僕には結婚の体験がありません。当然、子供がいません。
介護職に就いていたとき、家に帰ったとき、迎えてくれる人の存在が欲しかった。
(人間が無理なら、ネコでいい・・・)
ただ、動物の類は、留守がちの僕が飼うのは、残酷です。そこで、植物を育てること
にしました。どの植物も、面白いほどすくすくと育ちました。
近所のおせっかいおばさんが僕に花の育て方のいろはを教えようとしてくれました。
正しい意見なら、従います。しかし、どうも世話の仕方が過剰に思えました。
人を相手にするにしろ、動物を相手にするにしろ、はたまた植物が相手であるにし
ろ、僕にはある考えがあります。それは、”求めるものを提供せよ”ということです。
しかし、闇雲に与えればいいというものでもない。過ぎたるは及ばざるが如しです。
僕は笑って、気を遣わないでください、とだけその方に伝えて置きました。
しかし、何分、留守の身の上、僕のいない間、そのおばさんが肥料や水遣りなどを
してくれました。そして結果はと言うと、見事に枯れました。
「ご満足ですか? 今後はお構いなく!」との旨、その方に伝えました。
「この花、ここでは咲かんよ。捨てるしかないわ」というのがその方の言い分でした。
(日本で育たんというなら、何故、花屋で売ってる?)
僕がまた一人で花の世話をし始めると、またすくすくと育ち始めました。前よりも、
もっと言いようのない美しさがありました。
花がいよいよ咲くという頃、茎が根元から引きちぎられました。
とても深い悲しみに襲われました。だって、その花は、僕の子供だったから・・・
もう一度と思って、懲りずに育てました。芽が出て、復活です。
この後どうなったと思います?
根ごと引き抜き、その根を磨り潰し、地面に塗りつけられてありました。
僕に、花の育て方をコーチしようとした方は、曲がりなりにも華道の師匠でした。
面子を潰されたと、怒っておいでだったのかもしれません。9分9厘までその方の仕
業と思えました。しかし、状況証拠ばかりで決定的な証拠がありません。どうにかし
たかったですが、どうにもなりません。対抗手段もなく、育てる植物という植物は、
全て受難に遭いました。
前の前の記事で、トラウマが蘇ったと記しました。そういう体験があったのです。
花盗人という一見響きのいい言葉で、本質を見誤ってはならないと思います。
確かに”連続殺人にも通じる反社会的行為”というのはかなり過激な表現です。
しかし、これぐらい言わないと、花盗人の卑劣さが伝わらないのではないでしょうか。
チューリップの事件には前々回、触れましたね。植物の次は動物です。ついこの間、
黒鳥、白鳥が子供に撲殺されたでしょう。子供のしたことだから、まぁいいや、では
なく、子供までがそのようなことをする程度に、社会が病んでいるのです。子供を育
てる親の世代が、花盗人の残虐性を見ずに、「日本の文化的伝統」として許そうとさ
えする。異議申し立てをしたのは、そういう発想に対して危機意識を持ったからです。
的外れな議論はしていないつもりです。
チューリップの大量引き抜き事件の後、黒鳥撲殺事件があったでしょう。次は、人間
かな、と思っていた矢先、先の秋葉原の事件がありました。
心の動きとして、この三つの事件には相通じるものがあると思います。
介護職に就いていたとき、家に帰ったとき、迎えてくれる人の存在が欲しかった。
(人間が無理なら、ネコでいい・・・)
ただ、動物の類は、留守がちの僕が飼うのは、残酷です。そこで、植物を育てること
にしました。どの植物も、面白いほどすくすくと育ちました。
近所のおせっかいおばさんが僕に花の育て方のいろはを教えようとしてくれました。
正しい意見なら、従います。しかし、どうも世話の仕方が過剰に思えました。
人を相手にするにしろ、動物を相手にするにしろ、はたまた植物が相手であるにし
ろ、僕にはある考えがあります。それは、”求めるものを提供せよ”ということです。
しかし、闇雲に与えればいいというものでもない。過ぎたるは及ばざるが如しです。
僕は笑って、気を遣わないでください、とだけその方に伝えて置きました。
しかし、何分、留守の身の上、僕のいない間、そのおばさんが肥料や水遣りなどを
してくれました。そして結果はと言うと、見事に枯れました。
「ご満足ですか? 今後はお構いなく!」との旨、その方に伝えました。
「この花、ここでは咲かんよ。捨てるしかないわ」というのがその方の言い分でした。
(日本で育たんというなら、何故、花屋で売ってる?)
僕がまた一人で花の世話をし始めると、またすくすくと育ち始めました。前よりも、
もっと言いようのない美しさがありました。
花がいよいよ咲くという頃、茎が根元から引きちぎられました。
とても深い悲しみに襲われました。だって、その花は、僕の子供だったから・・・
もう一度と思って、懲りずに育てました。芽が出て、復活です。
この後どうなったと思います?
根ごと引き抜き、その根を磨り潰し、地面に塗りつけられてありました。
僕に、花の育て方をコーチしようとした方は、曲がりなりにも華道の師匠でした。
面子を潰されたと、怒っておいでだったのかもしれません。9分9厘までその方の仕
業と思えました。しかし、状況証拠ばかりで決定的な証拠がありません。どうにかし
たかったですが、どうにもなりません。対抗手段もなく、育てる植物という植物は、
全て受難に遭いました。
前の前の記事で、トラウマが蘇ったと記しました。そういう体験があったのです。
花盗人という一見響きのいい言葉で、本質を見誤ってはならないと思います。
確かに”連続殺人にも通じる反社会的行為”というのはかなり過激な表現です。
しかし、これぐらい言わないと、花盗人の卑劣さが伝わらないのではないでしょうか。
チューリップの事件には前々回、触れましたね。植物の次は動物です。ついこの間、
黒鳥、白鳥が子供に撲殺されたでしょう。子供のしたことだから、まぁいいや、では
なく、子供までがそのようなことをする程度に、社会が病んでいるのです。子供を育
てる親の世代が、花盗人の残虐性を見ずに、「日本の文化的伝統」として許そうとさ
えする。異議申し立てをしたのは、そういう発想に対して危機意識を持ったからです。
的外れな議論はしていないつもりです。
チューリップの大量引き抜き事件の後、黒鳥撲殺事件があったでしょう。次は、人間
かな、と思っていた矢先、先の秋葉原の事件がありました。
心の動きとして、この三つの事件には相通じるものがあると思います。
それが、花。植物であろうが・・・。
最近は、何の命でも粗末にする事が多いですね。
これも、時代の流れの一つでしょうか・・・。
の得意範囲を知っていたいですよね。
「水に流す」も、論点を整理することなくうやむやにすることが多いようです。
花盗人もあいまいさを持った言葉ですね。
人間のさもしさを感じるのは、悲しいことです。
「蟻の穴から堤も崩れる」ことが、ありませんように。
「言わぬが花」の話だったのですかね。
しかし、人として破廉恥と言われることのないようにしたいものですね。