移住は、
命がけの感がありますね。
しかし、
座して死を待つ
ような生き方は賛成しかねます…
でも、
難しいですね。
果たして、
もし、自分が関東に住んでいたとして
移住を決意できるかどうか、
分りません。
意見することは控え、
資料として、
アドバイスの転載だけしておきます。
〔資料〕
「移住を実現した方からの体験を踏まえたアドバイス」
サイト「ずくなしの冷や水」(2016年02月13日)
☆ 記事URL:http://inventsolitude.sblo.jp/article/173952663.html
移住について夫婦で意見が異なったが、後々理解し合えたという方の体験談を聞きたいに早速、読者からのコメントが寄せられている。ありがとうございます。コメントのうち長文のもの4件をこちらに掲載する。引用開始。
1 ダニエルさんから
移住で、肉体面精神面の改善がどの程度見込めるか、そこにご主人は懐疑的なのかと思います。移住はリスクを伴います。仕事、収入、人間関係、全て一旦白紙に戻ります。精神面の絆、母子避難は難しいと思います。
未就学児のお子さんをしっかりとあずけて働きに出る、その覚悟も必要です。ただし、沖縄の雇用は大都市部よりも難しいと理解して下さい。人のやらない仕事それを引き受ける覚悟か資格知識や経験が活かせる仕事を見つけられると良いのですが。
母子で期限付き移住、その間に就業に活かせる資格取得をする、そして就労するなどの方策も必要でしょう。被曝回避以外は今と同じような生活、それを維持しつつであるならば、家庭の家計、一般的な収入であるならいずれ破綻するでしょう。
ダイナミックに暮らしを一変させて生きる、というその覚悟がほんとうに出来ているならば良いのですが。私供家族は、事故直後から避難移住しております。ご主人の説得、それは結婚そのものを根本的に考え直さない限り難しいと思います。生活をするための仕事、就労を場合によっては一から積み上げないといけない、そこに困惑とプレッシャーは存在します。避難先での男性の孤立は、一定数存在してます。
母子で生きる、仮にお子さんと二人の生活になったとしてもご主人を思いやり生きてゆく、それにはそれ相当の覚悟も必要でしょう。ご自分の仕事、その収入だけでもご主人を含めて生き抜く、それぐらいの勢いで一旦母子避難をし、新たな生活を築く道筋が必要でしょう。それを移住生活の中から見つけてみる、それでも良いと思います。
私どものことで言うならば、移住してみて見えたこと、それは「子供の元気な生活」そのものです。泣き笑い、その姿は、親として生きることの大変な励みになります。移住しなければ、こんな生活に私は出来なかったと思います。現実を見ないで悔やんだ生活を続けること、それは私には出来なかった。
しかも、それで妻や子供に被曝症状や、そこから生まれるありとあらゆる病気が発生したならば。そんな後悔を私は今後もしたくはありません。ご主人と「生きるということ」それを、もっと深く理解し共有できる話し合いができると良いのですが。
お互いを思いやり、その二人の目の前にはお子様がいらっしゃいます。よくよく考えれば、おのずと答えが見つかると、私は勝手ながら思います。
2 おじょう さんから
夫婦の問題の前になぜ沖縄なのですか? 下見はこれからでしょうか?
