山崎 雅弘
@mas__yamazaki さんのツイートです。
――首相周辺とその支持者、そして読売と産経は、なぜあそこまで意固地に「歴史から学ぶ」という姿勢を拒絶するのか。自国が過去に犯して国を滅亡の危機に陥らせた「大失敗」を批判的に検証し再発防止策を考えるのは、同じ轍を踏まないという「愛国」に他ならないが、彼らはそれと正反対の方向に邁進する。〔13:20 - 2015年1月3日 〕――
産経新聞などによると
“愛国”とは、
玉砕なんでしょうね。
これは、
多分、「葉隠れ」を
受け売りすれば、
武士道を語っているように見える
ファッション・センスと
表裏不可分な趣味というものでしょう。
しかし、
愛国の「愛」といえど、
「愛」である限りは、利他の精神でしょ?
また、その場合、
「他」にあたるは、
故郷であり、同朋ですよね。
しかし、産経の売りは、
大企業のエゴのために庶民の利益を
顧みない利己主義であるかのごとくです。
太平洋戦争では、
大企業に振り回されて、
庶民は、戦争に駆り出されました。
その反省がないからです。
産経の
愛国主義への
意固地なまでのこだわりを見ていると、
同じ失敗をやらせたいのか、
と勘繰ってしまいそうになりますね。
元日早々、
同紙を読んでしまい
正月気分が吹き飛んでしまった怒り、
追体験しておきましょう。
知らない内に
兵隊にされないために。
――元日(2015年1月1日)付の産経新聞朝刊。一面トップは、先の戦争で最も悲惨な戦いの一つとされるペリリュー玉砕戦での日本軍を全面的に礼賛する記事。元日の朝にこれを見た瞬間、正月のめでたい気分は全部吹き飛んだ。一体、何を考えているのか。 〔13:23 - 2015年1月3日 〕――
――一面トップのペリリューの日本軍礼賛記事は三面に続き、現地の島民が「日本に感謝している」という「解釈」を、真偽不明の「日本軍人礼賛の伝承」と共に掲載している。「逸話の真偽はわからない」というのは、要するに「吉田証言と同じ」ではないのか。 〔13:24 - 2015年1月3日 〕――
――元日付産経新聞、一面の左には樫山幸夫論説委員長の「覚悟と決意の成熟社会に」という記事。「現憲法が問題の根源だ」と現行憲法破棄を提言し、「メディアも覚悟と決意を持たなければなるまい」と意味のよくわからない戦闘的な「決意表明」をしている。 〔13:26 - 2015年1月3日 〕――
――元日付の産経新聞、「正論」コーナーは曾野綾子氏の「日本人よ、逆境に耐える力養え」と題された記事。小見出しは「外敵との戦いは当然だった」。その隣には首相夫人に近い元外務官僚の宮家邦彦による「対外発信強化元年に」という宣伝戦の提言を掲載。 〔13:27 - 2015年1月3日 〕――
――元日付の産経新聞、社会面では大きなスペースをとって「今年も、来年も、生命がある限り靖国神社へお会いしにゆきます。」という靖国神社と国家神道思想の政治宣伝記事。「遊就館」とは、靖国神社の敷地内にある、大東亜戦争を肯定・礼賛する展示施設。 〔13:29 - 2015年1月3日 〕――
――元日付産経新聞の靖国神社と国家神道思想の政治宣伝記事、驚いたのは、先月末に紹介した大田實海軍中将の「最後の電文」を引用していること。沖縄の基地問題や戦後の沖縄県民の境遇を報じる際には一切触れず、靖国神社賛美と旧軍礼賛の時だけ引用する。 〔13:30 - 2015年1月3日 〕――
