麻生氏が
「チューブ人間になるぐらいなら、
さっさと死にたい。
政府から金を支給されたのでは目覚めが悪い」
旨の発言をしました。
マスコミに
批判されるや
かつて首相であった時同様に、
言い訳三昧です。
今回は、
口をひん曲げながら
次のように抗弁した由です。
「一般論ではなく、私見だ」
と。
相変わらず、
知恵の足りない方ですな。
しかもこれは、
単なる漢字の読み違えでないため、
無用の
混乱を招いているようです。
そこで、論点の整理をさせて頂きます。
まず、麻生擁護派は、
次のようにのたまいます。
主語が
「あなた」なら
批判されるのもやむを得ない。
しかし、
「わたし」なら
許されるんではないか・・・というわけですな。
ならば、「私は」と、
主語を補えば麻生氏を
ヨイショ出来ると考え、
援用されている記事があります。
次のロイターの記事が
それです。
☆ http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK059510920130121
しかし、この擁護の仕方が
間違っています。
というのは、
“私見”というのは、
「私の見方」を意味する概念だからです。
つまり、
主語が一人称にして書き直しだけでは
私見になりません。
むしろ、私事を述べたかのような
曲解につながります。
「私は、~と思う」
という文章構造になるのが
私見です。
これに対し、
「私が~した」
と記述し得るのが私事です。
麻生氏は、
私事について
何事かを述べたのでしょうか。
違うでしょ?
かつて、
この男、首相であった当時、
「健康なものが
病を得た者の面倒をみる必要がどこにあるのか」
と口角泡を飛ばして
喚いていたことがありました。
今回、また
懲りもせず同趣旨の
発言をした――。
まさに、
そのような私見の妥当性が問題なのです。
すなわち、インチキ選挙の結果にしろ、
副総理という公職に就いた者が
“自分の思い”として
口にした言葉によって、
誰かの私事を
あげつらう結果になっていることが
無神経として
やり玉に挙げられているのです。
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