のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「福島の子供達は避難すべきか?」【後半】 /マリークレール3月号 (必見です)

2012年05月15日 18時25分51秒 | Weblog

前半は、こちら

僕が以下に紹介しているのは、

あくまで要約です。

それでは我慢できない、という方もいらっしゃるでしょう。

そのような方は、

是非、原翻訳者、alternativewayさんの

サイトをお尋ねくださいますように。

リンクさせてありますので、

「サイト」という文字列をクリックして下されば、飛べます。


【それぞれの選択】


(1)フランス系カナダ人のRさんは、福島で学校を経営。彼の奥さんの証言。

――取材時、妊娠9ヶ月。彼女は3人目となる子供を福島で産むことにしていた。――

「みんなここでは近所の人が明日もここに居るかしら、と考えながら暮らしています。それは正直かなり辛いです。避難をするかどうかというのは、あくまでも私的な決断ですが、いつだって他の人たちから何かしら言われるものなんです。」


(2)6歳児の母親であるKさんの証言。

――旦那さんと子供を産んだばかりの妹さんと両親とともに、生活様式を変えながら、ここで生きていくことにした。知り合いの母親たちと測定器を手にしつつ、ホットスポットをなるべく避けて動いている。――


「野菜は全部インターネットで注文します。なるべく福島から遠くで生産されていて、何ベクレル以下か表示されているものを選ぶようにしています。今では割と簡単にそういったものを見つけることができるんです。でも食費は2倍になりました。」


――一方で、子供服の売り上げは半分に下がってしまった、と言う。Kさんは、福島での精神の疲労をこう語る。――

「もう畑が汚染されているなんてみんなわかっています。でも、一度、ここで採れた野菜を食べてみたって、すぐ何か起こるわけじゃない。それで、もう生きるのを自分で大変にするのはやめにしようと思って何かをやめることにするんです。忘れることにさえしてみたら、日々の暮らしは本当にシンプルになるからです。」

――現在の彼女たちにとっての最大の脅威、それは元に戻ったかに見える福島の日常の中で、放射能の存在を忘れていくことなのだ。――

(3)郡山に住む中高生の母親たちの証言。


「一番難しいのは思春期の子供たちなんです」


「中学生たちはマスクをつけるのすら嫌がるし、牛乳を飲むなと言っても言うことを聞いてくれません。ある日娘が外出していて、今日はどこに行ってたの?と聞いてみたら『福島牛のバイキングに行って来た!』なんて嬉しそうに言うんです!家ではこんなに気を付けてるのに。子供が『俺は原発推進派だからな』なんて言うこともあるんです」。

 ――チェルノブイリでは14歳から19歳までという、彼らを守ろうとする人たちの言うことを聞かない世代が、ガンの発生数が一番高かったという。彼女たちは、郡山に住む小中学生が集団で安全な場所に疎開できるようにと郡山市に対して裁判を起こしている。けれども裁判は棄却された。彼女たちは裁判を続けることにしたものの、あくまでも匿名であろうとする。――

「放射能のことについて、何か言うのは周りから嫌な目で見られます。今ではもう、みんな普通の生活を送っていたいんです。」

(4)13歳の中学生の息子の母親であるSさん証言。

――息子の母親であるSさんは、学校の先生たちの態度に耐えきれなくなったという。彼らはもはや生徒に対して放射能への注意を促すことをやめたのだ。 そんな態度に嫌気がさした彼女は、子供を連れて関西に引っ越しをすることにした。私たちが彼女の息子に、避難することについてどう思うかと尋ねてみた時、彼女の運転する車内は長いこと重い沈黙に支配されていた。運転席からこちらを振り返った彼女は目に涙を浮かべながらこう聞いた。――

「あなただったら? あなたが私の立場だったら? あなただったらどうします?」

最新の画像もっと見る

コメントを投稿