――元日付産経新聞の靖国神社と国家神道思想の政治宣伝記事の隣には「昭和20年 終戦…日本の大転換点に」というコラム記事。「日本だけが悪であると断罪するGHQの思想改造」等、日本を加害者でなく「被害者」と位置づける歴史認識を繰り返している。 〔13:32 - 2015年1月3日 〕――
さて、
サンケイが
「エアー右翼」の立場に立っていることが
記事を通して確認できました。
山崎 氏は、
この傾向を踏まえて
次のように
注意の喚起を促されます。
――正月早々、一年の始まりの日から、戦前戦中の思想と価値判断を全面的に肯定し、現行憲法が諸悪の根源だと断定する記事群をこれでもかと見せられて、産経の読者は快哉を叫んでいるのか。改憲案で「国家元首」と謳われる天皇の「新年のお言葉」を土足で踏みつけるような言葉の羅列に疑問を感じないのか。〔13:34 - 2015年1月3日 〕――
「エアー右翼」たちにとって、
天皇という存在は何なのか――。
以下のツイートは、
それの分析です。
――親の家でくつろぎながら2015年の元日付産経新聞を見て、この国はすごいスピードで戦前戦中へと「逆戻り」していると改めて思い知らされた。「爆走」という言葉が一番近い。どの記事を見ても戦闘的な「意気込み」が充満しており、日本語の使い方が戦前戦中の新聞や雑誌のそれにかなり近づいている。〔13:35 - 2015年1月3日 〕――
――「日本語の使い方が戦前戦中の新聞や雑誌に近い」とは、具体的には論理展開や事実認識が主観的・自己陶酔的で、客観性や多面性がなく、唯一つの結論しか認めない。「外敵や内部の裏切り者と戦う」勇壮な姿勢を美化し、語彙は情緒的かつ戦闘的で、物事が全て「日本を中心に回っている」ように理解する。〔13:37 - 2015年1月3日 〕――
――自民党は今年、改憲に向けた準備を本格化させる構えだ(東京)http://bit.ly/1Kb4BXh 「公明、民主など与野党六党に改憲案作りを呼び掛けるほか、改憲の必要性を訴える漫画の配布も予定している」 漫画の配布… 首相周辺は自国民の知性をここまで見下している。〔15:23 - 2015年1月4日 〕――
――改憲案の冒頭で天皇を「国家元首」と位置づける一方、天皇が折に触れて発するメッセージの内容を一顧だにせず、それが自分に向けられた戒めである可能性を考慮しない首相周辺の態度は、彼らが天皇の絶対的権威を「錦の御旗」として利用したいだけで、本心では尊敬も何もしていないことを物語っている。〔15:25 - 2015年1月4日 〕――
――長州と薩摩は、戊辰戦争で勝手に「錦の御旗」を立てて、自分たちが天皇の側に立つ「官軍」で敵対者は「賊軍」だという虚偽の構図を作り出して戦いを有利に進めた。戦前戦中の国家神道体制下の日本でも、自分こそが「愛国者」で敵対者は「非国民」だという錯覚で反対者を弾圧する政治手法が多用された。〔15:26 - 2015年1月4日 〕――
――天皇を「自分たちの側」に取り込むことに成功すれば、自分を批判する人間は形式上「同時に天皇をも批判する人間」となる。戊辰戦争でも、朝敵となることを怖れて戦意喪失した幕府軍兵士が多くいた。改憲案は、国民の批判や異議から政府を守る「盾」として「天皇の権威」や「天皇への尊敬」を利用する。〔15:27 - 2015年1月4日 〕 ――