母子移住となった場合、生活費はご主人に送金してもらうのでしょうか。心配な点がいくつも感じられます。
ご主人に一緒に移住してほしいとお考えのようですが…ご主人の再就職先の下調べがとても重要です。「なんとかなるさ」という柔軟な気質のご主人ならば農業、漁業あるいはマリンスポーツが得意であればレジャー産業など沖縄でやっていける可能性を見出せるかと思うのですが。また持病を抱えての移住となる場合、通院先の確保もきちんとしておく必要があります。
お尋ねの方がどんなスキルや気質をお持ちなのかが分からないので一般論になってしまいますが、沖縄は就職は特に厳しく、基地問題など特有の問題を抱えているところでもあります。母子移住に踏み切るならば…経済的に余裕がある方は関係ないですが…片道キップの覚悟も必要かと。交通費もバカになりませんから。
うちは母子移住なのですが、当初主人も両親も移住の必要性を感じていませんでした。毎日子供の体調を心配し、ネット情報を漁る私の姿に放射能の害よりも私の精神状態に危機感を感じていたのだと思います。
母子移住は「これならやっていけそうだ」と家族が思えるステップを踏んで臨みました。
移住のイメージを具体化するために、候補地のシェアハウスに主人も一緒に宿泊したのがとても良い経験になりました。ネットでしか聞かなかった「放射能を怖がる人たち」が目の前にいて、そしてその人たちを受け入れ手助けしてくれるスタッフの方達がいて、どちらもいたってマトモな人、好ましい人たちと主人は受け取れたのだと思います。
宿泊中、あれこれと雑談を交わし、時には「親父会」と称して飲み会を開いて下さり、その中で語られる放射能がらみの話は素直に主人の胸に届いたのだと…私は勝手ながら思っています。
シェアハウス滞在中いただいた資料を関東へ戻ってからよくよく比較し、子供が馴染めそうなところ、主人が今の職能を活かせるか、主人の趣味に合うかなど考え更に別の候補地にも足を運び(このときは子供だけ連れて)、ようやっと現在の地へ移住となりました。
移住に際しては関東で受診していた医院の紹介状をもらい、移住先の医院へ提出しました。(母子ともに橋本病と診断されていたので。移住先の医院は自分で探しました。下見の際に出会った移住の先輩や地元の人たちにいろいろと情報を聞いてから判断しました。)
両親の問題が未解決なのと経済的理由もあり母子の状態が続いていますが、なんとか一年やってこれました。
数ヶ月前になりますが、県主催の移住ツアーの受け入れスタッフをしたことがあって…各地から希望者がいらしたんですが「沖縄へ移住したが仕事がない」とツアーに参加されていたお父さんがいましたよ。
ご主人の同意が得やすい条件を揃えてみてはどうでしょう。
沖縄は食材の面でもあまり良い話を聞きません。
(沖縄大好きなんですよ~、これでも。3.11前は住みたい~って騒いでた。)
3 miniさんから
避難に反対していた夫は徐々に変わりました。
震災二ヶ月後に、娘と1歳の孫の三人で関東から西日本に避難しました。
夫は、深読み過ぎだと言いましたが、避難宣言をする私に、言い出したら聞かない人だからと許したようです。
娘の夫には、小さな子供は大人の百倍も放射能の被害があるのでと説明し避難の許可を貰いました。
ところが避難してから、特に娘の夫が、勝手に別居させたと凄い攻撃をしてきました。
思うに、妻と子供が自分から、距離的にも心情的にも離れてしまうのが苦痛なのではないでしょうか。
そして、仕事を簡単に変えて今の収入を維持出来るとは思ってはいないと思います。
私は、夫が東京から新幹線で4時間内で来られる距離に避難しました。
それから夫に、原発の状況、首都圏の健康被害などを常に伝え続け、
子供も孫も夫も大切であることを伝え続け、夫が気持ち的に一人にならないようにしています。
夫はまだ東京にいますが、いつかは避難先に移住したいと気持ちが変わってきていますし、放射能防御もするようになりました。
それでも首都圏も健康被害が酷いですから、早く来て欲しいと思っています。
