1970年代の大変動が2008年まで続くのだとするなら、
60年代後半から70年代初頭にかけて時代の節目があったと見てよいでしょう。
その頃は、ドラッカーの言う、まさに「断絶の時代」でした。
懐かしいですね。。。
僕など、いわゆる団塊の世代は、この時期に青春時代を送りました。
――ちなみに、この“団塊の世代”という呼び名は、月刊「現代」1976年
8月号に掲載された、当時通産省の課長だった堺屋太一による近未来小説である、
「団塊の世代」に始まります。
これにより「ベビーブーマー」「戦争を知らない子供たち」などと言われていた
世代に統一的な命名がなされたわけです――。
同誌の1987年10月号に、この世代を評して、次のような記事が見えます。
<楽天的自信過剰種族――といったらいいのか。
人数が多いから、常に世間は注目してきた。
「俺たちの動向を把握しないと遅れちゃうよ」
という感じで、自信を植え付けられてきている。
また、もう一面では、人数の多さゆえ、
競争慣れしていて、かなり、
楽天的にならざるを得ないところがあって
楽天的かつ自信過剰という独特のタイプが誕生した>
(あんまりではないの?)というのが僕の感想。
しかし、どっか当たってそうな気もする、、、
さて、こんな風に団塊の世代を決め付けてくれるのは、だ~れ?
答え:最終号に明記がないので、正確なことは分からないです。
しかし、多分、新人類と言われる世代の評価でしょう。どうしても気になる方は、
1987年「現代」10月号を入手し、「40歳になった団塊の世代“新中年”が
時代を変える」という記事を探してみて下さい。記名があるかもしれません。
その他、「現代」編集部に直接、聞いてみるのも一つの方法です、教えてくれる
かどうかは分からないですが。
60年代後半から70年代初頭にかけて時代の節目があったと見てよいでしょう。
その頃は、ドラッカーの言う、まさに「断絶の時代」でした。
懐かしいですね。。。
僕など、いわゆる団塊の世代は、この時期に青春時代を送りました。
――ちなみに、この“団塊の世代”という呼び名は、月刊「現代」1976年
8月号に掲載された、当時通産省の課長だった堺屋太一による近未来小説である、
「団塊の世代」に始まります。
これにより「ベビーブーマー」「戦争を知らない子供たち」などと言われていた
世代に統一的な命名がなされたわけです――。
同誌の1987年10月号に、この世代を評して、次のような記事が見えます。
<楽天的自信過剰種族――といったらいいのか。
人数が多いから、常に世間は注目してきた。
「俺たちの動向を把握しないと遅れちゃうよ」
という感じで、自信を植え付けられてきている。
また、もう一面では、人数の多さゆえ、
競争慣れしていて、かなり、
楽天的にならざるを得ないところがあって
楽天的かつ自信過剰という独特のタイプが誕生した>
(あんまりではないの?)というのが僕の感想。
しかし、どっか当たってそうな気もする、、、
さて、こんな風に団塊の世代を決め付けてくれるのは、だ~れ?
答え:最終号に明記がないので、正確なことは分からないです。
しかし、多分、新人類と言われる世代の評価でしょう。どうしても気になる方は、
1987年「現代」10月号を入手し、「40歳になった団塊の世代“新中年”が
時代を変える」という記事を探してみて下さい。記名があるかもしれません。
その他、「現代」編集部に直接、聞いてみるのも一つの方法です、教えてくれる
かどうかは分からないですが。
団塊の世代って定年を迎える人達と思ってたんですが違うんですか??
ただ、広義では、ぎりぎり1951~2年生まれも含むようです。それだと、まだ定年には間があるということになります。目くそ鼻くそを笑うの類かも、ですが。
マーケティングの神様~~でしょうか??
わぁ~~私にわかるお名前~うれしいです(^^)
団塊の世代が~こんなに広いなんてぇ~~
小泉純一郎というと、つい斬新と思いがちです。しかし、実は、こんな古い本を下敷きにしていたのですね。ただ、彼の実践がドラッガーの魂がこもった制度改革になっていたかどうかは別論です。
失礼しますぅw
すべては、僕の筆力の問題です。だから謝るべきは僕です。また、よく考えて見ます。
よく耳にします。
あまりピンとこないのが本音ですが。。
戦争が終わって、世の中が平和になって人々が望んだ(ブームとなった)のは、子作りだった…というのは、何だか人間らしくて楽しいです。
戦中、「産めよ、増やせよ」で育った子供たちは兵士として戦地に送られました。誰も好んで子供を作りたいとは思わなかったのではないでしょうか。少なくてもブームにはならなかったはずです。
でも、ここで、自分の気持ちをひとまず置いて“団塊の世代”という言葉を使用したのは、「月刊・現代」という雑誌の影響力の大きさを示すためです。この記事がそもそも、同誌の廃刊を哀悼する趣旨から書き始めたものですから、“団塊の世代”という語が同誌から生まれたことを指摘することに一定の意味がありました。
団塊の世代は、全共闘経験→ 企業戦士→ バブリー→
バブル崩壊経験と ある意味、辛酸を舐めたのでしょうね。
答えは、う~ん誰かな? 立花 隆氏あたりかな?
(僕などは負けっ放しで、ウウッ)
また、人数が沢山だから、注目される結果として、自信過剰になるというのは人間の心理としてどうなんでしょう。可笑しくはないですか。沢山な中の一人ということで、一人一人はあまり注目された体験を持たないわけです。
というようなところから、“団塊の世代”に属する人の言葉ではないと思います。重松氏によると、10月号のモデルケースは1947年生まれだそうです。モデルという限り、観察者ば別にいるはずです。加えて、テキストで引用してある発言が上に述べたように何だか冷淡なところからすると、下の世代の発言と考えるわけです。
立花 隆氏は、思うに、ノンフィクションライターとして大物すぎます。もし、この人の発言なら、重松氏も分析の対象にしないと思います。発言者は,きっと小物です、なんちゃって。本当、偉そうですね、僕って!
僕がモデルなら、的確な評価と言えるのかもしれません。何を隠そう、僕は、負けっ放しでも、楽天的でいられる数少ない選ばれし者なのです。
なお、エルモリアさんは、“団塊の世代”を「辛酸を舐めた」と評価なさって下さってますが、それはない、と思いますよ。