――戦前戦中の日本は、形式上「天皇を絶対的に崇拝・尊敬していた」とされるが、実際には恫喝的な権力行使を正当化する「道具」として「天皇」を利用する事例が多かった。よく知られているように、軍隊では上官が、天皇に賜ったとされる小銃の手入れが不十分だと言っては、部下に殴る蹴るの暴力を加えた。〔15:30 - 2015年1月4日 〕――
――小銃の手入れが不十分だという理由で、軍隊内部で上官が部下に際限なく暴力を振るうことを、天皇が正当な行いとして承認していたことを示す記録はない。戦前戦中の日本では、自分が「錦の御旗」の側であるという形式を利用して、暴力や恫喝で相手を服従させる人間が、社会の端々にまで数多く存在した。〔15:31 - 2015年1月4日 〕――
以上の分析から発せられる警鐘は、
――戦後の民主化された日本では、国民に対する政府の強圧的な権力行使を正当化する「道具」して「錦の御旗」が使われることは無かったが、与党の改憲案が実現すれば、現状で既に恫喝的手法を多用する首相周辺が「錦の御旗」をどのように利用するかは容易に想像できる。民主的な社会は、実質的に消滅する。〔15:32 - 2015年1月4日 〕――
ということです。
時代は、
戦前どころか、維新前夜にも遡って
論じられています。
しかし、このことによって、
天皇の
道具性が良く見えます。
エアー右翼たちは、
天皇を
政治利用すべく虎視眈眈、狙っているということです。
私達は、
ここで「勝てば官軍」という言い方に込められた
深い歴史の闇に
思いを馳せる必要があります。
明治維新の前夜、
薩長側の勝利として決着がつく前、
賊軍とされた幕府側の中心には輪王寺宮様がおられ、
戊辰戦争は
実は、「官」対「官」だったのです。
現代に生きる
私達は、
戦に勝ったゆえに
官軍とされた薩長の
私怨が
満州事変にまで行き着いた歴史を
見据えた上で、
そこから越え出るべきです。
なぜなら、
「官」対「官」の戦いにすべてを委ねる発想しかしない内は、
民衆が主人公であるはずがないからです。
すなわち、
太平洋戦争後、
「主権在民」を
高らかに謳い上げた憲法を持つ私たちは、
維新のとき争われた
「官軍」なのか「賊軍」なのかという“旗の取り合い”の背後にある
民衆の思いを切り捨てる
態度と一線を画す必要があります。
その出発点に立つためには、
エアー右翼たちが
自分たちの足場とする主義主張の裏にある歪み
――天皇見解といえど、政治利用できないとなったら無視するご都合主義――を
産経新聞の記事という形で
具現化してくれたことは大変に有意義です。
そういうことを
反省させられた年の初めでした。
@mas__yamazaki さんのツイートです。
――首相周辺とその支持者、そして読売と産経は、なぜあそこまで意固地に「歴史から学ぶ」という姿勢を拒絶するのか。自国が過去に犯して国を滅亡の危機に陥らせた「大失敗」を批判的に検証し再発防止策を考えるのは、同じ轍を踏まないという「愛国」に他ならないが、彼らはそれと正反対の方向に邁進する。〔13:20 - 2015年1月3日 〕――
産経新聞などによると
“愛国”とは、
玉砕なんでしょうね。
これは、
多分、「葉隠れ」を
受け売りすれば、
武士道を語っているように見える
ファッション・センスと
表裏不可分な趣味というものでしょう。
しかし、
愛国の「愛」といえど、
「愛」である限りは、利他の精神でしょ?
