古井丸 友宏@mjjkoi2399 さんのツイート。
――公職夫人は公人、家族も公人。名誉校長名前貸しイベント参加お中元お歳暮プレゼントなどもあげないこと、受け取らないこと。株式投資も禁止。家族が公職をやっている間は我慢すること。それが嫌なら公職家族をやめること。家族皆で覚悟を決めて社会奉仕すること。ドイツや英国の慣習を見習うべし。〔17:11 - 2017年3月5日〕—―
家族は、
家族。
本人ではない。
しかし、公人である家族との関係で、
準じた扱いをされる。
それは、
個人主義に反しない。
しかし、安倍某らがその扱いに反発して
家族と本人は違う論を
徹底させるのは、
「行き過ぎた個人主義」として
彼ら自らの政治的立場、
すなわち、
憲法を批判して
教育勅語を復活させようとする
その態度ないし考え方
(荻上チキ @torakare さんが紹介している。同氏のツイート〔2:34 - 2017年3月5日 〕参照)
と矛盾しているのではあるまいか。
昭恵夫人は、
私人を演じる公人、
あるいは、
農家のおばちゃんに化けている
安倍晋三の秘書にしか見えないぞ。
ほれ、ほれ、
化けとる、化けとる。
転載元:当人のフェースブック。*https://www.facebook.com/akieabe
<追記>
事実関係として、
本当に、
ドイツや英国でそのような慣習があるのか、
実を言って、
僕は、
知らない。
ただ、あって不合理な考え方ではない。
すなわち、
利益の伴うところ、
リスクも帰すと考えるのが自然だからだ。
奥さんである
昭恵が旦那である晋三に内緒でやっている活動ならともかく、
報告もなされている。
ならば、
昭恵が晋三の手足となって
動き回った
事実を否定できない。
ここまでのところ、
合理的に肯定できるというなら、
昭恵を
晋三と同じ公人と見て何ら支障がない。
むしろ、
妻は妻、夫とは異なると切り離す方が
正義の観念に反する。
2017年3月6日昼 記
――公職夫人は公人、家族も公人。名誉校長名前貸しイベント参加お中元お歳暮プレゼントなどもあげないこと、受け取らないこと。株式投資も禁止。家族が公職をやっている間は我慢すること。それが嫌なら公職家族をやめること。家族皆で覚悟を決めて社会奉仕すること。ドイツや英国の慣習を見習うべし。〔17:11 - 2017年3月5日〕—―
家族は、
家族。
本人ではない。
しかし、公人である家族との関係で、
準じた扱いをされる。
それは、
個人主義に反しない。
しかし、安倍某らがその扱いに反発して
家族と本人は違う論を
徹底させるのは、
「行き過ぎた個人主義」として
彼ら自らの政治的立場、
すなわち、
憲法を批判して
教育勅語を復活させようとする
その態度ないし考え方
(荻上チキ @torakare さんが紹介している。同氏のツイート〔2:34 - 2017年3月5日 〕参照)
と矛盾しているのではあるまいか。
昭恵夫人は、
私人を演じる公人、
あるいは、
農家のおばちゃんに化けている
安倍晋三の秘書にしか見えないぞ。
ほれ、ほれ、
化けとる、化けとる。
転載元:当人のフェースブック。*https://www.facebook.com/akieabe
<追記>
事実関係として、
本当に、
ドイツや英国でそのような慣習があるのか、
実を言って、
僕は、
知らない。
ただ、あって不合理な考え方ではない。
すなわち、
利益の伴うところ、
リスクも帰すと考えるのが自然だからだ。
奥さんである
昭恵が旦那である晋三に内緒でやっている活動ならともかく、
報告もなされている。
ならば、
昭恵が晋三の手足となって
動き回った
事実を否定できない。
ここまでのところ、
合理的に肯定できるというなら、
昭恵を
晋三と同じ公人と見て何ら支障がない。
むしろ、
妻は妻、夫とは異なると切り離す方が
正義の観念に反する。
2017年3月6日昼 記
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます