判され、その場合コネは批判度合いを強めることはあるだろう。〔20:35 - 2017年11月13日 〕
柴:無論、キャバ嬢、夜職であろうがなかろうが、泥酔した人をホテルの部屋に連れて行くこと自体どうかと思う。だけど正直、詩織さんと彼女の応援側の「夜職コミュニケーション」の無視っぷりと、山口さん応援側の「夜職コミュニケーション」にあぐらをかいて乗っかり過ぎなところ、双方に違和感を感じる。〔20:36 - 2017年11月13日 〕
柴:詩織さんの言い分だけを鵜呑みにして、不起訴で検察審議会でも不起訴妥当と判断された山口さんを性犯罪者と決めつけ非難するamazon☆5つレビューも、詩織さんに対する誹謗中傷が溢れるYahooニュースコメント欄も、両方とも「憶測だけの決め付けで他者を叩く」ことに他ならないと思う。〔20:37 - 2017年11月13日 〕
柴:私がこの事件で気になっているのは「女性性の値段」あるいは「男性性の値段」、サービス業界のフィクション性とフィクションの割りきれなさという部分で、「権力でレイプを揉み消すこと」、「政権争いの道具としてレイプ事件を使うこと」、どちらにも距離を取りたいと思う。〔20:43 - 2017年11月13日 〕
柴:詩織さんの「レイプ事件の捜査や司法のシステム改正、レイプ被害者救済のシステムを整備し、社会の意識を変えていくことが必要だ」という主張には全面的に賛同するけれど、今回法改正された「強姦、準強姦の非親告罪化」の部分は、人権概念の後退であると思うので反対。〔20:43 - 2017年11月13日 〕
柴:法改正前の「強姦、準強姦は親告罪」「強姦致傷・準強姦致傷は非親告罪」というのは、「内心の不可侵」の原則であり、「個人の尊厳は個人のものであり、他者が介入することはできない」ということの証明である。他者の目にも明らかな外傷と、他者が介入すべきでない個人の内心・尊厳は分けるべきかと。〔20:46 - 2017年11月13日 〕
津田大介@tsudaさんの発言(以下、津と略称:):ここの一連のツイート見て驚いた。「夜職コミュニケーション」という言葉遊びで加害者側を免罪しているようにしか見えない。本人は免罪しているつもりはないのかもしれないけど、最終的に「どっちもどっち」論に誘導する話の持っていきかただよな。〔7:04 - 2017年11月30日 〕
柴:津田さんが仰ることは結局、「被害者(とされる人)の絶対的な擁護以外は加害者(とされる人)側の免罪」という友か敵かで切り分けることですよね。〔16:00 - 2017年11月30日 〕
津:違います。「憶測の這い込む余地のない事実(DNA鑑定結果もあれば前後不覚になっている女性をホテルに連れ込んで性交していることは双方が認めています)」に対して無意味な相対化をはかり、結果的にそのことがもたらす加害行為の免罪効果と被害者への二重加害行為が悪質であるという話をしています。〔16:06 - 2017年11月30日 〕
柴:「キャバクラ嬢、夜職コミュニケーション」について考えることは無意味な相対化でしょうか?私はそれを無意味であるとは思いません。それを無意味とするのは、キャバクラ嬢や夜職コミュニケーションの価値をないものとして扱うことにもなり得るからです。〔16:12 - 2017年11月30日 〕
津:もちろん「キャバクラ嬢、夜職コミュニケーション」について考えることは無意味ではありません。しかし、このケースに結びつけて語ることは適当でないという単純な話ですよ。「無意味」という言葉に納得できないようでしたら「不適切」と言い換えましょうか。〔16:17 - 2017年11月30日 〕
柴:「レイプ事件の起訴が権力によって阻まれた」という観点から見れば不適切でしょう。その点には全く同意です。しかし、それとは別に「キャバクラ嬢が客にレイプされた」という問題もあり、その2つが容易に切り離せるものではないことが私の関心です。〔16:25 - 2017年11月30日 〕
柴田氏は、
論点のすり替えをしてないか。
議論されてきたのは、
「キャバクラ嬢が客にレイプされた」ことをどう考えるか
という一点だけではなかったか。
話を複雑にして
単に論破されてない外観を作っただけにみえる。
琥珀色 @eisei123さんが
その意味を解説してくれているということなのか、
柴田氏がリツイートしていた。
こんな内容だ。
――柴田英里氏が言及してるのは無意味な相対化ではないです。通常セカンドレイプの一言で覆い隠されがちな繊細な機微についての言及で、ここに触れるのは女性にしかできない。柴田氏はフェミニズムを次のステージにいざなう言論を展開しているのであって、こうした微細な違和を無視するのは停滞なんです。〔22:49 - 2017年11月30日 〕――
論理の放棄か?