娘の夫は、私たちを攻撃したまま、放射能防御はせず、311から2年半後に心不全で急死しました。
この状況で生き抜くには色々な準備と覚悟が必要だと思います。
4 流星さんから
短期の移住をしてみて、反応をみてはいかがですか? 考えているだけでは何もかわりません。
私は瓦礫焼却が行われていた時期に夫と放射能防御で意見があわなくなり、別居していまは離婚しました。その間に新しい資格をとったり、再就職したりもしました。今はなんとか正社員で綱渡りの毎日です。
資金もキャリアもないのに、無謀な海外移住も最初は計画していましたが、とりあえず旅行がてら海外に下見には2ヶ所いきました。
移住をすれば旦那さんの反応も変わります。うちは何回も子どもを連れ戻されそうになったり嫌みを言われたりしました。本性が見えました。移住先を下見したり、就職活動や保育所探しをするだけで現実がみえます。
自分に足りないものは資金なのか、キャリアなのか、何なのかできるだけ具体的にしなければ、先には進まないと思います。 移住して上手くいくにこしたことはないですが、相手の反応次第なのである程度覚悟は必要ですよ。
・・・引用終わり・・・
みなさん、それぞれの貴重な助言ありがとうございます。
ダニエルさんの助言は、管理人はもっともだと思いました。家族ぐるみの移住では、実際には、父親の負担が最も大きいはずだと管理人は考えています。
職探し、転職に伴う苦労について父親たちはあまり語りません。それだけ厳しく、転職後、数年経過しても苦労が尽きないからではないかと推察しています。これまでの記事を思い起こしても、転職関係での苦労を綴った投稿、特に家族ぐるみ移住した場合の体験例はないのではないかと思います。
こんなに厳しい、苦労が多いと書くと、移住を志す人の意欲を阻害しかねないと懸念しているのかもしれません。
ですが、やはり情報はあったほうがよいです。給与は半額、事務職から現場仕事へ。これが普通だと思います。東京都内西部から近畿に移住したベテラン薬剤師さんですら収入が大きく減ったと書かれていました。
管理人は、男性の側が移住に二の足を踏むのはひとえに転職問題だと考えています。男性読者からご意見を伺いたいところです。
この問題に関連して壮年男性から転職活動の経緯が投稿されています。2016/2/13、西日本への移住は仕事を持っている男性、特に40代以降の方には簡単ではないが、徹底的にやれば活路はある
命がけの感がありますね。
しかし、
座して死を待つ
ような生き方は賛成しかねます…
でも、
難しいですね。
果たして、
もし、自分が関東に住んでいたとして
移住を決意できるかどうか、
分りません。
意見することは控え、
資料として、
アドバイスの転載だけしておきます。
〔資料〕
「移住を実現した方からの体験を踏まえたアドバイス」
サイト「ずくなしの冷や水」(2016年02月13日)
☆ 記事URL:http://inventsolitude.sblo.jp/article/173952663.html
移住について夫婦で意見が異なったが、後々理解し合えたという方の体験談を聞きたいに早速、読者からのコメントが寄せられている。ありがとうございます。コメントのうち長文のもの4件をこちらに掲載する。引用開始。
1 ダニエルさんから
移住で、肉体面精神面の改善がどの程度見込めるか、そこにご主人は懐疑的なのかと思います。移住はリスクを伴います。仕事、収入、人間関係、全て一旦白紙に戻ります。精神面の絆、母子避難は難しいと思います。
未就学児のお子さんをしっかりとあずけて働きに出る、その覚悟も必要です。ただし、沖縄の雇用は大都市部よりも難しいと理解して下さい。人のやらない仕事それを引き受ける覚悟か資格知識や経験が活かせる仕事を見つけられると良いのですが。
母子で期限付き移住、その間に就業に活かせる資格取得をする、そして就労するなどの方策も必要でしょう。被曝回避以外は今と同じような生活、それを維持しつつであるならば、家庭の家計、一般的な収入であるならいずれ破綻するでしょう。