また、その場合、
「他」にあたるは、
故郷であり、同朋ですよね。
しかし、産経の売りは、
大企業のエゴのために庶民の利益を
顧みない利己主義であるかのごとくです。
太平洋戦争では、
大企業に振り回されて、
庶民は、戦争に駆り出されました。
その反省がないからです。
産経の
愛国主義への
意固地なまでのこだわりを見ていると、
同じ失敗をやらせたいのか、
と勘繰ってしまいそうになりますね。
元日早々、
同紙を読んでしまい
正月気分が吹き飛んでしまった怒り、
追体験しておきましょう。
知らない内に
兵隊にされないために。
――元日(2015年1月1日)付の産経新聞朝刊。一面トップは、先の戦争で最も悲惨な戦いの一つとされるペリリュー玉砕戦での日本軍を全面的に礼賛する記事。元日の朝にこれを見た瞬間、正月のめでたい気分は全部吹き飛んだ。一体、何を考えているのか。 〔13:23 - 2015年1月3日 〕――
――一面トップのペリリューの日本軍礼賛記事は三面に続き、現地の島民が「日本に感謝している」という「解釈」を、真偽不明の「日本軍人礼賛の伝承」と共に掲載している。「逸話の真偽はわからない」というのは、要するに「吉田証言と同じ」ではないのか。 〔13:24 - 2015年1月3日 〕――
――元日付産経新聞、一面の左には樫山幸夫論説委員長の「覚悟と決意の成熟社会に」という記事。「現憲法が問題の根源だ」と現行憲法破棄を提言し、「メディアも覚悟と決意を持たなければなるまい」と意味のよくわからない戦闘的な「決意表明」をしている。 〔13:26 - 2015年1月3日 〕――
――元日付の産経新聞、「正論」コーナーは曾野綾子氏の「日本人よ、逆境に耐える力養え」と題された記事。小見出しは「外敵との戦いは当然だった」。その隣には首相夫人に近い元外務官僚の宮家邦彦による「対外発信強化元年に」という宣伝戦の提言を掲載。 〔13:27 - 2015年1月3日 〕――
――元日付の産経新聞、社会面では大きなスペースをとって「今年も、来年も、生命がある限り靖国神社へお会いしにゆきます。」という靖国神社と国家神道思想の政治宣伝記事。「遊就館」とは、靖国神社の敷地内にある、大東亜戦争を肯定・礼賛する展示施設。 〔13:29 - 2015年1月3日 〕――
――元日付産経新聞の靖国神社と国家神道思想の政治宣伝記事、驚いたのは、先月末に紹介した大田實海軍中将の「最後の電文」を引用していること。沖縄の基地問題や戦後の沖縄県民の境遇を報じる際には一切触れず、靖国神社賛美と旧軍礼賛の時だけ引用する。 〔13:30 - 2015年1月3日 〕――
――元日付産経新聞の靖国神社と国家神道思想の政治宣伝記事の隣には「昭和20年 終戦…日本の大転換点に」というコラム記事。「日本だけが悪であると断罪するGHQの思想改造」等、日本を加害者でなく「被害者」と位置づける歴史認識を繰り返している。 〔13:32 - 2015年1月3日 〕――
さて、
サンケイが
「エアー右翼」の立場に立っていることが
記事を通して確認できました。
山崎 氏は、
この傾向を踏まえて
次のように
注意の喚起を促されます。
――正月早々、一年の始まりの日から、戦前戦中の思想と価値判断を全面的に肯定し、現行憲法が諸悪の根源だと断定する記事群をこれでもかと見せられて、産経の読者は快哉を叫んでいるのか。改憲案で「国家元首」と謳われる天皇の「新年のお言葉」を土足で踏みつけるような言葉の羅列に疑問を感じないのか。〔13:34 - 2015年1月3日 〕――
「エアー右翼」たちにとって、
天皇という存在は何なのか――。
以下のツイートは、
それの分析です。
――親の家でくつろぎながら2015年の元日付産経新聞を見て、この国はすごいスピードで戦前戦中へと「逆戻り」していると改めて思い知らされた。「爆走」という言葉が一番近い。どの記事を見ても戦闘的な「意気込み」が充満しており、日本語の使い方が戦前戦中の新聞や雑誌のそれにかなり近づいている。〔13:35 - 2015年1月3日 〕――
――「日本語の使い方が戦前戦中の新聞や雑誌に近い」とは、具体的には論理展開や事実認識が主観的・自己陶酔的で、客観性や多面性がなく、唯一つの結論しか認めない。「外敵や内部の裏切り者と戦う」勇壮な姿勢を美化し、語彙は情緒的かつ戦闘的で、物事が全て「日本を中心に回っている」ように理解する。〔13:37 - 2015年1月3日 〕――
