☆法律との関連
花盗人は、刑事犯として窃盗罪に該当します。花に財物としての価値がない場合で
も、器物損壊罪に当たります。いずれにしても、民事上、損害賠償責任を負います。
花盗人をして、「罪にならないと思った」と抗弁しても言い訳として通用しません。
☆古典との関連
一、狂言「花盗人」
狂言は、昔のジョーク集です。花盗人として捕らえられた人が教養の限りを尽くし
て、罪から免れようとします。そこで思いついたのが、桜という美のシンボルと花盗
人という醜のシンボルとの間にあるミスマッチ性を指摘することでした。
「私をくくりつけると、この桜は、烏帽子(武士の被り物)桜と呼ばれるぞ」
破廉恥犯を桜にくくりつけたら、桜に気の毒だ、桜が破廉恥犯を逮捕する官吏に見
えるという発想がこのジョークの根底にあるわけです。
二、「和泉式部日記」
花盗人と言ってくれていい・・・
こちらの方は解説の要なしですよね。でもまぁ、一応。
「苦労して育てた娘をどこの馬の骨とも分からん男に嫁がせるわけには行かない」
そう言って結婚を認めない親に対して、娘を愛した男が自分を花盗人に喩えて、許し
を請う際のセリフです。
三、結論
以上二つの物語から分かるように、日本の文化の伝統として、花盗人を破廉恥犯罪
と見る傾向があったと言えるでしょう。ただ、後者の和泉式部日記の使用法では、親
への殺し文句です。案外にこれを持ち出された親は、罪(未婚の娘に言い寄るのは立
派な罪だったわけです)を問わなかったのではないでしょうか。
親としては、自分の子を花に喩えられ悪い気はしなかったはずです。その精神が今に
伝わり「罪に問わない」という慣用句として残ったのだと思います。
他方、語源を云々して狂言を引っ張り出すのは、その方がしゃれていると感じるから
なのでしょう。ただ、こちらを引き合いに出す限り、「罪に問わない」という寛容さは、
微塵も含まれていません。含まれてないから、ジョークが生きるのです。そこを忘れ
てはいけません。
☆世界観との関連
これが一番問題なのかもしれません。しかし、こちらの方は、自分で考えてください。
花盗人は、刑事犯として窃盗罪に該当します。花に財物としての価値がない場合で
も、器物損壊罪に当たります。いずれにしても、民事上、損害賠償責任を負います。
花盗人をして、「罪にならないと思った」と抗弁しても言い訳として通用しません。
☆古典との関連
一、狂言「花盗人」
狂言は、昔のジョーク集です。花盗人として捕らえられた人が教養の限りを尽くし
て、罪から免れようとします。そこで思いついたのが、桜という美のシンボルと花盗
人という醜のシンボルとの間にあるミスマッチ性を指摘することでした。
「私をくくりつけると、この桜は、烏帽子(武士の被り物)桜と呼ばれるぞ」
破廉恥犯を桜にくくりつけたら、桜に気の毒だ、桜が破廉恥犯を逮捕する官吏に見
えるという発想がこのジョークの根底にあるわけです。
二、「和泉式部日記」
花盗人と言ってくれていい・・・
こちらの方は解説の要なしですよね。でもまぁ、一応。
「苦労して育てた娘をどこの馬の骨とも分からん男に嫁がせるわけには行かない」
そう言って結婚を認めない親に対して、娘を愛した男が自分を花盗人に喩えて、許し
を請う際のセリフです。
三、結論
以上二つの物語から分かるように、日本の文化の伝統として、花盗人を破廉恥犯罪
と見る傾向があったと言えるでしょう。ただ、後者の和泉式部日記の使用法では、親
への殺し文句です。案外にこれを持ち出された親は、罪(未婚の娘に言い寄るのは立
派な罪だったわけです)を問わなかったのではないでしょうか。
親としては、自分の子を花に喩えられ悪い気はしなかったはずです。その精神が今に
伝わり「罪に問わない」という慣用句として残ったのだと思います。
他方、語源を云々して狂言を引っ張り出すのは、その方がしゃれていると感じるから
なのでしょう。ただ、こちらを引き合いに出す限り、「罪に問わない」という寛容さは、
微塵も含まれていません。含まれてないから、ジョークが生きるのです。そこを忘れ
てはいけません。
☆世界観との関連
これが一番問題なのかもしれません。しかし、こちらの方は、自分で考えてください。
息子には、「親への殺し文句」
として覚えるよう伝えておきましょう。
イザというときには、そんな気の利いたセリフ、
言えるような息子たちではないですけどね・・(笑)
僕は、息子さんに感謝ですね。このセリフ、かなり臭いですから、言わないほうが無難かも。
☆まーちんさんへ
杓子定規はいけないと思います。まーちんさんが、これはどうも説得力がないと思われる理由分からないでもないです。
花の小鉢をそっと持ち帰って、大事に育ててくれるというなら僕も許します。
ただ、だからと言って、日本人は、昔から花盗人には寛容だったという決め付けをするのは妄説だということです。確かに「罪に問わない」という慣用句はあります。ただ、それは、「花を愛する人」に限定して使われているでしょうということが言いたかったわけです。
本当に花を愛してる人というのは、育てる苦労も分かっているはずです。だとしたら、盗まないのではないですか。
だから、これを逆に言うと、盗む人というのは、手慰みでもって帰るという場合がほとんどだということです。まーちんさんね、是非花を育ててみてください。花を盗まれたとき、どんな思いをさせられるか・・・
寛容でありえるはずがない、ということを実感されるでしょう。
「罪に問われない」根拠は、美しいものは、つい手にしたくなる人間心理にあると思います。
日本の伝統と言って、古典を引っ張り出すから、話がややこしくなるのです。
「花盗人」というのが古典に載ってるというのは、事実として認められます。
だけれど、内容を見ると、破廉恥なものであるという理解を昔から日本人はしていたことが読み取れる、というのが他方の事実です。それに気づける能力のある人が余りに少ない・・・!ということを、僕は嘆かわしく思うわけです。