「二重行政」を悪だと考えるから、
それを無くそうとする。
その欲求の激しさは差別さえ招きかねない。
(クリックすれば、画像が拡大表示されます)
都構想反対は大阪市民の誇り @fckisn さんによれば、
普段、TV番組「ちちんぷいぷい」で
「学校へ行こう」とかなんとか生徒・学生の味方面している
たむらけんじという人が
上掲画像にあるように気持ち悪い(!)からと、
二重行政が解消される根拠を聞いた高校生をブロックしたという
(9:20 - 2015年5月15日 )。
残念な反応だ。
普段、子どもの相手をしているとのことで、
なおさらギョッとする。
それほど大人気がない反応だということ、
本人に自覚はあるのだろうか。
下の写真を見て欲しい。
――橋下市長は大阪都構想に反対したい人は市役所のひと、権利にしがみつきたい人って言ってる。でも私たちは大阪市民や!〔16:24 - 2015年5月16日 〕――という、
SADL@SADL_OSAKA さんのツイートに添付されていたものだ。
多くの人が反対しているのが
一目瞭然だ。
なぜ、会話を拒絶するんだろうか。
理由の一つは、
橋下氏の
踏み絵を迫る態度にあるだろう
(indigo@ingigo33 さんのツイート〔7:30 - 2015年5月17日 〕参照)。
すなわち、反対する者は、
憲法改正に難癖をつける勢力だ、
というわけだ。
そこにあるのは政治的な力関係で相手をねじ伏せてやる、
という発想があるきりだ。
真に優れた政治家なら市民を分断させるのじゃなく、
融和する方向に導くはずだ、
政治の本分は、
利害調整にこそあるはずなんだから――。
あるいは、橋下氏は、
次のように反論するかもしれない。
たとえ「都構想」の選択が間違いであってもやり直せる。
軽い気持ちで
踏み絵を踏んでも
さほどの害悪はないんだ、と。
本当だろうか。
あまりにもその決断は安易ではないだろうか。
るまたん @lematin さんの
――「大阪都構想」で維新が言っていることは、要するに「ぶっ壊せば何とかなる」ということであって、それはちょっと誇張して言えばポルポトあたりと変わりはない。「これまでの大阪では駄目です」は、「これまでのカンボジアはすべて否定される」と同じ。文革とも重なる。橋下語録を掲げる紅衛兵だち。〔8:35 - 2015年5月14日 〕――
への不安を駆り立てられる気持ちがよく分かる。
橋下氏は、
ファシストにしか見えなくて、
信頼すれば、
裏切りが待ち構えているだろうことは、
今までの例からして明らかだ。
もし、都構想が賛成多数だった場合、
大阪市は廃止されるのだ。
そこを情報開示した上での住民投票でない点に
不誠実さがあるにもかかわらず、
ついに謝罪の言葉を聞くことはないだろう。
実際、判断が間違っていたと後悔しても
やり直せようがない。
それは、
これ以上、説明のしようもないほど、
住友陽文@akisumitomo さんがその根拠を述べて下さっている。
いわく、大阪市が廃止されても(そう、可決されると廃止される)、戻したければ法律で戻せばいいと言う人がいます。しかし、誰が戻すのですか? 今度の投票は大阪市の意思表示で自らの存在の廃止かどうかを問う。でも大阪市がなくなったら戻したいと意思表示する、その大阪市自体がないのですよ。〔8:27 - 2015年5月11日〕
ということだ。
橋下陣営が
大上段に「憲法改正」を振りかざすのは、
単に市政運営を安易に考えていた
という結果に過ぎないんではないだろうか。
それを考えさせる事例は、
信用協会の二重行政回避策だ。
概要は下の〔資料〕を読んで頂きたい。
本当に大切な
「大阪の中小企業を守る」視点が
すっぽりと抜け落ち、
「債権を焦げ付かさない」
という
金融業特有のコストカットの発想を優先させた
役所の統合理念の誤りが見れる。
その間の事情をよく説明する表現として
「角を矯めて牛を殺す」
という諺を引き合いに出しておきたい。
牛とは、
今、アベノミクスの下、
追い詰められている大阪の街工場だ。
「角を矯めて」
というのは、
債権回収を第一義の任務とする
金融業のあり様だ。
役場が
サラ金業者のようにならないのが
正しい立ち位置なのだとすれば、
牛を殺すような
行政にならないようにするのが肝心だ。
思うに、
誤った統合のなされた理由として、
何が何でも
二重行政を避けようとする
脅迫観念があるだろう。
その根本にある
「二重行政は悪」
という思い込みこそ正さなければならない。
〔資料〕
「二重行政解消の先駆け 信用保証協会合併の功罪」
日刊ゲンダイ(2015年5月9日付〈8日発行〉)森功さん・文「大阪解体ドキュメント」⑮
それを無くそうとする。
