「変わるまで諦めないってこと。20年でも、30年でも、これを続けてやる、ってこと。そして敵を作らない。みんなの幸せを祈る。その気持ちを忘れなければ、大丈夫だと俺は思ってんだよ」
というメッセージに
思わず、後ろに引いてしまった。
「敵を作らない」
ということと「みんなの幸せを祈る」は、
二律背反ではないだろうか。
ちなみに、僕は、
このブログで毒を吐きまくっているけれど、
本当の敵に
たどり着きたいからだ。
改憲阻止モードのイシカワ(生きている) @ishikawakzさんが
こんなことを言っている。
――私はずっとメッセージの外ヅラではなくそれが他人をいかに縛るかを見てるんですよ。
だからずっと違和感しかないんです。
いい人や親や先生にほめられる子も不良もみんな私をいじめましたからね。
だから、人格としてとか単にいいこと言うだけでは、判断しませんよ。
その人の共同体の文法をみる。〔11:38 - 2016年7月3日 〕——
「敵を作らない」という発想では、
結局、「村八分」という
共同体の文法に屈服してしまうだろうと思う。
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