のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

70%の解し方

2008年02月29日 13時41分04秒 | Weblog
昨日、テレビで高校生達が学内へのケータイ持込みの許容を学校側に要請に行くた

め、あれこれ苦労している状況を報告していた。

先生達が戦々恐々として、「(風紀が?)悪くなる」と応じていた。当然といえば、

当然の反応なのかもしれない。
 
新鮮だったのは、生徒達の70%がケータイを既に学内に持ち込んでいる事実をアン

ケートで知り、公表したことだ。事前に協議した上で、議論の俎上に乗せたことに、

最近の大人がなくしかけてる民主主義の良識を感じた。また、議論の中で、あえて

ルールを守らない事実をさらけ出す潔さにも好感が持てた。

今のご時世で、ケータイをもつな、とは言い難い。

父母会ならびに学校は、70%の生徒が学内にケータイを持ち込んでいる事実を素直

に受け止めて、禁止の押し付けは百害あって一利なし、と判断すべきではないか・・・

問題なのは、道具ではなく、使う人間だ。銃だって、管理がずさんという人間の側に

落ち度がある。

江戸時代、箱根八里といった関所で「入鉄砲」と「出女」を食い止めた。先生達の言

い分は、今風に言い換えたら「入ケータイ」と「出生徒」を禁ずるというところか。

でも、出るものは出て行くし、入るものは入る。流れに逆らったら、生徒達から人間

の尊厳性を奪うだけと思う。

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2 コメント

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議論は必然 (obichan)
2008-02-29 17:55:03
うちの子の時にもありました。
遠い学校へいくことになったので、携帯を持たせたのです。
そのときは、もっと多く80%近かったと思います。

議論することによって、常識ある使い方を守ろうという意識づけは、やっぱり必要だと思います。でないと、必ず常識ある使い方をしない子が現れるからです。そういう態度は連鎖反応するものでしょう。

守れないなら持ってくるなという規制もあって然りだと、私は思います。
それこそが、お互いの人間の尊厳性を湧かせるものではないでしょうか?
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ケイタイの必要性 (忠太)
2008-02-29 19:47:54
先生達の言い分は「守れないなら、持ってくるな」ということではありません。「守れないから、もって来るな」ということです。「なら」と「から」の違いを読み込んでください。

生徒達はそれに抗議して「議論」を提案したわけです。

obichanさんの息子さんのように、遠距離であるとか、ケイタイの必要はいろいろわけです。

そのような場合も含め、ルール違反だというのが父母会や学校側の見解です。それに抵抗して、生徒達は声を上げたということです。僕達の70%はルールを守ってませんよ、と。
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