その欲求の激しさは差別さえ招きかねない。
(クリックすれば、画像が拡大表示されます)
都構想反対は大阪市民の誇り @fckisn さんによれば、
普段、TV番組「ちちんぷいぷい」で
「学校へ行こう」とかなんとか生徒・学生の味方面している
たむらけんじという人が
上掲画像にあるように気持ち悪い(!)からと、
二重行政が解消される根拠を聞いた高校生をブロックしたという
(9:20 - 2015年5月15日 )。
残念な反応だ。
普段、子どもの相手をしているとのことで、
なおさらギョッとする。
それほど大人気がない反応だということ、
本人に自覚はあるのだろうか。
下の写真を見て欲しい。
――橋下市長は大阪都構想に反対したい人は市役所のひと、権利にしがみつきたい人って言ってる。でも私たちは大阪市民や!〔16:24 - 2015年5月16日 〕――という、
SADL@SADL_OSAKA さんのツイートに添付されていたものだ。
多くの人が反対しているのが
一目瞭然だ。
なぜ、会話を拒絶するんだろうか。
理由の一つは、
橋下氏の
踏み絵を迫る態度にあるだろう
(indigo@ingigo33 さんのツイート〔7:30 - 2015年5月17日 〕参照)。
すなわち、反対する者は、
憲法改正に難癖をつける勢力だ、
というわけだ。
そこにあるのは政治的な力関係で相手をねじ伏せてやる、
という発想があるきりだ。
真に優れた政治家なら市民を分断させるのじゃなく、
融和する方向に導くはずだ、
政治の本分は、
利害調整にこそあるはずなんだから――。
あるいは、橋下氏は、
次のように反論するかもしれない。
たとえ「都構想」の選択が間違いであってもやり直せる。
軽い気持ちで
踏み絵を踏んでも
さほどの害悪はないんだ、と。
本当だろうか。
あまりにもその決断は安易ではないだろうか。
るまたん @lematin さんの
――「大阪都構想」で維新が言っていることは、要するに「ぶっ壊せば何とかなる」ということであって、それはちょっと誇張して言えばポルポトあたりと変わりはない。「これまでの大阪では駄目です」は、「これまでのカンボジアはすべて否定される」と同じ。文革とも重なる。橋下語録を掲げる紅衛兵だち。〔8:35 - 2015年5月14日 〕――
への不安を駆り立てられる気持ちがよく分かる。
橋下氏は、
ファシストにしか見えなくて、
信頼すれば、
裏切りが待ち構えているだろうことは、
今までの例からして明らかだ。
もし、都構想が賛成多数だった場合、
大阪市は廃止されるのだ。
そこを情報開示した上での住民投票でない点に
不誠実さがあるにもかかわらず、
ついに謝罪の言葉を聞くことはないだろう。
実際、判断が間違っていたと後悔しても
やり直せようがない。
それは、
これ以上、説明のしようもないほど、
住友陽文@akisumitomo さんがその根拠を述べて下さっている。
いわく、大阪市が廃止されても(そう、可決されると廃止される)、戻したければ法律で戻せばいいと言う人がいます。しかし、誰が戻すのですか? 今度の投票は大阪市の意思表示で自らの存在の廃止かどうかを問う。でも大阪市がなくなったら戻したいと意思表示する、その大阪市自体がないのですよ。〔8:27 - 2015年5月11日〕
ということだ。
橋下陣営が
大上段に「憲法改正」を振りかざすのは、
単に市政運営を安易に考えていた
という結果に過ぎないんではないだろうか。
それを考えさせる事例は、
信用協会の二重行政回避策だ。
概要は下の〔資料〕を読んで頂きたい。
本当に大切な
「大阪の中小企業を守る」視点が
すっぽりと抜け落ち、
「債権を焦げ付かさない」
という
金融業特有のコストカットの発想を優先させた
役所の統合理念の誤りが見れる。
その間の事情をよく説明する表現として
「角を矯めて牛を殺す」
という諺を引き合いに出しておきたい。
牛とは、
今、アベノミクスの下、
追い詰められている大阪の街工場だ。
「角を矯めて」
というのは、
債権回収を第一義の任務とする
金融業のあり様だ。
役場が
サラ金業者のようにならないのが
正しい立ち位置なのだとすれば、
牛を殺すような
行政にならないようにするのが肝心だ。
思うに、
誤った統合のなされた理由として、
何が何でも
二重行政を避けようとする
脅迫観念があるだろう。
その根本にある
「二重行政は悪」
という思い込みこそ正さなければならない。
〔資料〕
「二重行政解消の先駆け 信用保証協会合併の功罪」
日刊ゲンダイ(2015年5月9日付〈8日発行〉)森功さん・文「大阪解体ドキュメント」⑮
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