「ここに触れるのは女性にしかできない」
などと言われたら、
男性は踏み込みようがない。
とても
ずるい議論の仕方だ。
津田氏もさすがに反論を放棄された。
――桂春蝶師匠に思想転向の軽さを問うたらブロックされたw
こんな狭い了見で政治やネオリベを語ってたのかぁ。
まぁ自分を持ち上げる者達だけに囲まれる環境は居心地が良いのだろうが、天下国家を排他的閉鎖空間で語る事が果たして天下国家の為に成り得るのかと言う矛盾だけが残る。
残念であるw〔23:03 - 2017年12月2日 〕――
当の桂 春蝶@shunchoukatsuraは、
右が左かにつき、こう言っている。
――僕が右寄りの発言をするのは、世論とマスコミが左に偏りすぎているから。
もし世の中が酷く右傾化した場合、僕は簡単に左党へ道を切り替えると思うよ。
世の中に均衡(バランス)を齎す人間に僕はなりたい。
本来リベラルとはそうあるべき。
新自由主義、ネオリベラリズムを僕は追求してゆきたいのです。〔9:33 - 2017年12月2日 〕――
見事な他人に責任擦り付け主義だな。
このような立場を
表すのにいい言葉があった。
天邪鬼、だ。
しかし、
肝心なことはバランスのとり方ではない。
嘘を許さない心だと思うな。
例えば、
山口敬之は、
こともなげに詩織さんは
そこら中で反吐を吐く人だという。
そして
そんな人を強姦したいと
思わない、と。
密室内の出来事と思って
言いたい放題だ。
しかし、そんな詩織さんに
酒を大量に飲ませたのは、
一体、どこの誰だ?
強引に
ホテルに連れ込んでおいて、
「強姦する気にならなかった」と言い訳するわけだな。
そんなに紳士な男が
別れ際に
「記念にパンティ下さい」、
など言うか。
こういう話は、
右か左かという具合に
相対化してしまったのでは、
真実が見えなくなる。
新自由主義者の桂春蝶は、
こういう場合でも
加害者の側が
少数意見だからという理由で
山口の肩を持つのか。
この論点につき、
ネット上で津田大介さんが
柴田英里という方と論争していた。
面白いと
思ったので拾い上げておいた。
下に紹介する。
柴田英里@erishibataさんの発言(以下、柴と略称:):伊藤詩織『Black Box』と山口敬之『私を訴えた伊藤詩織さんへ』を読み比べた。双方の一番の差異は、「先輩に職の斡旋をお願いする女学生」と「キャバ嬢に職の斡旋をお願いされ、一度は職を手配したから枕くらい良いと思うオジサン」。「女性性のお値段」のようなものの見積もり方だと思った。〔20:30 - 2017年11月13日 〕――
柴:詩織さんの『Black Box』では「NY のピアノバー」としか紹介されなかった場所は、山口さんの手記では「NYの日本人向けキャバクラ」と紹介されており、「NYのピアノバー」を調べてみると、日本でいうところのキャバクラのシステムに近いお店だということがわかる。〔20:31 - 2017年11月13日 〕
柴:泥酔した人をホテルの部屋に連れて行くこと自体どうかと思う(個人的には、泥酔の度合いが酷かったら病院、住所が言えるような場合は一人でタクシーに乗せ送り届けてもらうのが妥当かと)。だけど正直、「キャバ嬢がお客に職を紹介してもらうこと」が「就活」のスタンダードだとも思えない。〔20:32 - 2017年11月13日 〕
柴:もちろん、「キャバ嬢は客に職を斡旋してもらったら枕を拒否できない」なんていうことは絶対にない。だけど、「キャバ嬢に仕事を斡旋した客が枕を求めること」くらいはあると思うし、キャバクラ(夜職)と一般企業(昼職)のコミュニケーションコードは違うことも事実だろう。〔20:32 - 2017年11月13日 〕
