のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

映画「アトムの足音が聞こえる」を観てきたよ

2011年07月30日 10時59分14秒 | Weblog
一昨日、映画についてトラックバックして下さる方があり、

翌日の29日が開催の最終日と

気づきまして、

昨日、神戸まで出かけ、映画「アトムの足音が聞こえる」を観てきました。

60歳になったんで、

記念すべきシニア券での第一回入場です。


さて、この映画、

アトムの足音は何だったのか…

ということで、

引き寄せられた観客が多かったのではないでしょうか。

僕もその一人です。

ただ、個人として

感銘を受けたのは、アトムの足音の謎の解明ではなかったです。

大野松雄さんという人、

マンガによくある擬態語の

「バキューン」やら

「ドカーン」、

「ショボン」を、

自分の生の声で言ったものを録音して

テープで変調して効果音として再現していたらしいんですな。

そこのところです、感銘を受けたのは。

擬態語使用の経緯は、

大野さん自身に語ってもらいましょう。

――『オーラル・サウンド』とよく言ってね。

音だけで聴くと口で発声しているのがわかりますけれど。

映像で見ているとわからないんですね(「鉄腕アトム・音の世界」CD解説書参照)――

だそうです。

映画の中では

アトムの足音を

どう作るかにに焦点があたっているように見えましたが、

映画を観終わった帰り道、

パンフレットで

擬態語への言及がなされてある

個所を読んで

仰(の)け反(ぞ)らんばかりに驚きました。

(ほんま? がぴょーん)

という感じです。

こういう表現も含めて、

米NBCでオンエアーされるや

ハンナ=バーベラ、

デイズニーを生んだ国民に受け入れられたのか、え?

これって、

ものすごく痛快じゃないか、と。

「ガオー」

という音響とともに、

巨大ロボットが出現するシーンなど

文字通り、

大野さんがマイク持って

「ガオー」と叫んでいるところを想像して見てください!

当然、思いますよね、「まるでマンガやん」と。

多分、こう言い返されるでしょう。

「そりゃ、マンガやもん」。

この発想ですね、すばらしいのは!

いい加減なんですよ。


彼は、プロについて

二つの要件を挙げます。

一つは、いつでも素人に戻れること。

これは、彼の歩んだ人生のなかで、現に実践されています、

何をやっても長続きしない、という形で。

ビジネスになった段階で、

創造性が失われるということなんでしょうね。

プロは、「無」から「有」を作り出すこと、

という風な定義を下すとすれば、

絶えず自分のポジションを

ゼロに戻して置かねばなりません。

何かを成し遂げたとしても、

自分から進んで、また千尋の谷に飛び込んでゆく…

言うは易く行うに難しな人生の選択です。

さて、二つ目。

手抜きをしても見破られるな、ということです。

人間、いつでも全力投球では疲れます。

故意にではなく、

適当にやっつけ仕事をしてしまうでしょう。

しかし、どんな場合も、見破られるな、

とことん素人を騙せって、おっしゃいます。

実際、僕らは、

アトムの効果音で彼に色んな個所でしてやられてるんでしょうね。

正直、この二つ目のプロの要件を聞いたとき、

営業マンなら普通にやっていることやで、と少し反発しました。

ただ、彼が

映画の中で、音を作るコツとして

「厳密にイメージするな」

と、後輩にアドバイスしている場面があって、

二つ目の、こちらの要件の奥の深さ、重さを感じました。


80年代、

万博の「この世ならざる音」を発掘、発信する

仕事の後、

彼は、忽然と姿を消します。


滋賀県の知的障害者施設に亡命していたとのことです。

映画監督の

富永昌敬氏によりますと、

「アトムの足音が聞こえる」というドキュメンタリー映画の製作当初、

もともと知的障害者施設「もみじ・あざみ寮」を、

深く取材するつもりはなかったらしいです。

「音響の天才デザイナー・大野松雄」の

伝説的なイメージと結びつかなったのでしょうね。

しかし、40年に及んで、

彼は寮生たちとの

信頼関係を築く生活に没頭していたのです。

ドキュメンタリーと銘打ちながら、

40年の歳月を

無視するわけにいかなかった、というわけですかな。

大野さんは、こんなこと、言ってます、

「世に有識者は大勢いる。

だからって、寮生(知的障害者)たち、

頑張れば有識者になれるのか…

と言うと、なれません。

彼らは“役立たず”です。

しかし、別な見方もできるでしょ。

人に生きる知恵を与えられるんですよ、彼ら」。

大野さんが

寮生たちと接して

一番学んだこと、

掴み取ったのはこの部分ではないでしょうか。

つまり、生きる知恵ってこと。

その中身の一つとして、

「厳密にイメージするな」

ということがあるように思えました。

想像力のバネが強靭な者にとっては、空隙のある方が好ましいはずなんです。

だから、いい加減――なんです。

「手抜きをしても」

という言い方は、そんな価値観が

背景になっているのではないでしょうか。

とすると、

プロたらんとする者にとって、

「見破られないようにする」ことに

重きがあるのでなく

(もちろん、最終的には、そこをクリア―しないといけませんが)、

「あえて、手抜きをする」ことに

大野さんの眼目があるのやもしれませんね。



☆ 最後に、せっかくだし、

あのアトムの足音は何だったの?――

という謎に触れておきますね。

こちらは、

ぴょこん、ぴょこんと口で言っていたわけではないようです。

大野さんとしては、

手抜きなしの音だったのですね(違うのかな)。

原音を紹介しておきます。

マリンバという楽器の音らしいです。

次の動画、見てください。

これがアトムの足音かって考えながら聴くと、

楽しい上に、えっ、えっ? となりますよ。

大道芸 マリンバ

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