のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

最高裁判所裁判官の国民審査のこと

2009年12月12日 14時54分08秒 | Weblog
この前の総選挙の際に、

「最高裁の裁判官の国民審査制」につき、

所感を述べました。

その内容は、次のようなものでした。

すなわち、憲法は、内閣のした裁判官の任命行為について

承任するか否かの判断を国民に求めているわけでなく、

リコール(罷免)の必要性を問うているのだから、

国家制度として認められた署名運動として理解してよく

×印の数だけを数えれば済むということ。

そして、そのイメージに従って、

リコールに納得できなければ、白票を投ずればよい。

もし、白票を投じたとしても、

裁判の正当性を受け入れたことにならない。

むしろ、逆に正当性を認めたと捉える、二者択一的な枠組みに固執する考え方こそ

可笑しい、という前提で説明をしました。

(→goo友、obichanさんに対する僕の「国民審査の目的」という8月30日付記事のコメント、
最初の段落4行ほどを参照)。

しかし、実際には、×印の“ついていない”票数が集計され、

白票を投ずれば、

思案の末、判断を留保した結果としても

リコールに「反対」する立場に票が算入されるわけです。

これは理不尽です。

この不都合を質すには、三つ目の選択肢が用意されないといけません。

つまり、リコールに「賛成」か「反対」か以外に、

「どっちとも言えない」という

判断留保の立場が容認されなければならないはずです。

とりわけ、裁判過程が公開されず、

国民は、リコール権を行使しようにも

判断材料に乏しいという現状を踏まえるなら、

制度の運用にあたって、なおさら判断留保の立場を尊重する必要があります。

「よく分からないことについて、可否の判断をしない」

ということは、立派な権利です。

信じる自由の裏っ側に信じない自由があるようなものです。

情報提供に関し、

新聞、テレビ等のマスコミは、全く当てになりません。

犯罪的ですらあります。

朝日であろうが、毎日であろうが、はたまた読売であろうが

この点に関しては全く同じ穴のむじなです。

(どうしたものか、、、)

と気になっていたところ、

たまたま、判断に資する情報を提供しているサイトを見つけました。

遅きに逸するようですが、報告します。

司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議が発信しているPDFです。

URLは次の通りです。

http://www.jdla.jp/kokuminshinsa/24kokuminshinsa.pdf

良ければ、ご参照ください。

問い合わせ先は、日本民主法律家協会です。

電話申し込みは、03-5367-5430です。

仮に、こういった資料を読んで、

なお判断できなければ、投票用紙を受け取らなければいいようです。

選管などで、投票の際、注意を促すべきですね。

僕もさすがに、用紙の受け取りの拒否までは考えが及びませんでした。

この点、遅ればせながら、

判断がつかないときは、裁判官の自主・独立のため、

白票での投票を是とした前の見解を撤回します。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
知りませんでした! (obichan)
2009-12-13 11:56:52
公開もされない裁判の内容などは、本当に全くあてになりませんよね。
当然「どちらでもない」項目があってもよさそうなのに、
今までうまくごまかされた感じさえします。

用紙を受け取らなくてもいいなんて、聞いたことも無いです。
たぶん選挙を手伝ってる町内会の方たちも、
ほとんどが知らないのではないかとも思います。
選挙時に告示してもらいたいものですね。
ためになる情報をありがとうございました。
返信する
裁判官の横顔 (忠太)
2009-12-13 15:16:46
裁判員裁判導入にあたって、最高裁は、政府と別個な視点から検討していたんだと思っていました。しかし、記事中でリンクさせたサイトを見る限り、長官に就任した山崎博允氏の同制度への貢献度が推し量れます。
自民党政権下、法務大臣をしていた鳩山邦夫が「死刑の執行などは自動的にやれる仕組みを作った方がよい」などと発言し、物議を醸していましたね(今は、お兄ちゃんが首相になった恩恵を被って、メディアに出まくって放言のし放題ですが)。
08年11月25日、山崎博允氏が最高裁長官に就任するに及び、死刑判決が乱発される機が熟したのですね。それを背景にした暴言だったことが今にして納得がいきました。
政府の「死刑パラダイスの監獄王国、アメリカに追いつけ」という姿勢は、政府内部に止まってなかったのですね。なかでも裁判所への影響など認めたくなかったですけど、人事を通して、間違いなく染み込んでいるようです。
ブログネタとして、「最高裁の裁判官の国民審査制」は古いかな、という思いがありました。しかし、取り上げてよかったです。お陰さまで、裁判官の横顔がほんの少しですが、垣間見ることが出来ました。
返信する

コメントを投稿