安倍某は、
11月28日にあった
読売新聞本社ビルの竣工パーティに
中曽根元首相、森元首相らと
列席したそうです。
そこで、
「(秘密保護法で)
萎縮するような人は、
ここには一人もいないと思います」
と祝辞を述べる際、
コメントしたそうです
(29日発行日刊ゲンダイ、トップ記事
「大新聞が安倍政権とつるんで戦前回帰へ動いている」
の項目参照)。
清和会会長町村信孝議員が
「秘密保護法で
取材者が萎縮するという方が問題だ」
という指摘の
裏側の見方だと考えたら
興味深い発言ですな。
つまり、
町村議員は、
メディアの人間は、
読売新聞社の記者のようであれ、
と実は語っていたのですね。
読売新聞は、
対米従属の泰斗でしょ。
安倍某や町村議員と立場が
同じで
当然、萎縮しない。
そうあれというわけです。
しかし、為政者を
監視しなくなったら、
ジャーナリストじゃないのです。
子どもが
成長する過程で
親に批判的になるのは
自然の掟、摂理のようなものです。
親たるもの、
怒ってはいけないでしょ?
同様に、
批判的なジャーナリストに対し
受容的でなければならない
と思います。
それが成熟した社会が
自省の
システムを支えるエネルギー原だからです。
11月28日にあった
読売新聞本社ビルの竣工パーティに
中曽根元首相、森元首相らと
列席したそうです。
そこで、
「(秘密保護法で)
萎縮するような人は、
ここには一人もいないと思います」
と祝辞を述べる際、
コメントしたそうです
(29日発行日刊ゲンダイ、トップ記事
「大新聞が安倍政権とつるんで戦前回帰へ動いている」
の項目参照)。
清和会会長町村信孝議員が
「秘密保護法で
取材者が萎縮するという方が問題だ」
という指摘の
裏側の見方だと考えたら
興味深い発言ですな。
つまり、
町村議員は、
メディアの人間は、
読売新聞社の記者のようであれ、
と実は語っていたのですね。
読売新聞は、
対米従属の泰斗でしょ。
安倍某や町村議員と立場が
同じで
当然、萎縮しない。
そうあれというわけです。
しかし、為政者を
監視しなくなったら、
ジャーナリストじゃないのです。
子どもが
成長する過程で
親に批判的になるのは
自然の掟、摂理のようなものです。
親たるもの、
怒ってはいけないでしょ?
同様に、
批判的なジャーナリストに対し
受容的でなければならない
と思います。
それが成熟した社会が
自省の
システムを支えるエネルギー原だからです。
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