――自民党は今年、改憲に向けた準備を本格化させる構えだ(東京)http://bit.ly/1Kb4BXh 「公明、民主など与野党六党に改憲案作りを呼び掛けるほか、改憲の必要性を訴える漫画の配布も予定している」 漫画の配布… 首相周辺は自国民の知性をここまで見下している。〔15:23 - 2015年1月4日 〕――
――改憲案の冒頭で天皇を「国家元首」と位置づける一方、天皇が折に触れて発するメッセージの内容を一顧だにせず、それが自分に向けられた戒めである可能性を考慮しない首相周辺の態度は、彼らが天皇の絶対的権威を「錦の御旗」として利用したいだけで、本心では尊敬も何もしていないことを物語っている。〔15:25 - 2015年1月4日 〕――
――長州と薩摩は、戊辰戦争で勝手に「錦の御旗」を立てて、自分たちが天皇の側に立つ「官軍」で敵対者は「賊軍」だという虚偽の構図を作り出して戦いを有利に進めた。戦前戦中の国家神道体制下の日本でも、自分こそが「愛国者」で敵対者は「非国民」だという錯覚で反対者を弾圧する政治手法が多用された。〔15:26 - 2015年1月4日 〕――
――天皇を「自分たちの側」に取り込むことに成功すれば、自分を批判する人間は形式上「同時に天皇をも批判する人間」となる。戊辰戦争でも、朝敵となることを怖れて戦意喪失した幕府軍兵士が多くいた。改憲案は、国民の批判や異議から政府を守る「盾」として「天皇の権威」や「天皇への尊敬」を利用する。〔15:27 - 2015年1月4日 〕 ――
――戦前戦中の日本は、形式上「天皇を絶対的に崇拝・尊敬していた」とされるが、実際には恫喝的な権力行使を正当化する「道具」として「天皇」を利用する事例が多かった。よく知られているように、軍隊では上官が、天皇に賜ったとされる小銃の手入れが不十分だと言っては、部下に殴る蹴るの暴力を加えた。〔15:30 - 2015年1月4日 〕――
――小銃の手入れが不十分だという理由で、軍隊内部で上官が部下に際限なく暴力を振るうことを、天皇が正当な行いとして承認していたことを示す記録はない。戦前戦中の日本では、自分が「錦の御旗」の側であるという形式を利用して、暴力や恫喝で相手を服従させる人間が、社会の端々にまで数多く存在した。〔15:31 - 2015年1月4日 〕――
以上の分析から発せられる警鐘は、
――戦後の民主化された日本では、国民に対する政府の強圧的な権力行使を正当化する「道具」して「錦の御旗」が使われることは無かったが、与党の改憲案が実現すれば、現状で既に恫喝的手法を多用する首相周辺が「錦の御旗」をどのように利用するかは容易に想像できる。民主的な社会は、実質的に消滅する。〔15:32 - 2015年1月4日 〕――
ということです。
時代は、
戦前どころか、維新前夜にも遡って
論じられています。
しかし、このことによって、
天皇の
道具性が良く見えます。
エアー右翼たちは、
天皇を
政治利用すべく虎視眈眈、狙っているということです。
私達は、
ここで「勝てば官軍」という言い方に込められた
深い歴史の闇に
思いを馳せる必要があります。
明治維新の前夜、
薩長側の勝利として決着がつく前、
賊軍とされた幕府側の中心には輪王寺宮様がおられ、
戊辰戦争は
実は、「官」対「官」だったのです。
現代に生きる
私達は、
戦に勝ったゆえに
官軍とされた薩長の
私怨が
満州事変にまで行き着いた歴史を
見据えた上で、
そこから越え出るべきです。
なぜなら、
「官」対「官」の戦いにすべてを委ねる発想しかしない内は、
民衆が主人公であるはずがないからです。
すなわち、
太平洋戦争後、
「主権在民」を
高らかに謳い上げた憲法を持つ私たちは、
維新のとき争われた
「官軍」なのか「賊軍」なのかという“旗の取り合い”の背後にある
民衆の思いを切り捨てる
態度と一線を画す必要があります。
その出発点に立つためには、
エアー右翼たちが
自分たちの足場とする主義主張の裏にある歪み
――天皇見解といえど、政治利用できないとなったら無視するご都合主義――を
産経新聞の記事という形で
具現化してくれたことは大変に有意義です。
そういうことを
反省させられた年の初めでした。
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