のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

たね蒔きジャーナル・ゲスト 小出裕章氏 / 「がれき受け入れについて」

2013年05月26日 01時49分12秒 | Weblog
20120321 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章


この前、ブログで

小出裕章氏は、

ダブル・バインド(二重拘束)という形での

洗脳をしていると、

書きました

(「『信頼』と『信用』について」参照/リンク)。

根拠は、

主に、「汚染したものを皆で食べるとき、

序列で老いた人から

食べるべき」という提案にありました。

子ども逃がせと言いながら、

「子どもと一緒」

の生活を想定し、

年老いた者が年相応に

汚れ物を引き受けるべきという

内容です。

しかし、別々なものを

食べるには、

それなりの手間暇をかけて

調理するハードルが

あります。

それに、そもそも、

じぶん家には

年寄りがいるから

放射能汚染物を

わざわざ買う――という発想に、

違和感を覚えます。

一緒に住み続ける際、

同じものを食べる、これは、

運命みたいなものです。

反対方向の

誘因があれば、

前に進めなくなります。

また、

国にベクレル数の表示が

ない段階で、

ほとんど意味をなさない議論です。

小出氏は、

別のところで、

素人が

勝手にベクレル数を計測するな、

と申し立てていました。

そうなると、

放射能を計測する特殊な施設が傍にある

一部の富裕層が

自己満足のために汚染度に応じて

食べ物を

振り分ける遊びが

出来るだけ…ということです。

さて、

その“食物”に関する考え方を

“汚染物”処理に当て嵌めて見ましたとき、

各自治体が“身の丈に合った”量の

がれきを引き受ける、という話になると思います。

“身の丈に合った”というのは、

すなわち、

放射能耐性のある

老人が

汚染度の強い

食べ物を口にするように、

ゴミ焼却炉の

“放射能”という毒物への

耐性(処理能力)の大きさに応じて

がれきを受け入れよ、と言うのと同義です。

ところで、今日、改めて、

小出氏の説明を聞きながら、

もう一点、

後処理として、

焼却された灰について

東京電力に引きうけさせるべきという

提案をされていることに

気付きました。

(無理!)

と思うから、

記憶に残っていなかったのですね。

もし、可能とすれば

ダブル・バインドにはならないのかも知れません。

がれき焼却は、

一過性のものですし、

「ここまでは我慢できる」

という範囲を

想定しても

「洗脳」と難詰するほどの

不合理は

ないかもしれないです。

ただ、それでもやっぱり、

小出氏は

誤っていると思います。

何となれば、

簡単に

東北各県での

放射能処理施設の建設を断念している点です。

つまり、

この時点で

小出氏は

僕が言ったと

同じニューアンスで、

(無理!!)

と感じちゃってるんでしょう。

「現実的じゃない」

という評価の下、

自分の決断を正当化されますが、

本当にその通りですか?

よく考えて下さい。

東北各県で

放射能対応という特別仕様の

ゴミ焼却施設は建設しない

と決めているのは、

地方自治体というより、

国です。

この決定を引っくり返す困難さと

各自治体で

がれきを受け入れて

焼却処分した後の灰を

東電に送りつける困難さを

比べて見て下さい。

明らかに

後者の方が難しいです。

極端なこと言えば、

日本の権力構造の中心にいるのは

東電です。

だからこそ、

命令に逆らえないんですよ。

東電本社に乗り込んだ

菅元首相も

本心はと言えば、

東電という中心、いわば太陽を

温存するための

ゾンビ法案を成立させた

第一功労者じゃないですか。

もっと、

物事を合理的に考える

原子力と無関係な

勢力が

権力を得ないと、

東電にゴミを送りつけるという

選択は、不可能です。

しかもその選択は、

最善ではありません。

次善なんです。

では、最善は何かと言うと、

原則通りということでしょう。

なぜ、わざわざ不可能な次善の策を

勧められるのでしょう。

小出氏は

高潔な方という印象が強いわけです。

ただ、この点に関して、

とても不可解です。

ひょっとすると、

受け狙いではないかとさえ思います。

確かに、

「東電に汚染物質を持ち込んでやれ」

というところ、

どっと笑いが取れる場面です。

加害者である

東電をいたぶる話は快感ですらあります。

ただ、それこそ、実現性の乏しい、

むしろ、実現可能性の欠如したとも言うべき提案です。

違いますか。

ダブル・バインドだという疑いを持ったのは、

それがためです。

思うに、東北各県に

新たに放射能対応型のゴミ焼却炉を

作らせるべく

原則を貫くべきだったです。

そこは、

真剣に反省して頂きたいと思います。

僕に言わせれば、

がれき焼却で

いとも容易く全面突破されたのには、

それだけの理由があったのです。

それに

もう一言、

言わしてもらうと、

小出氏ほど

自治体の首長は

頭がよくないんです。

とりあえずにしろ、

小出氏の

真似をして

がれき焼却の受け入れを

認めさせる――

という発想しかなかったと思われます。

その結果、

無視されている事柄、

その一、放射能処理能力のあるゴミ焼却施設≒普通のゴミ焼却炉

(我が市町村は、一流なり。普通であっても特殊なり。

したがって、自信持って燃やすぞ~)

その二、東電への送付は、地元の電力会社の顔を潰すから考えない。


“放射能処理能力”という難しい言葉を

持ち出した時点でアウトだった…

と思われませんか。

科学者といえど、

社会運動に連なる範囲では、

理論構成は

緻密じゃなくていいのです。

石原爺や

橋下若年寄りといった

頑固な

人たちが相手です。

「絆」で

酔っぱらえる人たち相手に

「仕方ない」は禁句です。

それを言っちゃうと、

凡そ正反対の信念を彼等は

口走ります。

そして

「もう、止まらない」

という状態に突入します。

「ん? 暴走老人? 言って、言って」

という具合で

理性が通じなくなります。

(これで、なんぼ儲かんね)

(総理でェ臣になれんか)

等々、煩悩の

権化でいらっしゃる方々は、

偽善が

好きなんです、ほんと!

だから

がれきの山は、

「仕方あるんです」。

福島に、

宮城に、

岩手に放射能を専門的に処理する

巨大施設を建設せよ、

と言い続けるべきだったのではないでしょうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