柴:「君、可愛いから隣にきてお酒注いでよ」みたいなことは、昼職(一般企業)のセクハラコンプライアンスではアウトだろうが、夜職(キャバクラ)ではオッケーの範囲であるだろう。夜職においては、昼職では「黒」になるものが「グレー」になることもあり、それこそが夜職のシステムですらある。〔20:33 - 2017年11月13日 〕
柴:夜職、キャバクラやホストには、女性性や男性性をサービスとして売る側面がある。そのサービスは、サービスとしての女性性であり男性性であり、つまり限りなくフィクションではあるけれど、人間が行う以上、常に100%フィクションとは限らないということが、夜職の割り切れなさと魅力であるだろう。〔 20:34 - 2017年11月13日〕
柴:詩織さんは「ジャーナリストの後輩としてジャーナリストの先輩に職の斡旋をお願いする(女性性のサービスナシ)」というスタンスで、山口さんは「キャバ嬢に職の斡旋をお願いされ、一度は答えたから、お礼(女性性のサービス)を頂いても良い」というスタンスであったのだろうと思う。〔20:35 - 2017年11月13日 〕
柴:キャバ嬢・ホスト大学生がお客に就職の斡旋をお願いすることはアリだと思うし、上手く立ち回る能力を持つ人にとっては良いのかもしれないが、それはやはりコネ入社という形にはなり、コネであろうがなかろうが、その仕事の実力がなければ批判され、その場合コネは批判度合いを強めることはあるだろう。〔20:35 - 2017年11月13日 〕
柴:無論、キャバ嬢、夜職であろうがなかろうが、泥酔した人をホテルの部屋に連れて行くこと自体どうかと思う。だけど正直、詩織さんと彼女の応援側の「夜職コミュニケーション」の無視っぷりと、山口さん応援側の「夜職コミュニケーション」にあぐらをかいて乗っかり過ぎなところ、双方に違和感を感じる。〔20:36 - 2017年11月13日 〕
柴:詩織さんの言い分だけを鵜呑みにして、不起訴で検察審議会でも不起訴妥当と判断された山口さんを性犯罪者と決めつけ非難するamazon☆5つレビューも、詩織さんに対する誹謗中傷が溢れるYahooニュースコメント欄も、両方とも「憶測だけの決め付けで他者を叩く」ことに他ならないと思う。〔20:37 - 2017年11月13日 〕
柴:私がこの事件で気になっているのは「女性性の値段」あるいは「男性性の値段」、サービス業界のフィクション性とフィクションの割りきれなさという部分で、「権力でレイプを揉み消すこと」、「政権争いの道具としてレイプ事件を使うこと」、どちらにも距離を取りたいと思う。〔20:43 - 2017年11月13日 〕
柴:詩織さんの「レイプ事件の捜査や司法のシステム改正、レイプ被害者救済のシステムを整備し、社会の意識を変えていくことが必要だ」という主張には全面的に賛同するけれど、今回法改正された「強姦、準強姦の非親告罪化」の部分は、人権概念の後退であると思うので反対。〔20:43 - 2017年11月13日 〕
柴:法改正前の「強姦、準強姦は親告罪」「強姦致傷・準強姦致傷は非親告罪」というのは、「内心の不可侵」の原則であり、「個人の尊厳は個人のものであり、他者が介入することはできない」ということの証明である。他者の目にも明らかな外傷と、他者が介入すべきでない個人の内心・尊厳は分けるべきかと。〔20:46 - 2017年11月13日 〕