ダイナミックに暮らしを一変させて生きる、というその覚悟がほんとうに出来ているならば良いのですが。私供家族は、事故直後から避難移住しております。ご主人の説得、それは結婚そのものを根本的に考え直さない限り難しいと思います。生活をするための仕事、就労を場合によっては一から積み上げないといけない、そこに困惑とプレッシャーは存在します。避難先での男性の孤立は、一定数存在してます。
母子で生きる、仮にお子さんと二人の生活になったとしてもご主人を思いやり生きてゆく、それにはそれ相当の覚悟も必要でしょう。ご自分の仕事、その収入だけでもご主人を含めて生き抜く、それぐらいの勢いで一旦母子避難をし、新たな生活を築く道筋が必要でしょう。それを移住生活の中から見つけてみる、それでも良いと思います。
私どものことで言うならば、移住してみて見えたこと、それは「子供の元気な生活」そのものです。泣き笑い、その姿は、親として生きることの大変な励みになります。移住しなければ、こんな生活に私は出来なかったと思います。現実を見ないで悔やんだ生活を続けること、それは私には出来なかった。
しかも、それで妻や子供に被曝症状や、そこから生まれるありとあらゆる病気が発生したならば。そんな後悔を私は今後もしたくはありません。ご主人と「生きるということ」それを、もっと深く理解し共有できる話し合いができると良いのですが。
お互いを思いやり、その二人の目の前にはお子様がいらっしゃいます。よくよく考えれば、おのずと答えが見つかると、私は勝手ながら思います。
2 おじょう さんから
夫婦の問題の前になぜ沖縄なのですか? 下見はこれからでしょうか?
母子移住となった場合、生活費はご主人に送金してもらうのでしょうか。心配な点がいくつも感じられます。
ご主人に一緒に移住してほしいとお考えのようですが…ご主人の再就職先の下調べがとても重要です。「なんとかなるさ」という柔軟な気質のご主人ならば農業、漁業あるいはマリンスポーツが得意であればレジャー産業など沖縄でやっていける可能性を見出せるかと思うのですが。また持病を抱えての移住となる場合、通院先の確保もきちんとしておく必要があります。
お尋ねの方がどんなスキルや気質をお持ちなのかが分からないので一般論になってしまいますが、沖縄は就職は特に厳しく、基地問題など特有の問題を抱えているところでもあります。母子移住に踏み切るならば…経済的に余裕がある方は関係ないですが…片道キップの覚悟も必要かと。交通費もバカになりませんから。
うちは母子移住なのですが、当初主人も両親も移住の必要性を感じていませんでした。毎日子供の体調を心配し、ネット情報を漁る私の姿に放射能の害よりも私の精神状態に危機感を感じていたのだと思います。
母子移住は「これならやっていけそうだ」と家族が思えるステップを踏んで臨みました。
移住のイメージを具体化するために、候補地のシェアハウスに主人も一緒に宿泊したのがとても良い経験になりました。ネットでしか聞かなかった「放射能を怖がる人たち」が目の前にいて、そしてその人たちを受け入れ手助けしてくれるスタッフの方達がいて、どちらもいたってマトモな人、好ましい人たちと主人は受け取れたのだと思います。
宿泊中、あれこれと雑談を交わし、時には「親父会」と称して飲み会を開いて下さり、その中で語られる放射能がらみの話は素直に主人の胸に届いたのだと…私は勝手ながら思っています。
シェアハウス滞在中いただいた資料を関東へ戻ってからよくよく比較し、子供が馴染めそうなところ、主人が今の職能を活かせるか、主人の趣味に合うかなど考え更に別の候補地にも足を運び(このときは子供だけ連れて)、ようやっと現在の地へ移住となりました。
移住に際しては関東で受診していた医院の紹介状をもらい、移住先の医院へ提出しました。(母子ともに橋本病と診断されていたので。移住先の医院は自分で探しました。下見の際に出会った移住の先輩や地元の人たちにいろいろと情報を聞いてから判断しました。)
両親の問題が未解決なのと経済的理由もあり母子の状態が続いていますが、なんとか一年やってこれました。
