のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

Lasso - Moliendo cafe / コーヒールンバ

2011年08月01日 19時14分31秒 | Weblog
「鉄腕アトムの足音」が

マリンバ――木琴の一種――の音色が素材になっていると知り、

この楽器に惹かれ、

PCの検索機能により演奏曲を探しました。

“お気に入り”にしたのは、

次の曲、「コーヒールンバ」です。


コーヒールンバ



さて、他の楽器での演奏と聴き比べたくなりました。幾つか聴いた曲アップします。























日本では西田佐知子が歌っていました。

そしてザ・ピーナッツも、別バージョンですが、歌っていました。




西田佐知子のキーの高い鼻にかかった歌い方とか、

思い出している内、

一体、コーヒールンバの原曲って、どんな歌詞なんだろう、

気になり出しました。

たとえば、次の動画を観てください。




コーヒーの生産過程が目立っていて、

恋愛の匂いがないでしょ。

仕事がきつそうで、見た目、静岡のお茶摘みに似ている! 

それにまた、日本で

この曲のカバーをしているのは、女性が多いのに、

外国では男の愛唱歌らしく見える…

(気のせい?)

調べて見て、判明したのは――。

日本語の歌詞は、

元歌とほとんど関係なく作詞されているのですな。

びっくりしました。

「ほとんど」というのは、

解釈次第では関連するのですが

その点は、最後に述べます。

その元歌を

紹介したいと思います。

メロディは変わりませんけど、

改めて、まずは、歌詞抜きでお聴きください。



曲名は、

「コーヒールンバ」でなく、

原曲の題名に即して

「コーヒー豆を挽きながら」(MOLIENDO CAFÉ)と訳しておきます。

作曲者はベネズエラのホセ・マンソ。

ウーゴ・ブランコがこの曲に歌詞を付けました。

アルパ奏者ウーゴ・ブランコが演奏し、

グロリア・ラッソが歌いました。

実は、この元歌、混血娘が

夜を徹してコーヒー豆を挽くような

過酷な労働に従事しながら、

恋するマヌエルを

(この君が農園主の息子か何かだからでしょうか)、

所詮、片思いの、

実らない刹那の恋として忘れようともがく気持ちを

歌ったものでした。

歌詞は、次のサイトに載ってます。

スペイン語です。

Moliendo café

下に引用さて頂きます。

Cuando la tarde languidece
renacen las sombras,
y en la quietud los cafetales
vuelven a sentir,
esta triste canción de amor
de la vieja molienda,
en el letargo de la noche
parece decir.

Una pena de amor,
una tristeza,
lleva el zambo Manuel
en su amargura,
pasa incansable la noche
moliendo café.


PCの力を借りつつ、

和訳しました。

大体の意味はこんな感じでしょうか。


――

日差しが弱まる昼下がり、
コーヒー農園に
静寂が訪れ、
古い工場に
悲しみの愛の歌が再び流れる

うつろな夜には
独り物思う
ああ、マヌエル、
ブラック・パンサー(注)を
切ない気持ちにさせる
夜通し
わたしコーヒー豆を挽いていた

(注)zambo は黒人差別用語とあったので、造語しました。

――

この歌詞を訳しながら、

途中、演奏に陶酔するように、にこやかな表情になりますが、

男性歌手の場合、

曲の出だし、

目を逸らすか、うつむいて歌っている、

総じて無愛想に見える意味が了解しえました。

元歌詞に従えば、

男性は、女性に辛い思いをさせる側ですものね、

罪の意識で悶えてるってわけでしょうかな。

ちょっと誇張が過ぎるかな。

でも、そういう演出をしたと言えなくもないな、と思います。

中には、薄笑いか、

さもなくば、お通夜のような沈痛な表情を浮かべていらっしゃる方もいます。

その点、

セレナ・アキスカ(Seren Akıska)!

(ふん)と言わんばかりに、

根性で恋を諦めようとする女の気持ちを歌うだけあって、

初めから明るいです。

「沢尻エリカさ~ん♪」て、声をかけたくなりますね。

これは、失恋する方が絶対に強いってことです。

覚えておきましょう。

人間を勝ち組と負け組とに二分し、負け組になったら、おしまい…

なんて思い詰める人生観は、

かっこよくない!

早漏です。

じゃなかった、早計です。

お先のことは、なかなか分らんもんですよ。

では、最後に、元歌をグロリア・ラッソの歌声でお楽しみください。

表情は映ってませんが、

きっと歌っているとき、晴れやかな笑顔であるに違いないです。

想像しながら聴いて見るのも楽しいかも。

なお、日本語の歌詞と元歌が

解釈次第では関連すると上に述べました。

それは、どういうことか――。

日本語の歌詞では、

失恋した女性がコーヒー豆を挽きながら、

このコーヒー豆の粉が、

もし、媚薬として通用するなら…と、

しばし頭に思い描いた

幻想が描かれていると思えなくもない、

だとすると、広い意味で意訳になるということです。

つまり、幻想をガス抜きにして

恋を断念する

歌だと理解するわけです。

そう解すれば、失恋がテーマということで、

元歌との整合性が保たれます。

Gloria Lasso - Moliendo cafe



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