津田大介@tsudaさんの発言(以下、津と略称:):ここの一連のツイート見て驚いた。「夜職コミュニケーション」という言葉遊びで加害者側を免罪しているようにしか見えない。本人は免罪しているつもりはないのかもしれないけど、最終的に「どっちもどっち」論に誘導する話の持っていきかただよな。〔7:04 - 2017年11月30日 〕
柴:津田さんが仰ることは結局、「被害者(とされる人)の絶対的な擁護以外は加害者(とされる人)側の免罪」という友か敵かで切り分けることですよね。〔16:00 - 2017年11月30日 〕
津:違います。「憶測の這い込む余地のない事実(DNA鑑定結果もあれば前後不覚になっている女性をホテルに連れ込んで性交していることは双方が認めています)」に対して無意味な相対化をはかり、結果的にそのことがもたらす加害行為の免罪効果と被害者への二重加害行為が悪質であるという話をしています。〔16:06 - 2017年11月30日 〕
柴:「キャバクラ嬢、夜職コミュニケーション」について考えることは無意味な相対化でしょうか?私はそれを無意味であるとは思いません。それを無意味とするのは、キャバクラ嬢や夜職コミュニケーションの価値をないものとして扱うことにもなり得るからです。〔16:12 - 2017年11月30日 〕
津:もちろん「キャバクラ嬢、夜職コミュニケーション」について考えることは無意味ではありません。しかし、このケースに結びつけて語ることは適当でないという単純な話ですよ。「無意味」という言葉に納得できないようでしたら「不適切」と言い換えましょうか。〔16:17 - 2017年11月30日 〕
柴:「レイプ事件の起訴が権力によって阻まれた」という観点から見れば不適切でしょう。その点には全く同意です。しかし、それとは別に「キャバクラ嬢が客にレイプされた」という問題もあり、その2つが容易に切り離せるものではないことが私の関心です。〔16:25 - 2017年11月30日 〕
柴田氏は、
論点のすり替えをしてないか。
議論されてきたのは、
「キャバクラ嬢が客にレイプされた」ことをどう考えるか
という一点だけではなかったか。
話を複雑にして
単に論破されてない外観を作っただけにみえる。
琥珀色 @eisei123さんが
その意味を解説してくれているということなのか、
柴田氏がリツイートしていた。
こんな内容だ。
――柴田英里氏が言及してるのは無意味な相対化ではないです。通常セカンドレイプの一言で覆い隠されがちな繊細な機微についての言及で、ここに触れるのは女性にしかできない。柴田氏はフェミニズムを次のステージにいざなう言論を展開しているのであって、こうした微細な違和を無視するのは停滞なんです。〔22:49 - 2017年11月30日 〕――
論理の放棄か?
「ここに触れるのは女性にしかできない」
などと言われたら、
男性は踏み込みようがない。
とても
ずるい議論の仕方だ。
津田氏もさすがに反論を放棄された。
落語家?、聞いたこともないし、なんで落語家が人々の暮らしをどん底に貧しくさせる新自由主義クソカルトを支持するのは全くもって意味不明。
と思う。
落語の話には反権力を語り、支配されることの拒否
という筋モノもあるけど。。
落語が庶民の芸能(=大衆芸能)と言われる由縁
(ゆえん)ですね。
TVのない時代、各家庭には食器戸棚の上にラジオが
あり、冬はコタツに足を入れ、みんなが落語や浪花
節(なにわぶし)を聞いて大笑いしてた時代があった
ようですね。昔の大人は講談という芸能からは人生
を学んだではないでしょうか。。