数ヶ月前になりますが、県主催の移住ツアーの受け入れスタッフをしたことがあって…各地から希望者がいらしたんですが「沖縄へ移住したが仕事がない」とツアーに参加されていたお父さんがいましたよ。
ご主人の同意が得やすい条件を揃えてみてはどうでしょう。
沖縄は食材の面でもあまり良い話を聞きません。
(沖縄大好きなんですよ~、これでも。3.11前は住みたい~って騒いでた。)
3 miniさんから
避難に反対していた夫は徐々に変わりました。
震災二ヶ月後に、娘と1歳の孫の三人で関東から西日本に避難しました。
夫は、深読み過ぎだと言いましたが、避難宣言をする私に、言い出したら聞かない人だからと許したようです。
娘の夫には、小さな子供は大人の百倍も放射能の被害があるのでと説明し避難の許可を貰いました。
ところが避難してから、特に娘の夫が、勝手に別居させたと凄い攻撃をしてきました。
思うに、妻と子供が自分から、距離的にも心情的にも離れてしまうのが苦痛なのではないでしょうか。
そして、仕事を簡単に変えて今の収入を維持出来るとは思ってはいないと思います。
私は、夫が東京から新幹線で4時間内で来られる距離に避難しました。
それから夫に、原発の状況、首都圏の健康被害などを常に伝え続け、
子供も孫も夫も大切であることを伝え続け、夫が気持ち的に一人にならないようにしています。
夫はまだ東京にいますが、いつかは避難先に移住したいと気持ちが変わってきていますし、放射能防御もするようになりました。
それでも首都圏も健康被害が酷いですから、早く来て欲しいと思っています。
娘の夫は、私たちを攻撃したまま、放射能防御はせず、311から2年半後に心不全で急死しました。
この状況で生き抜くには色々な準備と覚悟が必要だと思います。
4 流星さんから
短期の移住をしてみて、反応をみてはいかがですか? 考えているだけでは何もかわりません。
私は瓦礫焼却が行われていた時期に夫と放射能防御で意見があわなくなり、別居していまは離婚しました。その間に新しい資格をとったり、再就職したりもしました。今はなんとか正社員で綱渡りの毎日です。
資金もキャリアもないのに、無謀な海外移住も最初は計画していましたが、とりあえず旅行がてら海外に下見には2ヶ所いきました。
移住をすれば旦那さんの反応も変わります。うちは何回も子どもを連れ戻されそうになったり嫌みを言われたりしました。本性が見えました。移住先を下見したり、就職活動や保育所探しをするだけで現実がみえます。
自分に足りないものは資金なのか、キャリアなのか、何なのかできるだけ具体的にしなければ、先には進まないと思います。 移住して上手くいくにこしたことはないですが、相手の反応次第なのである程度覚悟は必要ですよ。
・・・引用終わり・・・
みなさん、それぞれの貴重な助言ありがとうございます。
ダニエルさんの助言は、管理人はもっともだと思いました。家族ぐるみの移住では、実際には、父親の負担が最も大きいはずだと管理人は考えています。
職探し、転職に伴う苦労について父親たちはあまり語りません。それだけ厳しく、転職後、数年経過しても苦労が尽きないからではないかと推察しています。これまでの記事を思い起こしても、転職関係での苦労を綴った投稿、特に家族ぐるみ移住した場合の体験例はないのではないかと思います。
こんなに厳しい、苦労が多いと書くと、移住を志す人の意欲を阻害しかねないと懸念しているのかもしれません。
ですが、やはり情報はあったほうがよいです。給与は半額、事務職から現場仕事へ。これが普通だと思います。東京都内西部から近畿に移住したベテラン薬剤師さんですら収入が大きく減ったと書かれていました。
管理人は、男性の側が移住に二の足を踏むのはひとえに転職問題だと考えています。男性読者からご意見を伺いたいところです。
この問題に関連して壮年男性から転職活動の経緯が投稿されています。2016/2/13、西日本への移住は仕事を持っている男性、特に40代以降の方には簡単ではないが、徹底的にやれば活路はある
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