のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

偏見を暴くのは、P≠NP問題か

2009年05月10日 17時32分29秒 | Weblog
 東野圭吾著「容疑者Xの献身」に犯人を割り出す物理学者と隠ぺいしようとする数学者が登場します。この二人の対決を描いた推理小説の中に出てくる数式が「P≠NP」です。多くの数学者が予想している定理なのですが、未だ証明されていない難問とのことです。

 この数式は、集合を扱っています。Pは多項式(polynomial)、Nは、非決定的(nondeterministic)という用語の頭文字です。Pの難易度は、Xのn乗(Xは変数。nは定数です)の形で示され、解に至る時間は現実的に予測可能です。これに対し、NPの難易度は、Xの変域がPと同じ範囲だとしても、nのX乗の形になり、Xの値が増大することによって途方もない数になります。つまり、解に至るまでの時間が非現実的なほどに長いため、予測不能になるわけです。

 NP問題とは、セールスマンが巡回する都市が30個ほどあり、どういう経路で旅をすれば最短距離かといった問題です。この問題を解くには場合分けをして、総当たりで比較するしかありません。正解に達するのにスーパーコンピューターを使うとしても、何百兆年という手間がかかるということです(→線形計画問題として見れば、簡単そうですが)。

 以上、予備知識を踏まえて、小説の数学者が残す謎めいたセリフにつき、考えてみましょう。彼は、こう述べます。「自分で考えて答えを出すのと、他人から聞いた答えが正しいかどうかを確かめるのとでは、どちらが簡単か」と。

 故意に誤った答えを示されたとき、その逸脱を見出す作業は、NP問題になります。しかし、人間は弱いものだから、深い検証もなくその結論を正しいものとして受け入れてしまうということを、暗にこの数学者は、ほのめかしたようです。あるいは、P問題に慣れきった頭では、あえてNP問題のもつ泥沼に足を踏み入れるのは困難の極みだ、無理をしちゃいかんよ、という忠告をしたようにも受け取れます。

 このセリフが主人公(物理学者)の推理にどう影響を与えたか。これはまぁ、でも、どちらでもいいのです。物語の展開がこのセリフを介してどうなるかは、映画になっていることだし、DVDでも見て下さればよいと思います。ネタばれになってはいけませんしね、詳しいことは言いません。ただ、この問題って、他人の偏見をどう崩すかに似てるな、と思いました。実は、そこなんですよ、僕が愕然としたのは!

 誤解や謬見を崩すのに、判断の結節点になる部分を総当たりで一々検証し、逸脱箇所を発見して行くしかないのでしょうか。。。小説を読み終えて、その点に行き当り、憂欝になってしまいました。。。

 はぁ~



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