のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「東日本大震災3周年追悼式」に見られる与党内のきしみ

2014年03月12日 02時44分25秒 | フクイチ原発事故
天皇の「お言葉」といえど、

原発事故に触れた部分については、

NHKが編集権によって、

ニュース番組ではカットされ

放送されたという。

そのような

無礼が平然となされた背景には

「脱原発は無責任」

という安倍某の

政治的立場が影響しているのだろう。

脱原発への生々しい反発の、

その程度は、

同日にあった

「伊吹衆院議長~追悼の辞」

に対する

首相周辺から漏れ出した不快感によっても

推し量られる

(〔資料ー2〕参照)。

安倍某の偏頗な

“脱原発”への志向を

見ていると、

東北大震災の追悼式が

被災3県ではない東京で開催された

理由が見えてくる気がする。

要するに、

東北でやるとなったら、

福島の

放射能汚染の強い地域を避けねばならず、

しかし、そうすることで、

原発事故の過酷さを逆に、際立たせてしまうことになるからだ。

現に、

10日被災地福島視察では、

現地滞在時間が

わずか6時間というスピード感に溢れた、

かつ、訪問先盛りだくさんの

“観光型”視察を終え、

午後6時には東京駅に戻っていた。

その後は、私邸にて昭恵夫人や友人と

夕食を楽しんでいたと言う。

安倍某にとっては

「ただ行ってやった」という

アリバイ作りの視察だったようだ。

本心を言えば、

逃げたかったのだろう

(3月11日発行、日刊ゲンダイ「まるで『王様』になったつもり」参照)。

もっとも、被災地の視察同様に

逃げたいがために、

記念式典の現地開催を避けようとしているのではないか

という疑念に対処すべく、

官邸は、

「被害が広範に及び、開催候補地の選定が難しい。海外からの外交団もおりますし、警備上の問題もある」

という言い訳を用意していたようだ

(3月11日発行、日刊ゲンダイ記事「被災地3県の地元紙ダマらせた『政府広報』の威力」参照)。

ただ、言い訳だけでは地元の反発を招くだろう、

と見た官邸サイドの用意したカードが

「復興公営住宅約5000戸の多くについて、一日も早く用地確保にメドをつけます」

という政府広報だったと言える。

これによって、

進んでいない復興公営住宅への不満を和らげる狙いもあったのだろう

(拙稿「災害公営住宅整備状況」参照/リンク)。


〔資料-1〕

「東日本大震災3周年追悼式」

東日本大震災の発生から3年目となる3月11日、東京・千代田区の国立劇場で、政府主催の「東日本大震災3周年追悼式」が行われた。

「天皇陛下のお言葉(全文)」

   HUFFPOST(2014年03月11日 15時27分 JST)

☆ 記事URL:http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/11/emperor-voice_n_4939003.html?utm_hp_ref=tw

本日、東日本大震災から三周年を迎え、ここに一同とともに震災によって失われた人々とその遺族に対し改めて、深く哀悼の意を表します。

三年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波は二万人を超す死者、行方不明者を生じました。今なお、多くの被災者が被災地で、また、避難先で困難な暮らしを続けています。

さらに、この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。いまだに、自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと、心が痛みます。

この三年間、被災地においては人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続き、様々な形で尽力していることを心強く思っています。

被災した人々の上には、今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ、どうか、希望を失うことなく、これからを過ごしていかれるよう、永きにわたって国民皆が心をひとつにして寄り添っていくことが大切と思います。そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して、進んでいくことを期待しています。被災地に一日も早く、安らかな日々が戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉と致します。


「伊吹衆院議長~追悼の辞」

   BLOGOS(2014年03月11日 23:44)

☆ 記事URL:http://blogos.com/article/82142/

天皇・皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、東日本大震災三周年の追悼式が行なわれるにあたり、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

3年前のきょう、東日本を襲った大地震と津波により、東日本の国土は破壊され、多くの尊い命が失われました。犠牲となられた方々と、ご遺族のみなさまに改めてお悔やみを申し上げます。

そして被災された方々、また福島での原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた方々のお気持ちを思うとき、月並みなお見舞いの言葉を申し上げることすら憚られるのが率直な心境です。

多くの関係者のご努力により、復興に向けた歩みは着実に進んでいます。
震災後、被災地の惨状に心を痛めた方々が、被災地を支援するボランティア活動に参加して下さり、多くのきょうお見えの諸外国からの温かいご支援を頂いたことは、物心両面で、復興の大きな助けとなりました。ご支援いただいた皆様に対し、深く感謝申し上げたいと存じます。

一方で、震災から3年が経過し、被災地以外では、大震災以前とほぼ変わらぬ日々の暮らしが営まれております。
しかし、被災地では仮設住宅等で、ご不自由な生活を余儀なくされている方々もなお多く、震災前の生活を取り戻すことは容易ではありません。特に原子力発電所事故のあった福島県では住み慣れたふるさとに戻ることができず、今なお放射性物質による汚染に苦しんでいる方々が多くおられる現状を、私たちは忘れるべきではないでしょう。

そういった方々の事を思うと、電力を湯水の如く使い、物質的に快適な生活を当然のように送っていた我々一人一人の責任を、全て福島の被災者の方々に負わせてしまったのではないかという気持ちだけは持ち続けなりません。

思えば、私たちの祖先は、自然の恵みである太陽と水のおかげで作物を育て、命をつないできました。
それゆえ、自分たちではどうすることもできない自然への畏敬と、感謝という、謙虚さが受け継がれてきたのが日本人の心根、文化の根底にあったはずです。

科学技術の進歩により、私たちの暮らしは確かに豊かになりましたが、他方で、人間が自然を支配できるという驕りが生じたのではないでしょうか。そのことが、核兵器による悲劇を生み、福島の原発事故を生んだのだと思います。

3年目の3.11を迎えるに際し、私たち一人一人が、電力は無尽蔵に使えるものとの前提に立ったライフスタイルを見直し、反省し、日本人として言行一致の姿勢で、省エネルギーと省電力の暮らしに舵を切らねばなりません。

主権者たる国民より選挙を通じて主権を委ねられている我々国会議員は、被災地の復興に全力で取り組むとともに、震災で得た教訓を元にエネルギー政策の在り方について、現実社会を混乱させることなく、将来の脱原発を見据えて議論を尽くしてまいりたいと存じます。

結びに、震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、追悼の言葉と致します。

平成26年3月11日 衆議院議長 伊吹文明



〔資料ー2〕

「伊吹議長が脱原発に言及 首相周辺から不快感」
   
   共同通信(2014/03/11 22:00 )

☆ 記事URL:http://www.47news.jp/CN/201403/CN2014031101002506.html

伊吹文明衆院議長は11日、東京都内で開かれた政府主催の東日本大震災3周年追悼式の式辞でエネルギー政策に関し「将来の脱原発を見据えて議論を尽くしたい」と述べた。議長就任に伴い自民党会派を離脱しているが、「脱原発は無責任」(安倍晋三首相)との党の主張と一線を画した形だ。首相周辺から不快感が出ており、波紋を広げそうだ。

 伊吹氏は東京電力福島第1原発事故を受け、長期の避難生活を余儀なくされている現状に触れた上で「電力を無尽蔵に使えるとの前提に立ったライフスタイルを見直し、反省し、省エネルギーの暮らしにかじを切らねばならない」と強調し、脱原発に言及した。


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